世界は舞台

夜の野宿の場面、火が焚かれる。

 

最初の幕で、オーランドと兄の取っ組み合いのけんかの場面があり、その後オーランドと筋肉ムキムキおじさん、チャールズとのレスリング試合の場面がある。最初は舞台上でドタンバタンやっている。そのうち古舘 伊知郎ではないが、

「おっ〜と、場外大乱闘だ!

となる。つまり、組んず解れつやっているふたりが、舞台から転げ落ち、土間で見ている立ち見のお客さんの足元で、乱闘を続けるのである。その場所であるが、場内整理のおばさんが、

「坊ちゃん、お嬢ちゃん、危ないからちょっと下がっててね。」

と、予めその空間を確保してくれている。ともかく、観客の足元で、俳優が取っ組み合いを演じているのである。観客は、見ているだけではなく、けんかの見物人という「役」も果たすことになるわけだ。なかなか小憎い演出である。

 俳優の出入りには、ありとあらゆる出入り口が使われる。一応舞台の両側に出入り口があるのだが、土間の観客用の出入口からも突然俳優が現れる。上から声がすると思って見上げると、俳優がバルコニーに立って話している。ここでは、「舞台」は舞台だけでなく、劇場全体が「舞台」なのである。

 この芝居の有名な台詞である。

 

「この世界はすべてこれ一つの舞台、人間は男女を問わずすべてこれ役者にすぎぬ。」

 

(実は、この台詞、聞き取れなかったが。)ともかく、「すべてが舞台」なのである。

 俳優は皆昔風の衣装を身に着けている。最近は背広とワンピースの「ロミオとジュリエット」があるらしいが、個人的には余り斬新すぎる演出は好きではない。女性の衣装は、腰のところで広がり、あとは直線的に下へ流れ落ちるようなスカート。なかなか可愛い。男性は膝までのズボンに、ブーツまたはハイソックスを履いている。

 この辺りを説明するのに、写真があればよいのだろうが、残念ながら、公演中の写真撮影は禁止とのこと。このエッセーに使用した写真は、休憩時間に撮ったか、グローブ座のホームページから転載したものである。

 シェークスピアの戯曲を本で読んでいると殆ど気づかないが、劇中によく歌が唄われる。もちろん、戯曲に楽譜が書かれてあるわけではないので、メロディーは演出をする現代人が付けたものであろう。「お気に召すまま」でも、野原でくつろぐシーンなどで、歌が唄われた。伴奏は、俳優が持つギターである。

BGMは全くと言っていいくらいない。これは良い。映画などでは、クライマックスにさしかかり、感情が高まるにしたがって、音楽も高まる。しかし、グローブ座の舞台で、同じ状況で使われるのは「間」である。クライマックスは静寂。なかなか緊張感がある。「音楽」と「静寂」、この正反対なものが、同じ効果をもたらすというのも興味深い。

 

土間から舞台を見る。手を伸ばせば役者にとどく。

 

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