何とかせなあかん

 

優勝当日、トラファルガースクエアで、野次馬外人さんと(左端が筆者、田中玲子さん撮影)

 

昼休み、いつものようにインターネットを野球のページにつなぐ。八時間の時差の関係で、英国での十二時半は日本では午後八時半。ちょうど、ナイター試合の大勢が決する時刻である。今日も阪神タイガースは勝っている。そう言えば昨日も勝っていたっけ。そして、その前も。ずっと首位。二位との差も広がるばかり。ひょっとして、このまま行くと優勝では。そのときは、「まさか」と僕は自分の期待を自分で打ち消した。下手に期待して後で失望するよりは、最初から期待などしない方がよいのだ。これは僕がタイガースから学んだ処世術。

日本へは、毎年気候の良い四月に帰ることにしている。英国で野球に飢えている僕は、日本にいる間だけでもその禁断症状を癒そうと、夜はいつも実家で野球中継を見て過ごしている。昨年帰ったとき、タイガースは開幕九連勝だった。「開幕何連勝したチームの優勝確立は何パーセント」なんていう新聞記事に踊らされて、少しは期待もした。でも夏場に失速して四位。今年も、僕が日本にいた四月の二週間は好調だった。しかし、今年は去年とは違う。僕が英国に戻った後も、連勝また連勝である。

「マジック四十九」が出た七月八日、僕は真剣に考えた。

「何とかせなあかん。」

前回、タイガースが優勝した一九八五年、僕はドイツの片田舎にいた。ある日本企業の駐在員として、そこの工場で働いていたのだ。インターネットなどない時代、情報は日本から送られて来る、三日遅れの新聞が頼りだった。そんな中で、僕は阪神タイガースの優勝を知った。しかし、それを一緒に喜べる仲間は誰もいなかった。工場には何人か日本人の同僚もいた。しかし、富山県の企業であるため、周りは全て富山県出身者。伝統なのか、テレビが巨人戦しか映らない土地だからか、僕以外は全部巨人ファンだった。子供の頃から応援しているタイガースが優勝したのは嬉しかったけれど、誰ひとり一緒に喜べる相手はいないのは、結構寂しいことだった。

今回は、あんな寂しい思いはしたくない。僕は仲間を募ることを思い立った。その日家に戻ると、台所に英国で日本人のために発行されている新聞が置いてあった。英国にはそんな週刊新聞が数紙ある。妻が日本食料品店に買い物に行ったとき、貰ってきたものらしい。僕は、広告欄に目をやった。そして、広告の申し込み用紙を切り取り、次のような呼びかけ文を書いた。「阪神タイガース優勝の夜にトラファルガー・スクエアで『六甲おろし』を歌いませんか。賛同いただける方は、次のアドレスにメールを下さい。」僕はその紙を広告料の小切手と一緒に封筒に入れた。誰かが僕の広告を見て、メールをくれるかも知れない。仲間が数人でもできたら、優勝の夜にどこか日本食レストランで酒でも飲みに行って、帰り道、地下鉄の駅に向かう道すがら、タイガースの応援歌「六甲おろし」を歌える。そんなことを夢想しながら、いや、それ以上のことは期待もしないで、僕は封筒を家の近くのポストに入れたのだった。