インテルメッツォ(間奏曲)
ドイツから戻って、シカゴに発つ間、八日間ロンドンにいることができた。それが、すごく長く感じられる。この間の最大の課題は「疲れを取ること」だ。週末もぶっ通しで働いていて、かなり精神的にも疲れが溜まってきて、夜、良く眠れないことが多くなってきていた。それを、この一週間で元に戻さなければ。
しかし、なかなかのんびりさせてはもらえない。ロンドンに戻った翌々日、木曜日に阪神タイガースの優勝が決まり、お祝いをしたことは既に書いた。金曜日は、少々二日酔い気味で出勤。
土曜日は、末娘のスミレが、お兄ちゃんの行っている大学を見てみたいから、連れて行ってくれと言う。僕も入学の日に行けなかったので、彼女と一緒に、ウォーイックに息子を訪ねることにした。土曜日の午前十時、僕はスミレを乗せて、ロンドンから高速道路一号線を北へ向かった。
走ること一時間半。「ユニバーシティー・オブ・ウォーイック」は何もない所に忽然と現れた一つの町のようだった。大学の中を何本もの道路が走っている。娘が携帯で息子に連絡を取って道を確かめ、僕たちはようやく、息子の住む寮の前に着いた。寮から出てきた息子は、数週間で、また一段とふてぶてしくなっていた。息子が大学の中を案内してくれる。素晴らしい施設。何でも揃っている。二千五百人収容のコンサートホールまであった。大学そのものが、この町で三番目に大きな雇用者だと息子が言ったが、納得できる。スミレも感激したみたいで、この大学を、将来の選択肢のひとつにしておこうと言っている。
日曜日の午前中、ベッドフォードシャーの十キロの選手権があった。それに出場するために、スタンドアロンと言う奇妙な名前の村へ出かけた。最近、マラソンペースのゆっくりとした練習しかしていないので、十キロ程度の短い距離を思い切り走って、心臓と肺に「喝」を入れておくのもよいと思ったからだ。しかし、一キロ当たり五分ペースでしか最近走っていない身体に、久しぶりの四分ペースは大変きつかった。七キロ辺りで、へばってしまい、それまで並走していた、同じチームの女性、カレンに置いていかれてしまった。僕は一応、チームの男子では一番にゴールしたのだが、そのとき既に、女子チームの三人、ジョアン、キャサリン、カレンが先にゴールしていた。女子チームは団体戦で優勝、トロフィー、百ポンドの商品券、それとワインを貰ったそうだ。僕も、久しぶりに思い切り走れて、結構気持ちが良かった。
日曜日の午後は、庭仕事をして過ごした。庭にリンゴの木が数本あるのだが、風で落ちたリンゴが地面で腐り始めていた。僕は芝刈りをした後、庭中のリンゴを拾ってまわった。バケツに十杯くらい集めて、庭仕事用ゴミ箱に運んだ。
こんなことをしながら、僕は、自分の心の疲れが、だんだんと取れていくのを感じた。ロンドンを発つ前の夜、僕はマラソン前の最後の練習をした。そして、背中に羽が生えたように、自分が走れるのを感じた。