湖西線の弱点
帰りも予定外に米原を通ってしまった。今回は縁があるのかな。
三月二十日。目が覚めると午前八時。何ヶ月ぶりかに十時間眠った。少し二日酔いで頭が重い。京都へ帰る「サンダーバード」の時間は十一時五十六分。朝食の後、義母の見ている韓国ドラマを覗いて過ごす。
十一時半ごろに金沢駅へ行く。北陸線のダイヤは乱れていた。湖西線が強風のため現在不通とのこと。湖西線は、全線が高架で、山と湖の間の狭い土地に建設されているため、風に弱いのだ。星飛雄馬の「大リーグボール二号」と同じである、と言っても、理解される方はもうおられまい。(そう思うなら書くなよ。)
「敦賀まで行って、まだ湖西線が通れなければ、湖東回りで運転しますから、とりあえず乗ってください。」
駅員のアドバイスでとりあえず、「サンダーバード」に乗り、手を振る義父母に笑顔で応え、イスカンダルならぬ京都へと向かった。妻が義母に買い物を頼んでいたらしく、二十キロ近い荷物を持っての旅となった。
敦賀まで行って、結局「サンダーバード」は湖西線に入らず、北陸線を米原へ向かった。そして米原から東海道本線に入り、一時間足らずの遅れで京都に到着した。JRのすごさを思い知ったのは、敦賀を出てからすぐに、京都、新大阪、大阪の到着時刻が放送されたことだ。本来ダイヤのないところに無理やり臨時ダイヤを組み、そのダイヤを列車の車掌にフィードバックし、乗客に連絡する。その手際の良さには感心し、脱帽する。
僕のように急がぬ旅の人間は良いが、関空から飛行機に乗る乗客にはこの遅れは深刻であろう。飛行機は待ってくれないから。
「関空特急『はるか』にお乗換えのお客様は、京都で降おりにならず、そのまま新大阪までご乗車ください。着きました向かい側のホームに、『はるか』が停車しております。」
そんな放送が入る。日本の鉄道の素晴らしさ、それは単に時刻に正確なだけではない。突発事故が起きたときの危機管理も素晴らしい。これは、僕の職業においても大いに見習うべき点があると思った。
京都駅に着いて、翌日、鉄道博物館行くために東海道、東北新幹線で大宮までの指定席を予約し、実家に戻った。
三月二十一日。昨夜は、夕食後すぐ眠くなって床に入ったものの、真夜中過ぎに目が覚めそれから眠れない。数時間起きていてから睡眠剤を飲んだので、七時半に父に起こされたときには、まだ頭がフラフラしていた。朝食を無理やり腹に詰め込み、地下鉄の鞍馬口駅に向かって歩く。何となく真っ直ぐ歩いていない感じがする。
八時二十九分発の「ひかり」に乗る。「のぞみ」はほぼ十五分間隔で走っているのだが、JRパスでは乗れない。早くこの制約をなくしてほしいものである。乗ると同時に眠ってしまい、気がつくと列車は静岡県を走っていた。富士山が見えるが、てっぺんは雲に隠れていた。
東京から東北新幹線「なすの」郡山行きに乗る。