ポヨ子さんの手記、シャイな生徒たち
特にシャイな男子生徒たちと。何人かはスミレより年上。
わたしは英語のネーティブスピーカー(言葉を母国語として話す者)なので、普段英語を話すとき、文法なんて全然意識していない。文法の説明をはじめながら、わたしはあわてて、何年も前、学校に入って最初の方に習った文法を思い出そうとした。
授業を始めてみて、わたしはまず改善しなければならない問題に気がついた。それは皆で声を出して読みましょうと言っても、本当に発しているのは数人だけ。残りの生徒は、口の中で何かモゴモゴ言っているか、黙ったままなのだ。彼らが、授業についていくのに苦労していることは明白だ。
そんな子供たちが、先生や学校から注意を払われることがないことを、私は他の先生の授業を見て感じ取っていた。おそらく、次第に落ちこぼれ、学校に来なくなるのだろう。そんな彼らを見過ごしていくシステムが、わたしは嫌だった。何とかしなくちゃ。わたしは頭を巡らせる。
わたしは、クラスをいくつかのグループに分け、お互いにもっと話したり聞いたりする、つまりディスカッションの機会を作ればよいと思った。そしてそのグループを回り、理解していない生徒がいないかチェックして、困っている生徒がいれば、助けてあげるようにしたいと思った。
しかし、授業を進めるうちに、わたしの教室を変えようという理想主義的な試みが、とても難しいことが分かってきた。まず、言葉のバリアー。わたしのピジン語は文字通り片言だ。しかし、生徒はおそらくわたしの英語が分かっていると思うのに、恥ずかしがって、なかなか自分から英語を話そうとしない。
次に、生徒が皆シャイでありすぎること。わたしが「甘い言葉」で誘いをかけても、大部分の生徒から「イエス」、「ノー」の返事を引き出すのさえ難しい。センテンスを丸々話させるなんて至難の業なのだ。わたしが直接的な質問を投げかけても、生徒は沈黙のままか、眉毛を少し動かすことしかしない。こうして、わたしの試みは、最初の十分間で早くも挫折した。
しかし、これは明らかにわたしの失敗だった。そんな簡単に変えられるわけがない。わたしは臨時の先生なのだ。変化を望むのなら、まず時間をかけて、生徒からの信頼と尊敬を得なくてはいけないし、私自身生徒に対する理解と信頼を持つようにしなければならない。だいたい、わたしは今のところ彼らの言葉を理解できないので、彼らがわたしを理解してくれていることを期待するしかない。こんな一方通行ではダメだ。
わたしは「教える」ということが、教わる側から見ているほど簡単でないことに気がつき始めていた。わたしは普段自分の学校の教師に対して、教え方が下手だとか、授業が分からないのは先生のせいだとか、結構厳しい評価を下している。しかし、教えら得る側から教える側への評価、視点が、自分が教える側に回ったときに余り役にたたないことを、この余りにもシャイな生徒たちが、わたしに教えてくれたような気がする。
学校の休み時間、校庭で「おやつ」を売る人たち。