私の朝ご飯
ドイツに住んでいたとき、ドイツ人の同僚のコニーに、「モトは朝ご飯に何を食べるの」と聞かれたことがある。「ヌードルスープ(ラーメンやウドンのことなんだけど)やカレーライスを食べる」と答えると、彼女は「ギャッ」と言う声を出して絶句した。ドイツ人じゃなくても、日本人でも絶句する人がきっといると思う。でも、実際、朝から食べる油ギラギラのラーメンとか、カレーライスとか、美味いんだよな。
前の日に、母ちゃん(母の意味のときもあるし、妻の意味のときもある)が作ったカレーが、翌朝幸運にもまだ鍋の底に残っているのを発見したとき、正直嬉しい。ガスに火をつけ、カレーの入った鍋を載せ、その間に冷や飯を電子レンジで温める。温かくなったご飯にカレーをかけて、生卵を割って食う。一夜明けたカレーって、味がまろやかで、前日に増して美味しい。前日、まだ鍋の中でケンカしていた材料が、狭い鍋の中で一夜を過ごし、もう他人じゃないという関係になっている。出勤前、朝の六時十五分に食べるカレーの味って、本当に最高。
ところが、前夜確かに残っていたはずのカレーが、夜の間に、腹を空かした高校生の娘や息子に食われているのを知ったときは、正直がっかりする。他に食べるものがない、そんなとき、朝からインスタントラーメンを作って食うのである。レタスとか、ハムとか、具をいっぱい入れて。
朝からラーメンを食うなんて、変な癖を私につけたのは、京都の母である。私の子供の頃、我家の朝食メニューの三分の一はご飯と味噌汁という一般的なパターンであった。しかし、あとの三分の一は「おじや」と「ウドン」であった。これは父の嗜好によるものが大きい。ともかく、「ウドン」はごく日常的に我家の朝の食卓に上っていた。
そのうち、母がローテーション的にみて、中二日でウドン来るところに、何故かインスタントラーメンを混ぜるようになった。ウドンからラーメンの変化を、同じ麺類と言うことで、私は比較的抵抗なくに受け入れることができた。母は、子供に対する愛情から、栄養のバランスを考えて、野菜や肉をラーメンに投入にした。私は、高校生の頃、朝っぱらから、脂肪が浮かんだ豚肉の入ったラーメンを食ってから学校に通っていたのである。
そのような食習慣の中で、私は、朝食に夕食と同じメニューを食べられるように訓練されていった。今となっては、朝から焼肉でも、ステーキで、すき焼きでも平気だもんね、という状態になってしまったのである。
個人的に、私の最高の朝食とは、父の嗜好を引き継いで「おじや」「雑炊」である。それも前日、鍋物をして、その残りの汁で作ったやつ。鍋物の残りの汁は、どのような調味料をもってしても太刀打ちできない、微妙で深い味わいがある。計画的に作ろうとしても、絶対にできない「偶然の芸術」だと思う。雑炊をさらさらと口に流し込んでいるとき、たまに春雨の残りなんかが台所のオレンジ色の八十ワットの電球にキラッ光ながら口の中に入ってくる。その喉越しがまた良いのである。