途中棄権

 

 最初に体調の異常に気がついたのは、一月二十六日、木曜日。いつものように近くの競技場でマラソンの練習を終え家に戻った私は、不整脈が始まったのに気づいた。規則的に打っている脈が一テンポ狂うと、「あれっ」という感じで、自分でも分かる。これまでも、疲れたとき、風邪で熱があるときなどに、不整脈が出たことがあった。相談した医者には、「歳をとると普通に起きる症状」で、別に気にすることはないと言われた。「自分も歳なんだ。」安心したような、ショックなような。認めたくはないが、認めざるを得ない現実。

 

金曜日はいつものように出勤。朝七時、駐車場に車を停め、一階から三階の自分のオフィスまで階段を上がる。ドアの前で、何か「深い疲労感」と名づけたいような感覚に包まれる。

「最近、公私ともに結構ストレスが溜まっているからな。」

そう思う。同僚のティムに、最近いかにストレスが多いか愚痴をこぼした。

 

 土曜日、朝起きて、いつものように陸上競技場へ向かい、トラックを走り出す。走れることは走れるが、いつもより呼吸が苦しい。

「疲れが溜まっているのかな、一昨日、そんなにきつい練習をしたかな。」

と少し不思議に思う。無理をせず、トラックをゆっくり十週走っただけで家に戻り、その日は家でゴロゴロして過ごした。

 

 日曜日、十二マイル(19.6キロ)のレースの予定が入っていた。四月にフルマラソンを走ることになっているので、毎週少しずつ長い距離を走っていかなくてはならない。このレースもその一環である。体調は良くない。しかし、「走ったら治るかも」と期待してしまう。このあたりが、「マラソン教信者」、「走り中毒者」の悪いところ。体調を無視して走り続け、果ては、走ることを万能の薬のようにさえ思ってしまう。本当に「お馬鹿」である。

 二十分ほど、ゆっくりとウォーミングアップをした後、私は走り出した。今日は無理せずにゆっくり行こうと自分に言い聞かせながら。最初は、運河沿いの遊歩道を走る。ゆっくり走っているのに息が切れる。呼吸を整えようとスピードを落とすが、息苦しさから解放されない。四キロほど走ったところで、視野が狭くなり、真直ぐ走れなくなった。

「ちょっとちょっと、これは真剣にやばい。このまま行くと命にかかわるかも。」

私は、五キロ地点、交通整理のお姉ちゃんの前で立ち止まり、

「体調が悪いので、リタイアします。」

と告げた。その途端、めまいがして立っていられなくなり、彼女の足元にうずくまる。

 もうひとりのお姉ちゃんの肩を借りて、私は車の後部座席に運び込まれた。車の窓から、次々と通過するランナーをぼんやり眺めていた。最後のランナーが通過した後、私はスタート地点まで運ばれ、クラブハウスでたっぷり砂糖の入った熱い紅茶をもらった。めまいは間もなく治まり、私は世話になった人たちに礼を述べ、家に戻った。レースを途中で棄権するなんて、何年ぶりだろうと考えながら。

 

<戻る>