赤い海岸
赤い壁をバックに、果物を売るレッド・ビーチの爺さん。
三日月型の島の南西の端へと車を走らせていると、バイクをそのまま四輪にしたような乗り物に頻繁に出会う。僕に無断で名前をつけられた「モト」という乗り物、ずいぶん流行っているようで、若者だけではなく、中年の夫婦も乗っている。説明会で、アンディから、この乗り物は危険で、事故を起こしても保険が出ないから、絶対に乗るなというお達しがあった、「いわくつき」の乗り物である。ともかく、モト、オートバイ、スクターに乗っている人で、ヘルメットをかぶっている人は余り見かけない。
小さい島のこと、三十分ほどで、最先端の岬の灯台に到着。そこからはカルデラが一望できる。右側の湾にそって、赤茶けた絶壁が続いており、フィラやイアの街並が、昨日も書いたが、チョコレートケーキに白い砂糖を振りかけたように見えている。湾の中心には、昨日訪れた、最近の火山活動(といっても紀元後という意味で)出来たネア・カメニとパレア・カメニの二つの島。そしてその間を埋めるのは、「エーゲ海ブルー」の水。白い大型の客船が、その青い海に白い線を引きながら進んでいく。確かに、どこにもない、ここサントリーニ島だけの景色である。
灯台の後ろにある三角点に上り、三百六十度の展望を楽しんでから、「赤い海岸、レッド・ビーチ」へと向かう。有名な海岸らしいが、どのようなものかは不明。駐車場に車を停め、歩いて岬をひとつ回ると、向こう側に「レッド・ビーチ」が見えた。なるほど。幅二百メートルほどの小さな浜の後ろは、屏風を立てたような絶壁になっている。その崖が赤い溶岩でできているのだ。赤い壁、「赤壁周庵先生」をバックにしたのでレッド・ビーチというわけね。浜辺そのものは小さい石で出来ている。水に入ると魚が沢山見えた。
両手にブドウやバナナなどの入った篭を下げた「果物売り」の爺さんが「フルッタ〜(果物)」とか言いながら、現われ、僕たちの横に腰を下ろした。僕が泳いでいる間、マユミはその爺さんと話をしていたらしい。「一体何語で」と思うのだが、妻は「言語を超越してコミュニケーションをはかることができる」という特殊技能を持っている。
次に、ブリハダ・ビーチにいく。レプのアンディの話によると、ここにはヌーディストビーチ、つまりスッポンポンで過ごす人たちの場所があるという。海岸の後ろの岩に、風化作用で穴があいており、まるでバルセロナでガウディの設計した建物を見ているようである。妻はヌーディストの方へ行こうというが、僕は引き返す。それでも妻は、あっちへ行って一度裸になろうよと行っている。ひとりで勝手にやってよ。
アパートに戻り、飯を炊き、刺身とイワシの唐揚で夕食。何せ、鍋が一個、コンロも一個なので、料理の「段取り」が大変かつ大切なのである。
夕食後浜に出る。十月に入り、カフェやバー、食堂にはいよいよ人影がない。バーに入るが、ウェイトレスのお姉ちゃんもギリシア人のグループに入り、ビールをビンごとグイグイやっている。それ以外の客は僕たちだけ。ウェイトレスのお姉さんは、ふたりの子持ちで、テサロニキからこの島へ移り住んだと言った。本当に暇そうであった。
ガウディの設計した建物のような岩の前で。