「コウモリ男」
原題:Flaggermusmannen
ドイツ語題:Der Fledermausmann
1997年
<はじめに>
ヨー・ネスベーの書く「刑事ハリー・ホーレ」シリーズの第一作。このシリーズの原点を探るべく、読み始める。舞台は最初から最後までオーストラリアである。
<ストーリー>
ノルウェー、オスロ警察の刑事、ハリー・ホーレは、十数時間の飛行機の旅の後、ようやくオーストラリアのシドニーに到着する。彼を空港で出迎えたのは、シドニー警察の刑事、アンドリュー・ケニントンであった。彼はアボリジニである。
ハリーがはるばるオスロから地球の裏側のシドニーまでやって来たのは、ノルウェー人の女性、インガー・ホルター殺人事件の捜査に協力するためであった。インガーは数週間前、乱暴され、首を絞められて死んでいた。
到着の翌日、時差ボケのハリーはシドニー警察に向かう。そこで、署長のマクコーマック、捜査班長のワドキンスをはじめ捜査課員に引き合わされる。ハリーは当分、アンドリューと組んで、捜査活動をすることになる。
殺されたインガーには、直前にボーイフレンドが出来ていた。ヒッピー崩れの男で、エヴァンス・ホワイトという名前、普段はニンビンという小さな街に住んでいる。
ハリーとアンドリューは「殺人事件の犯人の六割は被害者と関係のある人物である」というセオリーに従い、まずエヴァンスに会いにニンビンに飛ぶ。ニンビンはオーストラリア・ヒッピー文化の聖地ともいわれる場所で、それと関連して麻薬取引の中心地でもある。彼らはエヴァンスに会う。エヴァンスは、インガーは知っているが、深い関係ではなかったと言い張る。また、インガーが殺された日には他の女性と一緒におり、アリバイがあると主張する。
彼らは、そこでちょうど興行中だった、どさ回りのボクシングチームを訪れる。その一座「ジム・シーヴァース・ボクシング・チーム」は、地元のアマチュア、腕自慢と試合をし、その試合に対する掛け金で稼いでいるのである。そのチームに、屈強な白人の男を一発で伸してしまった、細身のアボリニジのボクサーがいた。ツーウーンバというそのボクサーはアンドリューの知り合いであった。ハリーはそのボクサーと親しく話をする。
シドニーに戻ったハリーとアンドリューは、インガーが働いていたクラブ「オルブリー」に向かう。そこで、インガーの同僚だったスウェーデン人の女性、ブリギッタと会い話を聞く。殺された夜、インガーは、大家の犬にやると言って、食べ物の残りを持って帰ったという。ハリーはブリギッタが気に入り、彼女と翌日、個人的に一緒に食事をする約束をする。
ハリーと行動を共にするアンドリューは、ある日、サーカス団の公演にハリーを連れて行く。ピエロが、ギロチンで首を切られながら、その後、その首を持ってニコニコ笑って再登場するというショーがあった。公演の後、アンドリューはハリーを楽屋へ連れて行き、そのピエロ、オットー・レヒトナーゲルをハリーに紹介する。
アンドリューは、アボリジニの伝説のいくつかをハリーに紹介する。何千年も、西洋文明から孤立したアボリジニの伝説が、聖書などの逸話に似ていることに、ハリーは驚く。アンドリューは、戦士ワラと、娘モーラの伝説の話をする。ふたりの婚礼の前日、ワラが婚礼のための獲物を捕りに行っている間、モーラは蜂蜜を採りに行き、大蛇に殺される。ワラはモーラの仇討ちに出かけ、艱難辛苦の末、これまで誰も考えなかったようなトリックを用い、大蛇を殺す。そんな物語であった。
ハリーとブリギッタの仲は急速に進み、ハリーはしばしばブリギッタのアパートで夜を過ごす。あるとき、彼らは深夜の水族館に知り合いの守衛から鍵を貰って入る。ガラスのトンネルが作られており、その中を人間が通り、周りが全て魚のいる水槽という造りになっていた。そのトンネルの中でふたりは不思議な時間を過ごす。
ブリギッタは「わけあり」のハリーに彼の過去を話すように要求する。ハリーはしぶしぶ自分の過去を語り始める。ハリーはかつてアルコール中毒であった。かれは酒を飲んで勤務中車を運転し、犯人を追跡中に事故を起こす。その事故で、一緒に乗っていた若い同僚は死亡、自分も大怪我を負う。しかし、警察は、死んだ若い同僚が運転していたと発表、ハリーは家族の厚い看護の上復職する。そのとき、ハリーは、自らの罪を償うために、もう二度と酒を飲まないと決心したのであった。
ハリーは、エヴァンスが麻薬取引をしていたのではないかと考え、彼がシドニーに来たときによく行く「クリケットバー」に向かう。そこでハリーは常連客に話を聞こうとするが、警察に好意的でない客と口論になり、殴り合いの喧嘩になってしまう。そこへ駆けつけたアンドリューは間に割って入ろうとするが、クリケットのバットで頭を殴られ、脳震盪を起こし、病院に運ばれる。
一方、捜査班のヨンが、これまで金髪の女性が、絞殺される事件が、オーストラリア各所で起こり、その多くが未解決になっていることに目をつける。彼は、その殺人事件の場所と時間が、オットー・レヒトナーゲルのサーカス一座の公演と一致することを発見する。そして、インガーがオットーの犬にしばしば残飯を持っていってやっていたことが分かる。そして、殺された夜も、インガーはオットーに会おうとしていた。
オットーに逮捕状が出される。ハリーは病院に入院中のアンドリューを訪ね、オットーの逮捕状に出たことを伝える。アンドリューは、オットーが犯人であることを強く否定して、自分が何とかするから、あと二、三日待ってくれとハリーに頼む。
アンドリューの願いは、署長のマクコーマックによって無視され、捜査班は、公演のはねた後オットーを逮捕しようと、劇場の内外で待ち構える。オットーの最後の出演が終わる。しかし、彼はカーテンコールに出てこない。警察が突入して彼を捜す。そして、物置で、手品で使うギロチンにより身体を幾つもに切断されたオットーが発見される。
その夜、アンドリューが病院を抜け出し行方不明になったという知らせが入る。ハリーは同僚のレビーと、殺されたオットーの自宅に向かう。そこで、アンドリューが首を吊って死んでいるのが発見された。アンドリューの血液からはヘロインが見つかる。またアンドリューがその日劇場に入ったのが目撃されていた。アンドリューがオットーを殺し、その後オットーの部屋で自殺した、全てがその方向を示している。
短い間に親しくなり、親友とも言えるアンドリューを亡くしたハリーは、その絶望感からついに酒に手を出す。酔って売春婦と一緒にいるところをホテルに訪ねてきたブリギッタに見つかり、大喧嘩となる。そしてホテルからも追い出されたハリーは、グリーンパークで、ヨゼフというホームレスと一夜を明かす。そのとき、ハリーは、ヨゼフの何気ない一言から、アンドリューが犯人ではない、犯人は別にいるという確信を得る。しかし、証拠は何もない。彼は、ブリギッタの協力を得て、その犯人をおびき出そうと考える・・・
<感想など>
舞台の大部分がオーストラリアのシドニーである。ネスベーはノルウェーの作家であり、ハリー・ホーレはノルウェー・オスロ警察の刑事なのだが、はっきり言って、この物語が最初ノルウェー語で書かれた以外は、余りノルウェーとノルウェー人を知るのに役に立つ本ではない。また、ハリーが隣国スウェーデン人の女性ブリギッタと仲良くなる以外は、彼がノルウェー人である必然性は余り感じられない。
しかし、オーストラリアとアボリジニの歴史を知る上で役に立つ本である。オーストラリアの歴史。それはヨーロッパ人の目から見るとまだ短い。英国人が(と言っても最初は囚人たちなのであるが)勝手に入植してきて、アボリジニから土地を奪い去る。英国人は、ときにはアボリジニを迫害し、ときにはその同化、融和政策を進める。しかし、どの政策も、白人たちの視点から取られた「自分勝手」なものであり、本当にアボリジニのことを考えた上でのものかは疑わしい。
アンドリューの生い立ちはそのチグハグな政策を如実に物語っている。アンドリューは生まれると直ぐに、「アボリジニ同化プログラム」の一環として、実の父母から取り上げられ、「文化的な」生活を送るために、英国人家庭の里子となった。「アンドリュー・ケニントン」という英国風の名前でも分かるように。成績優秀だった彼は英国の寄宿舎制の学校へ送られそこで教育を受ける。しかし、そこで待っていたのは「いじめ」であった。彼は身を守るためにボクシングに励む。アマチュアボクシングで名を成したアンドリューは、オーストラリアに戻り、大学に進む。しかし、恋をした白人女性との結婚を反対され、そこから彼の「堕落」が始まる。大学を辞め、「裏の世界」の道を歩み始めた彼だが、あるときそれまでと全く反対の道を歩むことを思い立ち、警察官に応募する。ある割合でアボリジニを優先的に採用するという方針により、彼は警察官に採用され、刑事としての道を歩むようになる。「裏の世界」を熟知した彼は、シドニー警察でその手腕を発揮する・・・
アンドリューの人生は、白人たちの描いた勝手な虚像に振り回されてきた人生といえる。本当に、アボリジニのためになる政策とは何か、それを考えさせられる。
登場人物のうち、刑事アンドリュー・ケニントン、サーカスの道化師オットー・レヒトナーゲル、ボクサー、ツーウーンバがアボリジニである。彼らはハリーにアボリジニの文化について語る。
アボリジニは聖書の創世記のアダムとイヴの物語に似た人類誕生の伝説を持っている。禁断の木があり、そこには美味しい蜂蜜がふんだんにある。しかし、神はその木から蜂蜜を採ることを禁ずる。しかし女はその木から蜂蜜を採る。その木を守っているのはコウモリ達であり、そのコウモリに噛まれた女と人類は、神から約束された「永遠の命」を失い、死ぬべきことを運命付けられる。そして、コウモリはアボリジニにとって、「死」の象徴となる。
タイトルの「コウモリ男」というのはもちろんその逸話から付けられたものである。しかし、英語のタイトルが「バットマン」と言うのはいただけない。どうしても、映画と漫画で有名な「バットマンを連想してしまう。「コウモリ男」はもっと不吉で陰鬱なものでなくてはならない。
オーストラリア全土に渡る「金髪美女連続殺人事件」と言うものを扱いながら、ストーリーの展開が、極限られたハリーをめぐる「身内」の人間に留まるというも、何か変な気がする。良く知られた顔ぶれの間で、ボールをお互いに投げ合っているような展開なのだ。「あんたの次はあんた。その次はあんた。」という風に。もう少し意外な人間が意外な局面から現れて欲しかった。
ハリー・ホーレがホリーと呼ばれているのが面白い。「Hole」は英語では「ホール」と読まれてしまい、誰も「ホーレ」とは読まないであろう。ひょっとしたら「ホリー」の方が、ノルウェー語の発音に近いのかも知れない。最後はハリーまで自分のことを「ホリー」と名乗っている。
推理小説だけではなく、映画でも、小説でも幾つかの「お約束」がある。例えば「ヒーローとヒロインは死なない」とか。その「お約束」、この物語では破られている、と書けば少し結末を暗示しすぎているであろうか。
(2009年8月)