テレビ取材が来たものの

皆それぞれの「正装」でトラファルガースクエアに集結(写真提供:田中玲子)

 

 七月の終わりから、家族でポルトガルへ一週間の休暇に出かけた。七月中も、阪神タイガースは「恒例」の夏バテをする気配もなく、順調に勝ち星を重ねている。インターネットを見ることもできないポルトガルの海辺で、僕はしばし、タイガースのことも、自分の出した新聞広告のことも忘れていた。

 八月の上旬、ロンドンに戻り、溜まったEメールを読んでいると、門田さんという方から「賛同!」というタイトルでメールが入っていた。開けてみると、僕の出した新聞広告を見て、お便りを下さったと言う。わずか三、四行の囲みも何もない広告なので、気が付いてくれる人がいるかどうか心配していたが、少なくとも一人は目に止めてくれたわけだ。嬉しくなった私は、早速彼に返事を書き、近々会う約束をした。

 それから、数日間で、二、三人の方から問い合わせがあったが、それだけ。まあ、それでも、独りで祝うのではなく、一緒に祝える仲間が数人でもできたことを、僕は喜んだ。

 そんなある日、日本のある民放テレビ局から取材依頼が来た。トラファルガー広場で「六甲おろし」を歌う様子を撮影させてほしいということである。僕は少し焦った。テレビ局が取材に来るのに、参加者が数人では格好がつかない。何とか人数を集めなくては。僕は、会社の同僚などに声をかけまくった。賛同してくれる人も何人かいた。それでも、やっと七、八人の参加者を確保できただけだった。

 そんなある日、僕は「阪神タイガース優勝の夜、トラファルガースクエアで『六甲おろし』を歌う会」第一回総会と銘打って、飲み会を催した。しかし参加者は、第一賛同者の門田さんだけ。

約束の場所へ向かう地下鉄の中に、赤いネクタイをした若い日本人男性が乗り込んで来た。僕はそれが何故か門田さんのような気がした。彼とはこれまでメールのやり取りだけで一度も会っていないのだが。レストランに着いて、予約されていた席に案内される。果たして、そこに先に腰掛けていた門田さんは、まぎれもなく先ほど同じ地下鉄の車両に乗り合わせた、赤いネクタイの男性であった。虫の知らせとでも言うのだろうか。

 彼は僕と同じ京都の出身で、赴任して二年半。日本では、せっせと甲子園球場に通っていたとのこと。彼と一緒にビールを飲んで、飯を食って、かなり気が楽になった。

 ずっと日本に帰っていなので、応援のやり方をよく知らない僕は事務を担当し、門田さんに応援団長をお願いした。当日、その場を仕切ってもらうのだ。また、門田さんは、日本から、ハッピ、ユニフォーム、メガホンなどの応援グッズを送ってもらっている最中とのことであった。心配していた応援グッズもこれで何とかなる。会の名前が「阪神タイガース優勝の夜、トラファルガースクエアで『六甲おろし』を歌う会」では余りにも長いので、「虎ファルガーの会」という略称も決めた。

 これで、何となく、組織としての形が整ったのであるが、問題は、どれだけ人が集められるかということである。その結論が出ないまま、僕は門田さんと帰途についたのだった。