マーシャルと殺人者 (The Marshal and the
Murderer / Tod in Florenz)
警察署のガルナシアを、スイス人の若い女性が訪れる。エリザベートと名乗る彼女は、アパートの同居人で同じくスイス人モニカが先週からアパートに帰っていないと告げる。二十歳を越えた大人が二三日帰らないからといって心配することはないと、ガルナシアは彼女を慰める。しかし、陶芸を勉強している同居人が、仕事着だけで、荷物もパスポートも持たずに出て行っていることを聞いた彼は、その点に不審を抱き、捜査してみることをエリザベートに約束する。
モニカは仕事で、フィレンツェから少し離れた陶芸の町へバスで通っていたという。翌日、ガルナシアは同じバスに乗って、乗客や運転手にモニカの写真を見せて、彼女を見なかったかと尋ねる。果たして、運転手が覚えており、確かに月曜日の朝、モニカを乗せ、陶芸の町まで運んだと言う。
その陶芸の町。町の殆どが、陶磁器、瓦、土管、壷などの焼き物で生計を立てている。ガルナシアは、モニカが働いていた、ベルティという男の作業場に顔を出す。ベルティはいかにも好色そうな中年男である。彼は自分では釜を持っておらず、皿に絵付けをしている。彼は、モニカが月曜日の朝、彼女は作業場に立ち寄らなかったこと、釜の所有者のモレッティのところへ直接行ったらしいことを伝える。
ガルナシアはモレッティという男の工場を訪れる。モレッティは、月曜日は工場が休みで、工員は誰も工場にいなかったこと、彼自身は顧客と打ち合わせをした後、顧客と昼食を取りに町のレストランに出かけ不在だったこと、したがって、彼もモニカを目撃していないことをガルナシアに告げる。
最後にガルナシアは、その町の警察署の署長、ニコリニスを訪れ、彼と町のレストランで昼食を取りながら、意見を交換する。ニコリニスはローマから最近その町に移って来た、陽気で、饒舌で、活動的な男であった。かれはその町全体が「閉じられた社会」であり、町の人間の多くが血縁関係にあり、お互いを庇い合うあまり、住人からの協力を得るのは極めて難しいと予言する。
食事の際に、ガルナシアとニコリニスはひとりの男に話しかけられる。裕福な身なりをし、饒舌で高慢なその男、ロブグリオは町の有力者であり、七つの浴室を持つ豪邸に住み、次期の町長の座を狙っているという。一癖有りそうな男であった。
翌日の早朝、ガルナシアはニコリニスからの電話で起こされる。モニカが死体で見つかったと言う。モレッティの工場の脇の、陶器の破片の山の中で、絞殺死体で発見された。死亡時間は月曜日の昼頃と推定された。
ガルナシアは、その町に出かけ、ニコリニスとともに事件を捜査することになる。モニカの雇用者ベルティ、その隣に住むモレッティの姉で知恵遅れのティナ、モレッティ自身、ロブグリオ、レストランの主人等と話をする。しかし、ニコリニスが予言したとおり、閉鎖社会の結束は固く、有力な証言は得られない。一番容疑のかかる、工場の持ち主モレッティには顧客とレストランにいたという完璧なアリバイがあった。
捜査は暗礁に乗り上げる。町にかつて起こった事件により、ベルティ、モレッティ、オブグリオの間には深い確執があり、現在の状態はその過去の事件に関与しており、その過去の事件が事件の解決を妨げ、また同時に事件の解決に鍵になるとガルナシアは推理する。しかし、その過去の事件について、情報を提供する者がいない。
ニコリニスが、八十六歳になる引退した医師フラシネリを探し出す。老医師はこれまでの町の出来事の生き証人で、彼からならば過去の事件についての情報が得られるかも知れないという希望がある。ふたりの警官は、老医師を訪ねる。老医師が語った第二次世界大戦末期にこの町で起こった事件、それはふたりの予想もつかない悲劇であった。
物語の後半の大部分が、フラシネリ医師の語りに割かれる。それだけでひとつの物語が構成できるような長いと同時に、中身の濃い語りである。戦争中、ナチスに協力した者、反抗した者が織り成す悲劇。その途中で、老医師は自身の苦しみを次のように告白する。
「私はそれ以来、事があれとは別の展開をしていたら、その結末はどのようになっていたかと自分に問いかけてきた。しかしどのような結末も思い浮かばない。振り返って見ると、あの他のようにはなりようがなかったような気がする。短い人生が一歩一歩避けることのできない結末に向かって進み、何者もそれを止めることができなかったような気がする。」
私には、この物語で一番心に残った言葉である。
今回、ガルナシアは精神的に、最後には、肉体的にも危機に陥る。悩んでいる彼に、妻のテレサは、
「もうあれこれ考えるのはよして、ぐっすり寝なさいよ。」
と勧める。
「言うは易く行なうは難し。彼がやっと眠りについたときも、彼の頭には雨に煙る陶芸家の町の同じ風景が繰り返し現れた。にもかかわらず、眼が覚めたとき、事件が夜の間にあっさり解決したような、さっぱりと軽い気持ちになっていることに驚いたのは、他ならぬ彼自身だった。もし彼が何か夢を見ていたとしても、もはや思い出せない。何も分からず、前日と同じ所に留まっているだけの現実と対峙することは大変困難であることが分かっている。こんな事実を自分自身につきつけたものの、晴れやかで、確信に満ちた気持ちは変わらなかった。」
眠りの効用であろうか。行き詰ったら、よく寝て、とにかく頭をすっきりさせることが大切なのである。
ドイツ語訳が「フィレンツェに死す」。犯行が行われたのは、実はフィレンツェではないのであるが・・・