さあ出発
早速学校で授業を始めたポヨ子先生。
七月二十六日夕方七時、スミレは妻の運転で、ヒースロー空港へ向かって出発していった。おりしも、息子がガールフレンドを連れて帰ってきており、そのガールフレンドに懐いていたスミレは、彼女と別れるのが少し残念そうだ。
夜の九時半のシンガポール航空機で先ずシンガポールへ向かう。十三時間の旅。そこで飛行機を乗り換えて、次にオーストラリアのブリスベーンへ。七時間の飛行の後、翌々日の朝にブリスベーンに着きホテルに一泊。翌日の昼にブリスベーンを出て、三日目の夕方にやっとガダルカナル島ホニアラに到着するという、まあ考えただけでもウンザリするくらいの長旅なのだ。(僕は半年前にこの「ウンザリ」を経験しているのでよく分かる。)ブリスベーンまでの飛行機の切符は英国で手配したが、ブリスベーン・ホニアラ間のソロモン航空の切符はこちらで買えないので、G君に手配をお願いした。
七月に入り、スミレは沢山の予防注射をした。A、B型肝炎、破傷風、チフスなど。現地にはマラリアもあるのだが、マラリアは予防注射がないため、現地に入ってから予防薬を飲むことになる。
ともかく、スミレは出発した。後は、彼女の才覚と判断に任せるしかない。「可愛い子には旅をさせろ」とも言うし、その通りだと思う。しかし、娘が旅を続けている間というものは、何をしていても妙に落ち着かない。翌日の昼頃、スミレから無事シンガポール到着のメールが届いた。G君からの話で、単身赴任中のG君のご家族(奥さん、娘さんと息子さん)もスミレと同じ頃にソロモンを訪問されるのは知っていたが、飛行機の予定が変わり、ブリスベーンからはスミレと同じ飛行機になりそうだと連絡が来た。心強い。
スミレからはブリスベーン到着のメールの後、七月三十日、無事ホニアラ到着の電話があり、ほぼ同時にG君からも写真入のメールが来た。スミレは三日間ホニアラでG君一家と過ごし、八月三日に村に入るとのことだった。
G君からの写真入りのメールは、その日のうちに金沢の義母にも転送された。メールを使って、旅先からほぼリアルタイムで情報が入ってくるのは本当に嬉しいし、安心できる。便利な世の中になったものだと思う。一番驚いたのは八月四日、トーマス・マッケンジー氏からメールを受け取ったときだ。トーマスはスミレのホームステイ先のお父さん、つまりホスト・ファーザーだった。僕はふたつのことに驚いた。ひとつはベティヴァツには電気も電話もないのに、どうして彼がメールを発信できたのかということ。もうひとつは、彼の格調高い英語だった。
後で聞くと、彼は週に何度か、片道三時間ほどかけて、首都ホニアラに出てきているそうで、そこのインターネットカフェからメールを打っているとのことだった。帰国後スミレから聞いたのだが、彼の性格は彼の英語ほど堅苦しいものではないとのことだった。
さてここからは、いよいよスミレの出番。彼女の島での生活を、彼女の日記を元に追っていきたいと思う。
皆ホントに分かってくれてるのでしょうかね。