久しぶりの汗
「案ずるよりは、生むが安し」とはよく言ったもの。職場復帰は結構スムーズであった。「ちょっとしんどいな」と思ったのは、第一日目の午前中くらい。それを過ぎると、溜まった仕事を片付けていくのに没頭して、自分の身体のことなど忘れてしまったくらい。不在中に何と七百通のメールが溜まっていた。同僚が、「モト、結構早く良くなってよかったね。」と皆言ってくれるのが嬉しい。
一週間、何事もなく過ぎた。仕事をし、朝と夕方の二回、犬を連れて二キロほど散歩をし、酒を控え、夜は出来るだけ早く眠るようにする。発病してから一ヶ月が経ち、三月に入った。
バーネット病院から手紙が来た。「運動負荷心電図」を撮るので、三月三日の朝、病院に来いということである。「運動負荷心電図」と言うのは、トレッドミルの上を走り、その走っている間に心電図を撮る。つまり、運動をして負荷のかかっている状態でも、心臓が正しく機能するか、調べるものである。
三月三日の朝、私は、トレーニングウェアに運動靴を履き、背広と革靴を鞄に入れてバーネット病院に行った。寒いが天気の良い朝だった。患者なのか、職員なのか、大勢の人が行き来している。入院中、動けなかったとき、窓の外を早足に行き交う人たちを見て、
「自分もまたあんなスピードで歩けるようになるのだろうか。」
と考えたことを思い出した。「外を自由に歩ける」、それって、これまで当然だと思っていたけれど、素晴らしいことだったのだと思った。また、これまで疑問視していたNHSにも、「結構きっちりと機能しているじゃない」と、今後は少し敬意を払うことにしよう。
「運動負荷心電図」は、モリスというお兄ちゃんの指導で始まった。まず、胸に電極を八つくらい貼り付ける。腕には血圧を測る腕章。それぞれのケーブルがトレッドミルの横のコンピューターに接続されている。そして、モニターに心電図の波形、脈拍数、血圧が表示されるという仕掛け。まず、ゆっくり歩くスピードでコンベアーが動き出す。コンベアーは三分毎にスピードと傾斜を増し、「もうダメ、オールアウト」というところまで持っていくらしい。
私はフルマラソンを走る際、脈拍数を一分間に百二十から百四十に保っている。脈拍が百六十になると長くは持たない、百八十は限界値であることを知っている。その日は、三分ずつ五段階上げて、最後は脈拍が百六十七になるまで引っ張った。私の心臓は、奇妙な波形を示すこともなく、無事それについていった。私は嬉しかった。
「うーん、あなたみたいに長く頑張れた人を見たことない。」
とモリスが感心している。私は自分がマラソン用のトレーニングをやってきたことを、種明かしした。
私は自分がたっぷり汗をかいているのに気がついた。実に久しぶりの汗。そして、汗をかいた後の爽快感がそこにはあった。
(了)