リハビリ開始
退院してから三日目、救急車で運ばれた翌日、私は少しずつリハビリを始めることにした。心臓は、乱れることなくリズムを刻んでいた。起きていても、寝ていても、心臓が打っていることを、自分で感じることができる。それが当然?いやちょっと違う。普通に生活していて、自分の心臓がどんなに打っているか意識している人はまずいないであろう。電気ショックで無理やりリズムを取り戻した心臓は、私の身体にまだ馴染まないと言うか、体外に取り付けられた機械のような気がした。
リハビリはまず歩くこと。救急車に乗った翌日、職場体験のために近くの小学校に通うユリアに、朝食の後、
「一緒に学校まで行こうよ。」
と提案。彼女と、チビ犬のコーディと二人と一匹で家を出た。小学校まではわずかに十分の道程。ユリアは大通りを通らないで、妻に教えてもらったと言う路地を抜けて行く。私と犬も彼女に続く。彼女と小学校の門の前で別れた後、私は家に向かった。目の前がチカチカしだしたのは、朝日の反射のせいだけではないようだ。家に着くまでに、酸欠状態になってしまった。たった二十分歩いただけで。家に戻った私はしばらく横になっていた。完全復帰まで先が長いことを、私はそのとき知った。
毎日少しずつ、歩く距離を伸ばしていくことにする。朝起きて散歩。昼に散歩。夕方に散歩。お供はコーディ。彼は、私と外に出ると思い切り走れると思っている。それで、どんどん、私を引っ張っていく。しかし、今の私は、走るどころか、歩くのが精一杯。しかし、多い日には、ゆっくりではあるが、朝昼晩と三回、二キロ半ずつ、つまり計七キロ半歩いた。だんだんと食欲も戻ってくる。私の相手で飼い犬もフィットになる。
日に日に歩く距離は伸ばしていけるのであるが、胸の辺りはもうひとつ「しっくり」しないままである。苦しくはない、違和感があると言うか、先ほども書いたが、心臓が自分の身体の一部でないような気がずっとしていた。それと、夜眠っているとき、静かに横になっているときに、突然原因もなく脈拍が速くなるのも気になった。
散歩をしないときは、もっぱら本を読むか、テレビを見ていた。テレビではちょうどトリノ・オリンピックの中継が入っていた。スケルトン、カーリング、スノボー、フリースタイルスキー、スケートのショートトラックなど、結構マイナーな種目も、暇に任せてじっくり見た。それにしても、色々な種目があるものだと感心しながら。
車の運転をしたのは、救急車に乗った三日後。その日はユリアがドイツへ戻る日であり、妻が彼女を空港バスの乗り場まで送っていく予定であった。ところが、妻は、家を出る直前に、道で転んで、顔から着地をしてしまった。ユリアも私も妻が顔面に血を流して帰って来たときには驚いた。顔を洗い手当てはしたが、運転はどう見ても無理そうだったので、私が運転した。バス乗り場で、係員の男性が、妻の顔に血が出ているのを見て、救急車を呼んで上げようかと聞いてきた。同じ週に夫婦で救急車なんて、洒落にもならない。