救急車に乗った

 

 二週間に二度も救急車に乗ってしまった。米国に住む友人にこの話をすると「救急車は保険が効くの」と聞かれた。救急車に乗るのにも金が必要な国もあるのだと、そのとき初めて知った次第。

 

 退院した翌日、久しぶりに自分の家の布団の中で目を覚ます。思わず、指を手首に当てて脈を確認する。心臓は普段より幾分速いが、乱れもなく正しいリズムを刻んでいる。まずは一安心。朝食の後、久しぶりに風呂に入ろうと思うが、妻がこれらか買い物に行くので、自分が帰ってからにしなさいと言う。彼女の言葉に従うことにする。とにかく身体を休めることが大切と、出来るだけ横になっている。十時ごろに妻が帰宅して、風呂に入る。一週間ぶり。しかし、長風呂にならないように、早く上がる。湯はかなり汚れていた。

 昼からは、日当たりの良い、娘のミドリの部屋に移って、彼女のベッドで横になっている。夕方になり、ユリアが帰って来る。彼女と一緒に衛星放送で、ドイツの「ソープオペラ」を見る。ドイツ語でもそのまま「ザイフェン・オーパー」と言うのが面白い。それから三人で夕食。一日殆ど何もしていなかったのに、何故かとても疲れを感じる。私は九時前に早々と床に入った。そして、間もなく眠ったと思う。

 

 胸の痛みで目が覚める。時計を見ると午前一時半。左胸の上方、肩甲骨の下に鋭い痛みがある。そして、だるい痛みが左肩から上腕にかけて感じられる。入院する前の痛みと、似ているように思える。私は、二、三十分しばらくそのままでいた。朝になるのを待とうかとも思う。しかし、まだまだ夜明けは遠い。朝になったとしても、結局、妻に病院の緊急外来に連れて行ってもらうことになる。私は、横で寝ている妻を起こした。

「ねえ。胸が痛むから救急車呼んでくんない。」

私は妻に頼む。妻は、

「救急車って何番だっけ。」

と聞いただけで、容態についてはあまりあれこれと聞かず、直ぐに階下へ降りて行った。「九九九」に電話をかけている。英国の緊急番号は、警察も消防も救急もすべてこの番号。余りにも押し易いので、友人のC子さんの一歳になる息子さんは、電話で遊んでいて、何度か警察に電話をしたそうである。妻が誰かと話している声が聞こえる。

 十分ほどで、救急車が到着したらしく、ドアのベルが鳴り、妻の声が聞こえ、濃い緑色の制服に身を包んだ三人の救急隊員、二人の男性と一人の女性が階段を上がってきた。私は、胸が痛いことを告げ、二日前、退院するときに貰った証明書を見せる。最初に上がってきた童顔の男性が、それを読み、まず私に酸素マスクを着けた。そして、アスピリンをくれた。舌を出すように言われ、そうすると、舌の下にスプレーで薬を入れられる。

私は酸素マスクとつけたまま、折り畳み車椅子に乗せられ、階段を運び下ろされた。狭い階段で、車椅子を下から支えているのは女性の隊員。一番重くて大変な位置なのに、勇ましいお姉ちゃんである。慌てて詰めたスポーツバッグを抱えて、妻がそれに続いた。

 

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