ヤン・ゼクハース
Jan Seghers
「雪の中の花嫁」
Die Braut im
Schee
2005年
<はじめに>
デュッセルドルフ空港の中の本屋のおばさんのお薦め。出張の帰り道、空港で本を選んでいたら、本屋のおばさんが、「兄ちゃん、これ面白いから読んでみな」と薦めてくれた。四百八十ページの長編。飛行機の中で読み始めて、最初はどうも、ヘニング・マンケルの二番煎じという印象が鼻についたが、それなりに面白く、そのうち引き込まれて最後の二百ページは二日で読んでしまった。
<ストーリー>
第一部
主人公は、フランクフルト警察の警視、ロベルト・マルターラー。彼は中部ドイツ、カッセル近郊の小さな村の出身。マーブルク大学でドイツ文学を専攻したあと、大学で知り合ったカタリーナと結婚。彼女は十八年前、銀行で強盗事件に巻き込まれ、命を落とす。それがきっかけとなり、マルターラーは警察に入ることを決心、今では殺人課の敏腕刑事として、知られている。
事件の発端は、十一月のある日。歯科医のガブリエレ・ハスラーは仕事時間中から、何者かに見張られているような気がして落ち着かない。夕方、彼女は家路につくが、自宅の前で、何者かに呼び止められる。
翌朝は雪であった。ガブリエレ・ハスラーの死体が彼女の家の庭で発見される。彼女は下半身をむき出しにして、尻を突き出した格好で、雪の中で死んでいた。彼女の家の中には、争った跡があり、彼女の身体には縛られ、乱暴された跡があった。
マルターラーと、彼のチームが捜査を開始する。殺されたガブリエレ・ハスラーは婚約していた。しかし、その婚約者も、彼女の部下も、隣人たちも、彼女についてはほとんど何も知らない。彼女は、謎に包まれた女性であった。
解剖の結果、殺されたガブリエレの手の中から白い繊維がみつかる。それは花嫁衣裳のベールの一部であった。殺人者は、彼女に花嫁のベールを被せようとしたのである。また不思議なことに、彼女の身体には性交の後がなかった。
マルターラーは、かつてテレザというチェコ人の女性と同棲をしていたが、その後、テレザは仕事を得て、マドリッドで暮らすことになった。そのテレザが事件のあった日の昼にフランクフルトに戻ってくる。マルターラーはテレザを空港まで迎えに行くことを約束していた。しかし、彼は忙しさの余り、彼女との約束を忘れてしまう。気が付いたときには到着の時間はとうに過ぎていた。テレザからは何の連絡もない。その日から、テレザの消息は途絶える。
眠れぬマルターラーは、深夜、犯行現場のガブリエレ・ハスラーの家に入る。彼は、家の中で、エロチックな下着類を発見する。しかし、深夜その家にいたのはマルターラーだけではなかった。見知らぬ人物が、暗がりで突然マルターラーにカメラのストロボを浴びせ、ひるんだマルターラーを階段から突き落とす。マルターラーは背中を負傷する。
猟奇的な殺人は、フランクフルト市民の話題となる。しかし捜査は、これと言った進展が全くないままに日が過ぎる。
マルターラーは、殺されたガブリエレが通っていた大学を訪れる。そしてその職員や教授から、彼女が大学時代、シュテファニー・ヴォルフラムという級友と一緒に住んでいたことを知る。マルターラーは、シュテファニーがダルムシュタットに住んでいることを知り、彼女を訪れることにする。マルターラーはその道中、シュテファニーのアパートに電話を入れる。若い女性が受話器を取る。しかし、マルターラーとの会話中に何者かがドアを破りアパートに侵入し、その女性を射殺する。電話の向こうで、マルターラーはその一部始終を聴くことになる。
しかし、殺された若い女性は、シュテファニー・ヴォルフラムではなかった。彼女は旅に出かけ、留守の間、別の女性に部屋を貸していたのであった。殺されたのは、間借り人であった。マルターラーは、シュテファニーが何かの情報を握っており、ガブリエレ殺しの犯人がその秘密を公にしたくないために、シュテファニーを殺そうとしたと考える。マルターラーとそのチームは、シュテファニーが旅行をしているオーストラリア、ニュージーランドの警察に要請して、シュテファニーの行方を捜すが、彼女の足取りはつかめない。
マルターラーの上司、ヘルマンは、マルターラーの捜査班に、増強として、ライムンド・トラーという警官を送り込む。トラーはかつてマルターラーとぶつかった過去がある。マルターラーは馬の合わないトラーの参加を拒もうとするが、上司のヘルマンの命令ということで、最後には承諾する。
類似した性犯罪の、かつての犯人を捜すうちに、ドレヴィッツという人物が捜査線上に挙がる。マルターラーと同僚のトラーは、深夜その人物を尾行する。港湾地域で、その男の隠れ家を発見し、ふたりは進入する。しかし、男は、隠れ家を爆破して、逃亡する。
上司のヘルマンは爆破事件を起こし、逃亡したドレヴィッツを女性ふたりの殺人犯人と断定して、捜査を進めようとする。マルターラーは上司のヘルマンの捜査方針を納得できない。ふたりは記者会見の席上で対立し、マルターラーは記者たちの前で、上司を非難する。二人の確執はマスコミに大々的に取り上げられることになる。マルターラーは、その責任を取らされて、捜査班から外され、休職扱いになる。
マルターラーに理解を示す警察署長アイスラーの計らいで、彼は私的に捜査を続けることができた。しかし、捜査班の捜査も、彼自身の捜査も一向に進展を見せない。マルターラーは行方不明になっていた恋人のテレザを探し出し、ふたりは関係を回復する。クリスマスにカッセル近郊に住む両親を久しぶりに訪れる。そして、年が暮れ、新年を迎える。
第二部
春の気配が感じられる二月十六日、化粧品のコンサルタントをしているアンドレア・ローレンツはいつものように仕事に出かける。午前中にマッサージとスキンケアの顧客をこなし、次のアポイントは午後。しかし、その顧客から、落ち合う場所を、顧客の家ではなく、マイン川沿いの自然保護地区に変更するという連絡が入る。訝しく思いながら、彼女は顧客の指定した場所に向かう。約束の時間になっても顧客は現れない。あきらめて、林の中を散歩し始めたアンドレアは、藪の中に誰かが潜んでいるのに気付く。
同じ日、貧しい高校生、トビーは、ガールフレンドのマーラを誘ってサイクリングに出かける。自然保護地区の林の中で弁当を食べた後、マーラは眠ってしまう。ひとりで林の中を歩いているうちに、トビーは林の中で車を発進させようとしている男に出会う。男はトビーを見つけると、ピストルを持って追いかけて来た。必死で逃げ、男をやっとのことで振り切ったトビーは、マーラの居る場所に戻る。マーラはそこで女性の死体を発見し、立ちすくんでいた。
ふたりはその場を立ち去る。男の仕返しを恐れるために、マーラが匿名で警察に電話をし、死体の発見を告げる。
マルターラーは休職を解かれ、再び捜査班を率いることになった。彼はその日、ステファニー・ヴォルフラムの両親を訪れていた。ステファニーがからの、もうすぐにドイツに帰ると告げた葉書が、両親の元に届いたのであった。
死体発見の連絡を受けた、マルターラーと彼のチームは、現場に駆けつける。アンドレア・ローレンツは、ガブリエレ・ハスラーとほぼ同じやり方で殺されていた。そして、花嫁のベールがその傍に残されていた。警察は、アンドレアとガブリエレが同じ犯人によって殺されたことを確信する。
警察は、犯人を追うと共に、死体発見の電話を架けてきた少女の行方を捜す。マーラは間もなく警察に特定され、彼女は警察署に呼ばれる。マルターラーは、彼女に警察への協力を頼み、彼女はボーイフレンドのトビーを警察に出頭するように説得してみることを約束する。しかし、殺人者らしい男の唯一の目撃者であるトビーは、犯人の目標が自分に向いてくることを恐れ、証言を拒否する。トビーは自分の家の前に、不審な男が立っているのを見つける。彼は、祖父の世話をマーラに頼み、自分は裏口から自転車で脱出する。
ステファニー・ヴォルフラムがフランクフルトに戻る。マルターラーは両親と共に彼女を駅で迎え、彼女を離れた場所のホテルに匿い、彼女から話を聞く。ステファニーは、学生時代から、ルームメートのガブリエラが売春で金を得ていたことを証言する。
捜査の結果、殺されたアンドレア・ローレンツも、化粧品コンサルタントだけではなく、売春により、夫が失業中の家計を助けていたことを知る。ふたりには共通点があったのだ。マルターラーは、犯人がふたりの共通の「客」のひとりであると確信する。
マルターラーの同僚、ケルステン・ヘンシェルは、インターネットの「出会い系」のサイトで、アンドレア・ローレンツの名前を発見。殺されたガブリエラとアンドレアが、このページで客を見つけていたのではないかと推理する。そして、自分がそのサイトに入り、売春を提供することにより、犯人を誘き出すことが出来るのではないかと考える。
一方マルターラーが自宅に戻ると、ドアの前に自転車とひとりの少年が立っていた。その少年は「トビー」と名乗った・・・
<感想など>
最初、舞台がフランクフルトと言うのがちょっと気になった。私にとって、フランクフルトは、ドイツの町々の中では、これと言った特徴のない、退屈な街という印象が強い。私事ではあるが、私はかつてフランクフルトの近郊に住んでいて、街の特徴を良く知っている。買い物には便利だが、別にこれと言って見る場所もないつまらない場所という印象。
ずいぶんつまらない場所を舞台に選んだものだと思った。ドナ・レオン警視ブルネッティー・シリーズの舞台はヴェニス。ヘニング・マンケルのヴァランダー・シリーズの舞台がスウェーデンのスコーネ地方。これらに比べると、明らかにフランクフルトは魅力に欠けると思う。しかし、それなりに、その「特徴のない街の特徴」が、話の中に巧に織り込まれていて、読んでいて面白かった。
反面、知っている土地が舞台になると言うのは楽しい。マルターラーの学んでいたのがマーブルク大学というのが嬉しい。私と家族はこの大学町に七年間暮らしていた。ガブリエラの住んでいたオッフェンバッハ、マルターラーの故郷のカッセルも、よく訪れた場所である。
知っている場所が出てくるという個人的な感慨はさて置き、先に進もう。
この小説は、ヘニング・マンケルの「クルト・ヴァランダー」シリーズを意識して書かれたものであると言う。しかし、言われなくても、ロベルト・マルターラーとクルト・ヴァランダーの類似点がどんどん出てくる。余りにも出てきすぎて、最初はちょっと「これって単なる真似じゃない」と思ってしまう。しかし、読み進むうちに、マルターラーの個性がだんだんとはっきりしてきて、それほど気にならなくなった。
マルターラーもヴァランダーと同じく、太り始めた中年男である。死別、離別の違いはあるものの、「ウジの湧く」男やもめ。体重の増加が気になり、突然スポーツを始めたりする。ふたりともクラシック音楽のファンである。
またマルターラーとヴァランダーの、警察での地位や立場、捜査班の構成なども似ている。例えば、捜査班に、若くて「やり手」の女性メンバーがいるところなど。マルターラーの捜査班の紅一点のケルステン・ヘンシェルと、ヴァランダーの同僚アン・ブリット・ヘグルンドは、年齢も、性格も、役割も、酷似している。また、彼の上司のヘルマンは、ドナ・レオンの「ブルネッティー」シリーズに登場する、副署長パッタほど戯画化されてはいないものの、トンチンカンな理由で捜査を妨害し、主人公を窮地に陥れると役割は良く似ていると思う。
しかし、なかなか良く考えられ、それなりに良く構成されているので「二番煎じ」という印象は、読み進むうちに払拭された。
さえない中年という意味では、ヴァランダーの方が上か。マルターラーの方が、女性関係は盛んであるようだ。マルターラーを巡る女性関係。
先ずテレザ。チェコ人で美術の研究をしている。かつて一緒に住んでいたが、彼女がマドリッドで仕事を見つけて家を出る。久しぶりに帰ってきた彼女を空港で迎えるのをマルターラーは忘れてしまい、テレザは行方不明。やっと見つけたと思ったら、同じ家から男が現れ、その男をマルターラーは殴り倒してしまう。
次にケルステン・ヘンシェル。同僚であり、彼の良き相談相手である大柄な女性。ふたりは捜査についてだけではなく、結構個人的事も話している。そんなに信頼しきっていて、二人の間に変な気が起こらないのだろうかと邪推してしまう。
テア・ホルマン。二十五歳前後の女医。検視医のドクター・ハインリヒの新しい助手で、てきぱきとした小柄な女性である。テレザに振られたと勘違いしたマルターラーは、駅前のレストランで彼女を見かけ、一緒に食事をする。そして、酔っ払ったふたりはベッドを共にする。
エルヴィラ。秘書のおばさん。マルターラーよりも年上。良く気が付く、捜査班のお母さん的存在である。マルターラーは彼女にも、個人的な悩みをしばしば相談しているようである。
人妻売春、出会い系のサイトなどが登場するのも、その時々のトピックを話しの中に取り入れている、マンケルの作風に似ている。しかし、私は、二十年後にこの話を読んだ人間が、現在「ホット」である事項にどんな印象を抱くだろうかと、そっちの方に興味がある。
個人的に、マルターラーの捜査の進め方には共感が持てる。かれは同僚との捜査会議を頻繁に行う。彼の捜査方針は「全ての情報を全員が共有する」という信念に貫かれている。彼は、自宅で皆にピザを振舞いながら、捜査会議をやってしまう。これには驚いた。
ピザで思い出したが、やたらとピザが登場するのである。仕事時間中に何か食べるシーンがあると、いつも出前のピザ。ソーセージやポテトを追い抜いて、ピザはドイツでは、国民的スナックの地位を獲得しつつあるのであろうか。それとも作者が個人的に好きなだけなのか。
マルターラーの戦う相手は、もちろん未知の殺人犯人であるが、もうひとつの「敵」がある。それはマスコミである。どうもフランクフルトの新聞やテレビは、警察やマルターラーに好意的ではない。彼は物語の中で、二度、マスコミに叩かれる。
ドイツ語で読んでいて、面白いと思った一言。ドイツ語で書かせていただく。
Alle
wsussten, wer Gabriele Hasler war; aber keiner kannte sie.
(55ページ)
これは、マルターラーの部下、リープマンが漏らした、ガブリエレ・ハスラーに対する感想である。
「皆ガブリエレ・ハスラーが誰であるか知っているけれど、誰も本当の彼女を知らない。」
そんな意味である。ドイツ語にはwissen(「知識として」知る) とkennen(「個人的に」知る)とふたつの「知る」という言葉があるのだが、その使い分けが面白いと思った。
この本が長いのには理由がある。登場人物に対して、その生い立ち、背景などが、詳細に説明されているからである。これも、「全ての情報を読者と共有したい」という、作者の気配りなのだろうか。
結論として、「面白いから読んでみな」と、他人に薦められる本である。この本を教えてくれた、デュッセルドルフ空港の書店のおばさんに感謝の意を捧げたい。
(2007年4月)