職場復帰
退院して十日後、私はGPのカッテル医師を訪ねた。会社に出す診断書を書いてもらうためである。
「もう働き出しても良いでしょう。でも、また異常を感じたら、直ぐに病院の緊急外来に行ってくださいよ。分かりましたか、直ぐにですよ。」
カッテル医師は念を押した。
ところが、働いてもよいというお墨付きをもらったその日の午後から、また胸の痛みが始まった。翌日はひどくなって、殆ど一日ベッドで寝ていた。夜一度眠ろうとしたが、眠れない。「異常を感じたら直ぐに病院へ」というドクター・カッテルの言葉が、何度も頭の中に浮かんでは消える。午後九時、ついに決心して、妻にまた救急車を呼んでもらう。一週間に二度目の救急車。私は前回と同じ過程を経て、病院へと運ばれた。唯一の違いは、今回はまだ時間が早く、交通量があるので、救急車がサイレンを鳴らして走ったことか。
私は、翌日まで入院した。また同じ病棟の、マンマミーア婆様が寝ていた辺りのベッドである。心電図、血液検査、レントゲン等の結果、今回も心臓に異常は見つからず、金曜日の夕方、「まあ大丈夫でしょう」という感じの退院となった。
週末、胸がかなりすっきりしてきた。月曜日、私は会社に電話をして、木曜日から働く旨を伝えた。何故木曜日にしたのか、それは最初から丸々一週間はちょっときついと思ったからである。三週間職場を離れ、一週間は入院でまったく動けなかった。その後も二回救急車に乗っている。正直、まだ体調には完全に自信があるわけではない。それで、二日間出勤して少し身体を慣らし、週末二日休んで、それからフルに働くという作戦であった。
水曜日の夜、ベッドの中で、まだ何となく「しっくり」こない身体に、やっぱり、働くのはもう少し後に延ばそうかなとも考える。しかし、いずれはその不安を乗り越えて、働き出さなければならない日が来るのである。翌日、朝が早いから早く眠ろうと思うが、ナーバスになってなかなか眠れない。布団の中で腹式呼吸をして心を沈め、私は十一時から翌朝の四時半まで眠った。
二月二十三日、朝六時十五分に車で家を出た。久しぶりにタイムカードを押すと、六時五十三分、ティムがもう出社していた。彼は、おやっという顔で私を見た。入院中の話をあれこれと話す。全身麻酔で治療を受けた数時間後に退院した話をすると、ティムは、
「誰でも、一番落ち着いて、ゆっくり休養できるのは自分の家だからね。」
と言った。なるほど、彼の言うことにも一理あると思った。
ジョギング好きのアンディに、当分酒と走ることはできないと言うと、
「モトは一年半前に怪我をして何ヶ月も走れなかったけれど、その後復活して、事故新記録を連発しただろ。今回のこともきっと良い休養になって、また良い記録が出るよ。」
と言った。実は、私は今回の病気を機会に、マラソンから引退するつもりでいた。しかし、アンディの一言で、ひょっとしたらまた走れる日が来るかも、という気になってしまった。