新しいランニングキット
休みなしに働き、疲れていても、シカゴマラソンを二週間後に控えているので、練習も怠れない。土曜日の午前中作業が始まる前と、日曜日の午後作業が終わってから、僕はホテルの近くの遊歩道を各一時間、十二キロ走った。土曜日などは、走り始めると同時に雨が降り始め、走り終わると同時に雨があがった。何たるアンラッキー。
月曜日は、システム切り替え後の初日にしてはトラブルも少なく、静かだった。五時になり、今日中に終らせなければならない仕事がないことに気づいた僕は、その日が「フォルクスガルテン走ろう会」の練習日であることを思い出した。老コーチ、ロルフ・タウプナー率いるチームは、月曜日と水曜日、午後六時に、メンヒェングラードバッハの森の入り口にある幼稚園に集まって、練習をしていた。二〇〇〇年から一年間、この地に単身赴任していた僕は、その練習に参加していたのだ。ロンドンに戻ってからも、一応メンバーとして残り、ドイツでレースを走るときは、「フォルクスガルテン」と背中に書かれたユニフォームで出場していた。
五時に車で会社を出た僕は、ホテルで靴とトレーニングウェアを取り、六時十五分前に、集合場所の森の畔の幼稚園に着いた。車の中で着替えて、幼稚園に向かう。既に数人が集まっている。知った顔もいるし、知らない顔もいる。顔を知っていても名前が思い出せない。ひとりが、僕を見つけて言った。
「えっ、ひょっとして、君はモト。」
「ハロー」と僕が言った。もう最後に練習に参加してから三年以上経つが、何人かが僕を覚えていてくれて、懐かしがってくれた。
六時少し前に、コーチのロルフが現れた。
「うっ、モトだ、信じられない。」
そう言って、ロルフは僕を抱きしめた。その日は、昔の走り仲間、ヴォルフガングと一緒に、ゆっくりとしたペースで森の中を十一キロほど走った。パートナーがいるのは良いものだ。走るコースは四年前と少し変わっていて、何度か違う方向に行って、ヴォルフガングに、こっちだと呼び戻された。
走り終わって、幼稚園に戻ると、ロルフが、新しいユニフォームがあるから、帰りに自分の家まで取りに来いと言う。それで、僕は彼の車の後を追い、中央駅の近くの彼のアパートへ行った。ロルフは事務機器の販売店をやっており、一階が店で、二階と三階が住居になっていた。家の中を一通り案内してくれた後、彼は新品のランニングシャツとパンツ、ウィンドブレカーを出してきた。お前のだと言う。今日、お金持ってないと言うと、
「お金は要らないから記念に持って帰れ。」
とロルフは言う。値札を見ると、ウィンドブレーカーは七十五ユーロになっている。本当にいいのかと念を押すと、ロルフは、お前は特別だからと繰り返した。嬉しい言葉だ。僕は、シカゴではそのランニングキットで走ることを決めた。