スキースクール
指導員のジョバンニ(左から3人目)とスキースクールの面々
翌日はスキースクールの場所が分かり、午前十時に三人で集合場所に行った。そのスポルティニアという場所は、標高千五百メートルの村から、四人乗りリフトで、更に五百メートル近く上った、標高二千メートルを越える地点である。天気が良く、濃い青空に生える、白いアルプスの山々が美しい。これを見るだけでも来た甲斐があったと思う。
それぞれの能力、年齢、話す言葉によって、スキースクールのグループが決まる。数年前に一度スキーをやったことのある息子と私は中級、末娘は初心者の子供のグループ。スキースクールの指導員は皆赤い生地に白と青のストライプの入ったお揃いのジャンパーを着ている。私のグループの指導員はジョバンニ、五十二歳のイタリア人。太っていないことを除けば、どこにでもいる「イタリア人のおっちゃん」、つまり、陽気な人である。
彼についていくのは約十人。私を除けば全員が英国人、まあ、英語のグループということなので当然なのだが。若いところでは十三歳と十五歳の少年、最年長では五十台と思しき女性。年齢層の広いグループであった。
私たちはリフトで二千五百メートルの山頂まで上がり、そこからジョバンニの後について滑る。ときどき、ジョバンニがひとりずつ滑らせて、ブロークンだが要点を突いた英語で助言をしてくれる。一時間半ほどで一度集合場所まで戻る。トイレ休憩。ここで、数人の中年スキーヤーは「もう疲れた」と言って抜ける。その後七、八人になって、また山頂まで上がって、降りてきて、午後一時前に終了という段取りであった。
しかし、年齢層が広いだけに、ジョバンニも指導に苦労していたようだ。三日目に中年の女性から、グループを変わりたいという話があった。二人の少年がガンガン飛ばして、どうしてもそれに会わせて行動するので、ついていけないし、楽しくないというのである。結局、その女性はグループに留まることになったが、その日から、ジョバンニの指導は、ぐっと穏やかのものになった。
グループの中にコリンという名で私と同じくらいの年齢の男性がいた。英国の化学会社に勤めているという。彼は、スキージャンパーの内ポケットに常に平たいビンを隠し持っており、リフトを待っているときとか、ひとりずつ滑る順番を待っているときなど、ビンを取り出してはチビリチビリと飲んでいる。一緒にリフトに乗ったときに、
「あんた、いつも何を飲んでるの。」
と聞いた。
「ブランディーだ。身体を中から温めているわけだ。あんたも飲んでみるか。」
彼は、ビンを取り出し、私の口に押し付けた。マイナス十度、標高二千五百メートルで飲むブランディーの味は強烈だった。酒には強いはずの私だが、そのときはむせかえった。
六日間一緒に行動した同じグループの人たちとは、最後には皆がずいぶん仲良くなった。一緒にスポーツをすることによる連帯感というのは強いものである。それほど仲良くなりながら、もう彼らには死ぬまで二度と会わないことも確かなのだが。