ワタシを停めてー!
いよいよ、ゲレンデ。さあ、ガンガン滑るで。
私たちが滞在するサウゼ・ドゥルクスの村は、標高が千五百メートル以上のところにあった。片側が雪を頂いた山で片側が谷。その谷の向こうには更に同じようなアルプスの山々が見える。ホテルに着いたとき、娘が「いい眺めね」と感心していた。ただ、標高が高く、空気が薄いせいか、ホテルの階段を昇ると息が切れた。「もっと酸素を」と言う感じ。
ホテルの部屋は、六畳くらいで、ベッドが三つ。一つは簡易ベッドで、座るとギシギシとスプリングの音がした。何となくと言うか、当然の成り行きで、おちびの末娘が、そのギシギシベッドに寝ることになった。
娘の記憶は正しく、行方不明のトランクには、下着とか普通の着替えが詰まっており、届いたトランクの中に、スキーズボン、ゴーグル、手袋、毛糸の帽子、厚手の靴下などのスキーアイテムが入っていた。やったー。正に不幸中の幸い。これで、少なくとも、明日からのスキーには困らないわけである。私は心から安堵した。息子の着替えは彼のトランクの中にあったので、下着や靴下は背格好が同じ息子の物を借りれば数日間は何とかなる。
その日の夕方、ツアーの説明と、リフト券の受取りのために、旅行会社主催の「ウェルカム・ミーティング」が村の中心のパブであると言うので、そこへ出かけた。ところがそこも、トリノ空港に勝るとも劣らない「カオス」状態であった。とにかく、私の申し込んだ旅行会社だけでも、二百人近くのお客が来ているのに、それを相手する旅行会社の職員が三人しかいない。おまけにその三人の指示が曖昧な上に、そいつ等の段取りの悪いこと。その夕方、単にリフト券を貰うだけで、二時間くらいかかってしまった。
翌朝は快晴。青い空に白い山が映えている。朝九時、村のスポーツ店で、スキーを借りる。十年ぶりくらいにスキーを手にするが、案外重たいものであった。早速ゲレンデへ向かう。ゲレンデは、ホテルから歩いて十分ほど。しかし、娘と二人分のスキーをかついて、上り坂を行くと、氷点下の気温にもかかわらず、それだけで汗が噴出す。
十二時からスキー学校が始まる予定と言うことで、それと思われる場所に三人で言ったが、誰も現れない。仕方なく、ゲレンデの一番下で、私が生まれて初めてスキーをはいた娘に、停まりかたと曲がり方を教えることにした。「ダディのスキー教室」
「曲がるときは、スキーを『ハ』の字に開いて、外側のスキーに体重を掛けるのだ。やってごらん。そう、そこで外側に!」
「ええっと。『外側』ってどっちだっけ。きゃあ!」
娘は谷の方に向かって滑り出した。
「ストップ・ミー!」
と大声で叫びながら、どんどん加速していく。彼女は、ゲレンデの端でコンコロコンと派手に転倒して泊まった。辺りの人が心配そうに眺めている。私も彼女が怪我でもしていないか心配になって駆け寄った。しかし、ダンスで鍛えた身の軽い娘は、何事もなかったように立ち上がった。その日の夕方までに彼女は曲がりなりにも、曲がり方をマスターした。