アクア・アルタ(洪水)
水上バスの乗り場の「アクア・アルタ」の掲示。
ヴェネチアに着いた夜、激しい雨が降った。雨は朝方まで続いたが、我々がホテルを出る午前十時半頃には止んでいた。昨日と同じように、二番のバスに乗り、長い橋を渡り、ローマ広場に着く。
ローマ広場に着いたが、様子がどことなく違う。よく見ると、水位が上昇していて、昨日歩いた運河の横の道が見えないのだ。ヴェネチアが、地盤沈下と海面上昇の影響で、冬の間たびたびアクア・アルタと呼ばれる洪水に襲われることは、ドナ・レオンの小説で知っていた。シリーズの五冊目のタイトルは、そのものずばり「アクア・アルタ」。我々は、運が良いのか悪いのか、そのヴェネチア名物の洪水に遭遇してしまったのだ。
我々はローマ広場から水上バス、ヴァポレットの一日券を買って、それに乗った。昨夜歩いた歩道は一晩にして水没していたので、ボートに乗らざるを得ない。ボート乗り場はスノコになっているのだが、板と板の隙間から、チャプンチャプンと水が飛び跳ねる。ミドリのブカブカのジーンズの裾は濡れて色が変っている。
大運河を行く水上バスから見た光景はちょっとすさまじかった。運河沿いの歩道を歩いている人もいるのだが、水の深さが二十センチはあるので、皆、深いゴム長靴を履くか、ビニールの大きなオーバーシューズをつけている。運河沿いの店は、もちろん、床を水が覆っている。それでも店は営業している様子なので、改めて驚く。運河に面した建物には、運河側に出入り口のドアがある。そのドアの下の方は水没し、波がチャプチャプ打ち寄せている。一体、その建物の中はどうなっているのだろうか。想像できない。街を覆う水は昨日飛行機から見えた薄緑色、翡翠色だ。
「オー・マイ・ゴッド!」
水上バスのデッキで、そんな光景を眺めていたスミレが呟いた。
リアルト橋の袂も水に浸かっていた。歩道の上に高さ五十センチほどの板が渡されており、歩行者はその上を歩くようになっている。しかし、その脇にある店や、カフェやレストラン、ホテルや銀行の床は完全に水没していた。しかし、なおかつ銀行やカフェが営業しているのは、もう根性としか言い様がない。
ヴェネチアに来る前、娘のミドリに、半分冗談で、
「地球の温暖化が進み、海面が上昇するから、ベニスはもうすぐ水の中に沈んでしまう。だから早い目に見ておかないといけないのだ。」
と言った。それが現実のものとなっていた。早く京都議定書を全世界が批准し、いやそれどころか、次の対策を見出さないと、ヴェネチアは本当に数十年後には完全に水没するのではないだろうか。ブッシュのような人間が米国の大統領をやっているとそれが早まる恐れは多分にある。
サン・マルコ広場も完全に水浸しになっていた。昼過ぎになり干潮の時間が来て、やっと水が引き、道が歩けるようになった。それで、我々は何とか観光を続けることができた。
人々は狭い板の上を行きかう。