氷の上で
私は、シュリンクの作品を通読して、彼のナチス時代に対する特別な思い入れと、その時代に対する、「建前」、「きれいごと」で終わらない庶民の目から見た正直な見解に注目した。作品を通じてではなく、直接彼の考えに触れてみたいと思っていたところ、「シュピーゲル」誌、二〇〇一年第一九号に、ちょうど彼が「氷の上で・現在における過去」と言う論文を執筆し、自分たちの世代とナチス時代との関係、自分たちの世代に与えられた役割について語っているのを見つけた。
正直、読み易い彼の小説の文章からは程遠い、かなり難解な文章であった。彼が法律家であることを思い出し、法律家はどの国でも分かりにくい文を書くものだとも思った。ともかく通読し、その全訳は以下に掲載しておく。
さて、その論文での彼の主張を要約すると、以下のようになるだろうか。
ナチス時代の当事者であるシュリンクの両親達の世代には、ナチスとユダヤ人虐殺について語ることはタブーであった。「生々しさ」、「後ろめたさ」がまだまだ強かったと言うことであろうか。それに対し、戦争直後に育った彼の世代は、ナチス時代とユダヤ人虐殺について語ることを最初に始めた世代である。そして、シュリンクの世代の歴史観、ドイツ人として自己認識も、ナチス時代の出来事に大きな影響を受けている、と彼は述べている。
しかし、シュリンクの世代が勇気を持って語り始めたナチスとユダヤ人虐殺に関する過去も、時が過ぎるにつれて、その取り扱われ方がだんだん通俗的になってくる。ありきたりの解釈、ありきたりの比較しか行われなくなり、彼の次の時代は過去の出来事に対する関心を失い始めている。
彼はこの論文を「氷の上で」と名づけている。それは現在のドイツ人が、薄い氷の上のような危なっかしい状態で、かろうじて生きていることを指摘している。つまり我々がその上に立って生きている人間の道徳心は実は氷のように薄い。それが、たやすく割れてしまうことをドイツ人だけは過去の経験から知っている。シュリンクは現在の安定した状態も、その「氷」が厚くなってきているのではなく、「氷」の薄さに人々が気づかなくなってきているだけではないかと、危惧している。
また、過去の反省は制度としてよりも、個人の道徳心に頼っていることも危ういことであると彼は指摘する。道徳心は統制や制度の前にあっけなく飲み込まれてしまうことも、過去の事実が示している。過去の反省は制度的なものとして、将来に残さねばならないと彼は述べる。
ともかく、彼の世代は、次の世代に、過去からの教訓を少しでも残そうと努力してきた。過去の様々な出来事は、その時代に生きた人たちの努力により「歴史」へと昇華されていく。正しい形で「歴史」を残し、後の世代に適切な指示を与えることが、自分たちの世代に務めでであると、シュリンクは主張する。つまり、「私たちが拠り所にしている道徳心がいかに脆いものであるか」、「私たちがいかに薄い氷の上で生活しているか」次の世代、そのまた次の世代に警鐘を与え続けることが、彼らの世代に負わされた使命であるというのである。
<全訳>
氷の上で
第三帝国とユダヤ人虐殺に関わることの必要性と危険
Der Spiegel 19/2001 より。
筆者紹介:ベルンハルト・シュリンク
ベルリン・フンボルト大学で人権法と法哲学の教授。東ドイツ崩壊の際、憲法の専門家として円卓会議に就く。五六歳。一九九五年に発行された「朗読者」はベストセラーとなり三十二カ国語に翻訳されている。
I
あと数年で私の年代は六十歳を迎える。私の年代は戦中の最後の数年と、戦後の最初の数年に生まれ、新生ドイツ連邦共和国と共に成長した。私たちは五十年代の復興の時代を享受し、それに飽き、それに立ち向かった。六十年代、私たちは政治に興味を持ち、七十年代には職業に就き、八十年代に経験を積み、九十年代以降は政治、政府、経済、教育、メディアなどの世界で、それなりに重要な地位を占めるに至った。そして、これから数年で私たちの時代は終焉を迎える。
私の世代の人間が、これまで何を望み、何をしてきたかについて、自分たちの誕生日にスピーチするとしよう。その際、殆どのスピーチで、過去のナチス時代とユダヤ人虐殺の話題が言及されるであろう。
私の世代に属する人間が、もし、科学、教育、文化、メディア等の分野で働いているならば、ナチス政権、ユダヤ人虐殺等の過去は、遅かれ早かれ一度は話し合いのテーマになったはずである。あるいは、まだ話題になっている最中かも知れない。また、政治、経営、裁判等の分野で働いている人間は、自由、平等、法律の遵守の意味を、それらの不幸な過去の出来事を通じ、より強く理解したであろう。また経済の分野や自由業として働き、自分たちがなすべき責任について考えたことのある人は、思考がナチス時代とユダヤ人虐殺へ巻き込まれて行くことを避けることができなかったであろう。
ナチス政権とユダヤ人虐殺という過去は、私の世代に属する多くの人間の心に強く刻み込まれている。その過去はしばしば私たちの両親との言い争いや、隔絶の原因となった。その過去の影の中に私たちの「ドイツという国の歴史像」が形作られ、その過去をふまえて外国で私たちはドイツ人と呼ばれ、自身をドイツ人だと感じるようになった。私たちの活動の中で、過去が果たす役割が大きいにせよ小さいにせよ、その過去と向き合うことが、私たちの自己認識と自己表現を構成する際の重要な要素となったのである。
これが「現代における過去」、過去が現在に生き続けることへの、ひとつの現実的な理由である。加害者も被害者も過去について語ることにためらいを持っていたひとつ前の世代に代わり、過去について語ることがもはや自明な私たちの世代が社会の主流となった。私の世代の経験、発想、話題が主流となった中で、私たちに刻み込まれた過去、また私たちがそれに取り組む過去もまた、表舞台に出てきたのである。
それは無害なものばかりではない。ナチス時代とユダヤ人虐殺が六十年代に話題となったとき、その話題は数々の抵抗に逆らって主張されなければならなかった。忌わしい物を忘れてしまいたい、押し流してしまいたいという抵抗に打ち勝つため、その話題は何回も繰り返し主張されなければならなかった。しかし、私たちの世代が当時、反逆者としての誇りを持って、しかし道徳的な力も失うことなく行った主張は、その機能が失われた後も、一応は保持され続けた。過去を忘れ押し流してしまうべきではないなどと言う事を、誰も考えなくなった後も。そして、過去をテーマに語ることに勇気が不要になり、それを誇りに思われなくなった後も。
しかし、私の世代が残した成果は、どんどんと通俗的なものに転化されたしまった。次から次へと行われる催しや、次から次へと作られる記念碑。ひっきりなしの会議や書物。過去の忘却と排除に反対する新聞記事。コソヴォとアウシュヴィッツの比較。サダム・フセインとヒトラーの比較。ベルリンの壁の警備と強制収容所での大量虐殺の比較。現在の外国人排斥と当時のユダヤ人排斥の比較。一度はどうしても必要であった過去に対する主張の遺産が、現在、あたかも過去を小銭で贖おうとしているかの如く取り扱われている。
過去を扱うことに対する通俗化が、私の次の世代には致命的な結果をもたらした。次の世代がナチス時代やユダヤ人虐殺という過去に対してしばしば見せる「もう聞き飽きた」という反応は、彼らが学校やメディアで学んだ過去が、どんどん通俗的なものになってきたことに起因している。また私の次の世代が過去を語るときの気軽な調子や自嘲的な調子の原因に、前の世代が持っていた道徳的な熱情への揶揄がある。私の世代は、その熱情を持って、過去と関わり合い、過去を比較の対象としてきたのであり、道徳的な点に重点を置くことはなかった。
過去と現在の比較をしてはならないと言うわけではない。ユダヤ人虐殺が比較する物さえないような命題であると大げさに言うことは、それを通俗的な比較の小銭で贖うのと同じくらい致命的である。確かに、ユダヤ人虐殺のような前例のない、比較の対象のない過去の出来事は、私たちに十分な距離を保った「歴史的な出来事」としては受け止めにくい。そして、それについて語る時の道徳的な熱情は空虚なものとなる。道徳的な活動によって存在的に解決されない道徳的な熱情は、正しものではない。そして次の世代はそれに対して確かな嗅覚を持っている。
II
ユダヤ人虐殺とナチス政権の歴史的な独自性、そしてそれに対し絶え間ない不安を抱くという事実は、私たちの国が歴史的な遺産とともに、文明的な状態の上において、その時々の恐ろしい出来事に対応していく能力があることを意味する。しかし、それは以下のような疑問を生み出す。その疑問は氷に喩えられている。
一、ナチス時代、人が文化的に文明的にしっかりとその上に立っていると思っていた氷が、現在の私たちの目から見ると実際はとても薄いものであることが分かった。では私たちが現在その上で生きている氷はどれほど厚いものなのだろうか。
二、何が、氷が割れて落ちることから私たちを守ってくれるのだろうか。個人の道徳心なのだろうか。それとも社会的な、国家的な機関なのだろうか。
三、その氷は時と共に厚くなるのだろうか、それとも時の経過と共に氷が薄いという事実が忘れ去られるだけなのだろうか。
これらの疑問は私たちの道徳的な存在の根底に関わってくる。更に、社会の中で、国家の中で私たちが共に生きていくことの根底に関わる疑問である。また、ここ数十年間の政治的、経済的に安定した状態の中で、文化的、文明的にも安定した状態の中で、再び動揺と挑戦を呼び起こす疑問である。しかし、同時にそれは、毎日私たちが遭遇する疑問ではなく、毎日私たちに投げかけられ、答えを要求される疑問でもない。多分この疑問には次のような答え以外はない。その回答とは、「私たちの生活の中で私たちに与えられた物に対して、つまり他の人々との関係や、職業、組織などに対して、自分の責任を自覚して生きること」、それだけである。
私の世代のナチス時代とユダヤ人虐殺に関する活動から明らかになった、他の危険がある。それは、私たちが過去から学んだ教訓は制度的なものと言うより個人の道徳的なものであると言うことだ。私たちが両親、教師たち、教授たちや政治家に対して非難したことは、その盲目性、臆病さ、ご都合主義、出世に対する貪欲で無計画な追求、市民としての勇気の欠如である。その非難において、個人としての道徳心の欠如が指摘された。そしてその非難の中で、彼らには改めて道徳的な行動が義務付けられた。
前の世代に対する非難から更に高められた道徳的な要求は、そんな非難することは誤っていると叱責されたこともあったが、確かに正しい面もあることも理解されている。それは「勇気の大切さ」が示されたことである。私たちが教える立場になった時点において、私たちは次の世代に、市民的な、道徳的な勇気を示すことを教えようと努力した。それはまさに過去からの教訓である。勇気を実行することに価値がある。後になればなるほど効果が薄れてしまうため、勇気は何事にも先頭を切って示されなければ価値がない。過去の色々な局面の中でなされたことが何かという疑問を持ちながら、来るべき状況に対して周到に準備をすることに価値があるのである。
確かに過去は真実を示す。しかしそれは半分だけの真実に過ぎない。同じように過去が明確に証言するものは次の点である。認識でき、それをアピールし、それを計算することができると思われている制度が誤った方向へ向かった時、個人の道徳心がいかに役に立たないかと言う点である。ひとたび政党、労働組合、経済団体、教会、団体、大学、学校、法廷が統制されれば、それに抵抗する道徳心は、冒険的な、英雄的なポーズをすることによる、単なる自己防衛になってしまう。
ナチス時代やユダヤ人虐殺の時代においても、それに対する単なるポーズではない真の抵抗があることはあった。だが、その根底にあるものは個人の道徳心ではなく、共産主義的、社会主義的な連帯や、キリスト教の信仰心、教会の責任感、貴族や将校の栄誉であった。過去からの教訓、その教訓については、連邦共和国と新憲法を体験した父母の世代が私たちの世代よりもよく分かっているはずなのだが、社会が誤った方向へ行くことを食い止めるもの、それは社会的な、国家的な制度であることに価値がある。その制度の上に初めて、決定的な瞬間に抵抗する力を持たねばならない時の為に、個人の道徳心の向上がなされるべきなのである。
制度を構成する者が道徳的に際立っていなくてはならないという意味ではない。政治における道徳的なアピール、法廷における道徳に偏った議論、教会が全ての社会生活の分野を道徳と結び付けてしまうこと、道徳に重点を置いた学校や大学での責任ついての議論、これら全ては過去からの誤った遺物である。正しく機能する制度の中では、道徳的なものは自明のことなのである。
III
それは過去を克服することなのであろうか。過去が私たちに教えてくれた「危なっかしい氷の上での生活している」事実について考えることは?
過去は克服でき、克服されなければならないという考えを持っていればいるほど、パラドックスが広がっていく。「克服」の本来の意味は「放棄」にある。「克服」とは、ある事が先ず私たちの前に立ちはだかり、それが加工され、最終的に処理され、そして克服される。その後初めて私たちはそれから逃れるこができる。
過去の克服が可能で必要であるという考えは、過去から開放されたいという憧憬を含んでいる。それと同時に、ひとつの要求を裏付けている。どのような課題においても、それに一生懸命取り組んでいる者が期待することは、課題が最終的に片付く事であり、一度片付いた課題については二度と蒸し返されることがないことである。過去の記憶と一生懸命取り組んだものは、もはや過去に束縛されたくないであろう。思い出した者は、忘れられることを望む。
過去について特別に感じ易く、過去を強く記憶している私たちの世代に属する人間は、国外でドイツの犯した過去の出来事ゆえに、拒絶に会うことがある。その拒絶に腹を立てたとき、そのパラドックスが明白となる。他の国の人々が、いかに過去を捕まえることを敢えて試みているにしても、それに対しては、彼らなりに、繊細に、熱心に参加させておけばよいのである。
しかし、トラウマ的な過去に捕らわれたくないという憧れは、誤ったものではない。誤っているのは、トラウマ的な過去を確定することが過去からの解放を保証するという考えである。個人の過去にしても総体としての過去にしても、それを思い出してはならないがゆえにトラウマ的なのであるだけではなく、それを思い出さなくてはならないがゆえにトラウマ的なのである。過去を固めてしまうことはその欲求の一面に過ぎない。トラウマからの脱却は、思い出しそして忘れることができることである。思い出すことも忘れることも同じように、静かに見守ることである。
トラウマからの脱却は、加害者とその子孫も、被害者とその子孫に同じように当てはまる。そして両者がトラウマから抜け出して、初めて真のトラウマからの脱却が成功するのである。ただ、私たちは相手がいつかそれに成功することを祈るだけで、期待することはできない。
ドイツ人が過去からの逃れようと一所懸命になっているとき、相手側に過去を煩わさないように、静かにしているように要求する権利はない。相手方が、どのようにあるいは何を覚え何を忘れているか、犠牲者を嘆き、加害者を糾弾し、生存者が補償を要求するような、トラウマ的な過去からどれくらい解放されたいと願っているのかは、被害者である相手方の問題なのだ。なされねばならないこと、それは私たちがそれに対して激昂してはいけないことである。また、私たちの側にトラウマをもたらした過去と、相手側が黙って向き合っていることを尊重することなのである。
しかし、私たちは、被害者側がしていること、告発したり訴求したりすることを、右から左に受け容れるべきではない。その被害者の告発が正しいかどうかという問題だけではなく、その訴求に対して金を払わなければならないと言う問題からでもない。そこでは多分正義は支配しない。支配するのは政略と考慮である。被害者の側の要求を受け容れるだけではなく、世界の誰もが納得できる政略と考慮である。仮に借りがなくなってから始めて支払うようなことになったとしても。そのことは、それなりの正しさを持っている。しかし、それは私たちの過去に対する私たちの行為とは何も関係がない。それは過去が被害者にとってまだトラウマ的だと言うことが、私たちにとって同じようにトラウマ的でなくもよい、というを意味する。トラウマからの脱却は会話の中で行われ、他方がそれから脱却するのをもう一方は待つ必要はないのである。待っている間にお互いがまたトラウマの中に捕らわれてしまうことが考えられるからである。
克服はない。しかし、過去が現代に呼び起こした疑問と感情と共に生きることはできる。疑問と感情と生きる。もちろん過去は私たちに疑問は発しない、しかし言葉を失わせる、悲しく、または腹立たしくさせる、神と人間の公正さに疑いを持たせる。罪の意識に苛ませる。その罪の意識は当時加害者だった者だけではなく、傍観者であった者、後にその加害者を許した者さえも取り込んでいくのである。
過去がともかくも疑問や感情を喚起されなかったとしたら、十分に金を両替せず、それを使わなかったようなものだ。そこからは何も得るものはない。小銭では過去の道徳的な遺言を簡単に失ってしまいやすい。ナチス政権とユダヤ人虐殺が、私たちの次の世代に疑問を抱かせたり、感じなくさせたことは、彼らが私たちとは違った、独自のやり方で過去を捕らえているからである。いずれにせよ、多くのことが、当事者である第一世代や、私たちの第二世代のように、彼らの前に立ちはだらない。第三世代は罪の意識にさいなまれることは稀であり、その次の世代では皆無であろう。
IV
過去は決して取り除かれてはならない。過去の残虐性が忘れ去ることのできないくらい恐ろしいものであると言う理由だけではない。過去が私たちに文化的な文明的な存在が常に危機さらされていることを知らしめるという理由だけではない。過去は道徳的なテーマと道徳的な問題を覆い隠す布のようなものでもある。責任と信念、抵抗と適応、忠実と裏切り、躊躇と実行、権力、欲望、正義と良心。それらのドラマで、現在の生活に手が届くほどの近い、手を伸ばせば届くような倫理的な特質を持った過去の出来事として、語られないものはない。
スターリンやポル・ポトの粛清と違い、ユダヤ人虐殺とナチス政権は、市民的な文化の悪用であり、その市民文化の内容的や形式的な普遍性が悪用された姿を呈している。ユダヤ人虐殺やナチス時代をテーマにした本、映画、戯曲、催しの洪水はドイツだけではなく世界中で終わるところを知らない。それらの中でも過去は普遍的である。つまり、ユダヤ人虐殺と戦争は、ドイツ人対ユダヤ人、東欧対西欧、アメリカ対アジア、アフリカ等、それまで敵対していたもの同士が様々な形で関与した最後の出来事であると言う。その敵対関係は色々な方法で我々の全ての歴史に登場している。
それは過去がなお風化していないことを表している。特別な努力や用意をしなくても、私たちの世代が、六十年代七十年代に覚えたことを今日何回も繰り返さななくても、私たちの次の世代が飽き飽きし自嘲的になってしまう危険をはらむまで過去に対峙しなくても。まさにナチス政権とユダヤ人虐殺が消え去ることがないと言う一般的な次元を持っているがゆえに、過去は次の世代に対して歴史となりうるのである。
集団としての出来事が個人としての出来事と同じように歴史であるとき、その「出来事」は集団の歴史、ひいては個人の伝記よりも支配的なものではなく、その歴史の中に抱合されていくのである。
ナチス政権とユダヤ人虐殺において、ドイツの歴史がまさにこの「出来事」へと向かい、その「出来事」の中に実現するかのようには、見られていないことを意味している。またドイツの歴史に、このような「出来事」に光を当てることによってのみ、現在に対しする意味が見出され、扱われることを意味する。ナチス時代は否定され、五十年代六十年代には部分的に認知され、その後七十年代になって大々的に取り扱われるようになった迫害と亡命の文学が、その流れの中で、文学史的に言って、また文芸科学的に言って、その強さだけではなく、弱さもテーマにされることを意味している。それはまた、ドイツが制度としてユダヤ人の遺産の管理するべきではないことを意味している。その出費に対して、ドイツに住んでいるユダヤ人社会は自らその局面でなく、問題があると考えているのであるが。
「出来事が」優位を占めることは、もうひとつの側面を示している。それはドイツの歴史を縮めてしまうだけではなく、ユダヤ人の歴史を所得してしまう。そしてその間クレッツマー音楽を奏でるドイツ人の数限りない集団の姿の中にそれを貶めてしまうことである。
伝記が正しくなければ、自意識も他人との関係も正しくない。ドイツ人であることに誇りを持ちたいという若い世代の望む、正しい自意識と正しい他人との関係を載せた新しい伝記が欲しいという要求は、正当なものである。若い世代にとって、ナチス政権やユダヤ人虐殺は、私たちの世代が感じるような現実であってはならない。そして過去が彼らの世代から忘れ去られるべきではないならば、過去は若い世代にとって「歴史」へと高められるべきなのである。
今どうであるかと言うことよりも、かつて何をしてきたかに誇りを持てるものである。若い世代に、君たちは誇りを持つことのできる権利があると保証する代わりに、私たちの世代が誇りを持つ代わりに、私たちの世代が集団的な伝記へと過去を統合していく責任を持つ。現在における過去は未来には歴史となる。