まずひとつ終わった
ゆっくりと走っても、後半スタミナが切れるのではないか、足に痙攣が起こるのではないかという不安が常に抱いている。幸い、三十キロを過ぎても足は順調に回転、周りのランナーのスピードが鈍ってきたこともあって、「ごぼう抜き」状態になった。「周囲のランナーが止まって見える」、球が止まって見えた「打撃の神様」川上哲治の心境はかくあらん。
三十キロで、先行していた走り仲間の吉田さんを捕らえる。今回、僕は昔住んでいたメンヒェングラードバッハ市の「フォルクスガルテン走ろう会」から出場しているが、そのメンバーも数人追い抜く。短い挨拶を交わし、お互い汗でズルズルの手で握手。「頑張って」と言い合って別れる。三十七キロで日本人の加藤さんに出会う。実は、もうひとり、フランクフルトの市原さんにも追いつきたかったのだが。
「市原さんはどこ行ったー。」
何度か心の中で叫ぶ。しかし、実は、彼はその日絶好調で、ずっーっと前の方にいたのだった。観客が増えてきた。「おいらは走る機械だもんね」という気分で、沿道の声援には一切応えず、前の道路だけを見て、黙々と走る。
四十キロになって、道が突然石畳になった。デコボコで、おまけに雨の後で滑りやすい。見上げると、正面にケルン大聖堂が黒々と立っている。数年前の初夏、まさにこの場所、妻以外の女性とカフェにいた。よそ見をすると石畳に足をとられ転びそうなので、ふたつの尖塔を一瞬見上げただけで、また地面だけを見て走り続けた。
再び、ドイツブリュッケを渡り、ゴール。三時間三十九分。ゆっくり走るつもりが、後半はごぼう抜き状態に気を良くし、突っ走ってしまった。それで、足にはかなりダメージがある。
預けていた荷物を受け取り、「シャワー」と書かれた場所に行く。シャワーはメッセ会場の中庭にある大きなテントだった。テントの一方が開いているのだ。それで、中で着替えている人は丸見え。これは女性用も含めて。おかげで入るときと、出るときに良い「目の正月」をさせてもらった。テントに入りきれず、外で着替えている人もいる。露天風呂の更衣室というか、ヌーディスト村というか、そんな雰囲気。
シャワーを浴び、先にゴールしていた浅尾さんと駅の売店で残り少ない缶ビールを買占める。そのビールを飲みながら、集合場所で走り仲間を待つ。仲間はポツポツと現れる。どの顔も「とにかく終わった」という安堵の色が浮かんでいた。
その日は日本人の走り仲間と電車でデュッセルドルフまで戻り、そこの韓国料理店で打ち上げをした。そして、夜は、またデートレフの家に泊めてもう。月曜日の朝、空港から、「フォルクスガルテン走ろう会」の老監督、ロルフ・タウプナーに電話を入れた。
「うちのクラブでお前が一番だった。」
と彼は言った。これには正直嬉しかった。何事も一番というのは気持ちが良い。
「まずひとつ終わった。」
僕はそう呟き、ロンドン行きの飛行機に乗り込んだ。