警視ブルネッティの住む街

 

建物は運河に面して立っている。

 

 空港から我々五人はタクシーで、ホテルのあるメストレに向かった。メストレはヴェネチアの対岸にある町だ。ヴェネチアには大きなホテルがなく値段も高いので、我々のように対岸のメストレの町に宿を取り、橋を渡ってヴェネチアに出かける観光客が多い。ライトバンのタクシーの中、おちびのスミレは後ろの補助席に座らされ、荷物に埋もれていた。

 タクシーは二十分程で、ホテル「レジデンツァ、デルフィーノ」に到着。直訳すると「イルカのお宿」、玄関のドアにイルカの絵が見える。一息ついてから、街を偵察することになった。ホテルに着いたのが午後三時前。再びホテルを出たときには、夕闇が迫っていた。

 まず、メストレの駅まで行ってみる。大きな駅である。観光案内所の金髪のお姉さんに、ヴェネチア行きのバスを聞き、教えられた二番のバスに乗る。バスは町を離れ、長い橋を渡り、十五分ほどで、ヴェネチアの玄関、ピアッツェレ・ローマ(ローマ広場)に着いた。

 僕はこの広場の名前に大変馴染みがある。ここ数年、僕はヴェネチア在住のアメリカ人女性作家、ドナ・レオンの書いた「コミッサリオ・ブルネッティ」シリーズを愛読している。ヴェネチアの警察に勤める警視グイド・ブルネッティが、ヴェネチアとその周辺で起こる事件を解決していく推理小説。主人公のブルネッティの人間味溢れるキャラクターや、彼が独りで社会の腐敗と戦う姿に好感が持てること、彼を取り巻く家族、同僚もなかなか良い味を出していることなどで、僕のお気に入りのシリーズなのだ。そして、ブルネッティは、ヴェネチア以外の場所へ出かける場合は必ず、このピアッツェレ・ローマでボートから車に乗り換えるのだ。

 クリスマス休みに家族でどこかに行こうと話しが出たとき、ドイツのバーデンバーデンとヴェネチアが候補に挙がった。ヴェネチアは地球上にふたつとないユニークな場所である。この時代、車が一台も走っていなくて、どこへ行くにも徒歩かボートなのだから。しかし、ドイツの温泉と田舎町のクリスマスの雰囲気も捨てがたい。結局、多数決で行き先はヴェネチアに決まったとき、僕はまず、ドナ・レオンの小説と主人公のブルネッティのことを考えた。その小説の舞台を訪ねてみるのも悪くはないと。と言うことで、今回僕のヴェネチアでのひとつの目標は、ブルネッティの足跡を体験することなのだ。

 我々はすっかり暗くなったヴェネチアの街を、ローマ広場から、カナル・グランデ(大運河)に沿って歩きだした。そして、国鉄のサンタ・ルチア駅の前で橋を渡り、リアルト橋を少し眺めて、結局は、街を突き切った形でサン・マルコ広場まで行ってしまった。途中、ひとつの教会で、聖書のシーンを人形で表現したセットを展示していた。背景、大道具、小道具が凝っていて面白い。その教会の前には何故か流れ星のマークがついていた。

我々はサン・マルコ広場の近くのレストランで、高くてまずい夕食を取った。皆その値段と味にぶつくさ言っている。その後、来た時と同じ道でホテルに戻った。僕も妻も子供たちも、動き疲れ、歩き疲れていた。しかし、子供たちには、ヴェネチアの街自体をかなり気に入っているようだった。僕はそれに安心した。

 

ヴェネチアの夜明け。

 

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