オランダ人の死 (Death of a
Dutchman / Tod eines Holländers)
どこの土地でも、ささいなことで警察にすぐに電話したがる老人がいるものだ。九十一歳で独り暮らしの老婆、シニョーラ・ジュスティも、やたらとカラビニアリに電話をかけ、警察ではやっかい者にされている。その彼女が今日もまたガルナシアの部署に電話をしてきた。是非警官を遣して欲しいと言う。若い連中が嫌がるので、ガルナシアは仕方なく自分で彼女のアパートを訪問することにする。ガルナシアは昼食の際に食べようと果物を露店で買っていたが、これを自分への土産だと思ったシニョーラ・ジュスティに、ガルナシアは好感を持たれてしまう。
老女の話は、現在と過去の間を行きつ戻りつ。やっとのことで話が核心に入る。彼女が昨夜、自室でベッドに横たわっていると、普段は誰も住んでいない隣のアパートに人の気配がする。男と女の口論が聞こえた後、女が立ち去るのが聞こえたということである。半信半疑のガルナシアが隣のアパートに入ってみると、果たしてそのアパートの持ち主のオランダ人、トン・ゴッセンが倒れていた。まだ微かに息がある。救急隊が呼ばれるが、手の施しようがなかった。ゴッセンは事切れる前に「あの女じゃない。」という言葉を残す。
現場検証と解剖の結果、オランダ人のアパートの台所にあったコーヒーの中に大量の睡眠薬が混入されており、そのコーヒーを飲んだオランダ人は朦朧とした意識の中で助けを求めている途中に、誤って手を切り、失血死したことが判明する。
ガルナシアは、事件を担当した若い中尉と共に、捜査を開始する。
隣の老婆の証言や、隣人の証言によると、死んだオランダ人は、宝石職人の父親とともにフィレンツェに移り住み、少年の時期に母親を亡くす。その後は、隣人のシニョーラ・ジュスティの助けで成長し、彼女を祖母のように慕うようになる。彼は父親と同じ道を志し、父親の職場で宝石職人としての修行を積む。父親はその後、同じアパートに越してきたイギリス人女性と再婚。トン・ゴッセンは宝石職人として腕を上げ、新しい母親ともうまくいっていたらしい。成人した彼は、アムステルダムに店を構え、そこで妻を娶る。そしてたまに、仕事でフィレンツェを訪れ、そのときはアパートを利用する。そのようなところが、聞き込みから明らかになる。
奇妙なことがひとつある。彼の父の死後、英国人の義理の母親が、突然祖国に戻り、その後、義理の息子との交流を一切絶っているということであった。ガルナシアは、そこに不自然さを感じ、その消息を絶った義理の母親が、今回の出来事の鍵を握ると考える。
その義理の母親が、再びフィレンツェに現れたことが、隣人に目撃された。隣人の通報で、ガルナシアは彼女の後をつける。しかし、彼女は巧みにガルナシアの追跡を振り切ってしまう。何故、彼女は十年前、皆の前から突然姿を消したのか。何故、十年経った今、またフィレンツェに戻ってきたのか。
証人となるのは、九十一歳の老婆と、彼らの昔のアパートの下で花屋を営む盲目の隣人。ガルナシアは彼らの証言を基に捜査を続ける。しかし、老婆の証言は真実なのか。それとも他人の注目を引くための虚言なのか。
若い中尉は、事件に関係のある人物をリストアップする。ただ、ガルナシアにはそのリストに誰かが欠けているような気がしてならない。そして、その欠けているのが誰かをガルナシアが発見したとき、事件は解決に向かって動き出す。
この小説の見せ場はふたつ。
ボケているようで、用意周到で策略家のシニョーラ・ジュスティと、ガルナシアの会話。それと戻ってきたオランダ人の義理の母親とガルナシアのフィレンツェの町中で繰り広げられる追跡劇であろう。ガルナシアの、途中で夕立に会い、ずぶ濡れになり、ホテルのロビーに水溜りを作りながらの追跡は思わず笑いを誘うが、今回は、その彼の「執念」が最後の最後で、実を結ぶのである。
九十歳を過ぎた老人の興味の対象が語られている部分も面白い。
「彼女はこれまでに全ての家族の埋葬に立会い、友人や知人にもひとりまたひとりと別れを告げてきた。彼女自身も何時死んでもいいと思っている。彼女の死者と生きている者を分ける線引きが若い人とは違っているのだ。自分により近い死者、自分の華々しい時代を知っている死者が、彼女をないがしろにする現在生きている人間よりも、彼女には親しい存在なのだ。」
このような老人からの事情聴取、ガルナシアにとって、今回は本当に忍耐の必要な事件だったと思う。