「笑う警官」
原題:Den skrattande polisen「笑う警官」
ドイツ語題:Endstation für
neun「九人の終着駅」
1968年
<はじめに>
この作品は、シューヴァル/ヴァールーの「マルティン・ベック」シリーズの中でも、最高傑作であると言われ、数々の賞を取ったものであるらしい。そのような評判を意識しながら読んだ。他の作品に比べて、特に際立った差があるとは感じなかった。しかし、それは、この作品の質が劣るという意味ではなく、他の作品の質が同等に高いと言う意味に解釈していただきたい。
<ストーリー>
初冬の冷たい雨の降る十一月の深夜、ストックホルム。二階建ての路線バスの中で、殺戮が行われた。終着駅の直前、何者かがバスの中で機関銃を乱射し、立ち去る。その結果、運転手と乗客の計九人が犠牲となった。その犠牲者の中に、ストックホルム警察捜査課の若い刑事ステンストレームがいた。彼は胸のピストルを握りしめたまま息絶えていた。それは、スウェーデンで初めて起こった、大量殺害事件であった。
犯人は、誰を殺そうとして、誰を巻き添えにしたのか。ベックとそのチームの刑事たち、コルベリ、ラルソン、レン、メランダー等は、殺された運転手と乗客ひとりひとりの過去と足取りを追っていく。
犠牲者の中に、かろうじて命を取りとめ、病院に運ばれた男がいた。その男は息を引き取る前に、
「誰が銃を発射したのか」
と言う警察官の問いに、
「D…n…r…k」
と答え、
「犯人はどんな姿をしていたか」
と言う質問には
「Samalson」
と答えていた。どちらも、意味不明の言葉である。
九人の犠牲者のうち、八人の身元が判明するが、残りのひとりの身元がどうしても分からない。その男は、身分を示すようなものは何も持っておらず、ポケットの中には麻薬がこびりついていた。その男は貧しい身なりにも関わらず、大金を所持していた。検視の結果も、彼が麻薬常習者であることを示していた。
殺された刑事、ステンストレームは、当時担当している事件もなく、その夜も非番だった。その彼が、何故、深夜ピストルを持って、路線バスに乗っていたのであろうか。ベックは、ステンストレームの婚約者、オーサ・トレルを訪れる。婚約者は、死の数週間前、ステンストレームが昼も夜も働いていたと証言する。ステンストレームは、個人的に、何らかの事件、特定の人物を追っていたらしい。
難航する捜査を助けるために、マルメーからモンソン、北からはノルディンが助っ人として捜査班に加わる。慣れないストックホルムの地理に苦しみながらも、彼らは捜査を続ける。
数週間が経ち、クリスマスが近づくが、捜査は一向に進展を見せない。世間は警察の能力に疑問を持ち始め、捜査班の中に焦燥が広がる。そんな中、助っ人のノルディン刑事が、ただひとり身元の分からなかった犠牲者が誰であるかを探し当てる。その男は、ニルス・エリック・ゲランソンという名前の、住所不定、麻薬中毒者であった。半ば浮浪者に近い彼が何故、大金を所持していたことに、ベックは疑念を持つ。
殺されたステンストレームは、仕事机の中に、自分と婚約者のセックスの写真を入れていた。また、彼は、数週間前から、急にセックスの回数が増えたと言う。その証言から、ベックは、ステンストレームが個人的に追っていた事件が何であるかを知る。それは、十六年前に起こり、犯人が見つからないまま迷宮入りしていた、ポルトガル人で、色情狂の女性、テレサ・カマラオが殺され、死体が遺棄された事件であった。
<感想など>
実に周到に練られたストーリーである。過不足や無理がない。淡々と進む、いや時には進まない展開に奇妙なリアリティーがある。本当に美味しい酒は、サラッとしていて、飲んだとき「どこが美味しいのかな」と先ず自問させる。つまり全然「くどさ」がない。そして、酒が喉を通り過ぎた後に、じわりと美味しさが口中に広がる。そういう後味を残すこの小説は、それゆえに逸品と言えるかも知れない。
笑える部分が随所にあり、それが、ストーリーの薬味の役割を果たしている。マルメーから応援に来たモンソンが、犠牲者の一人、アラブ人の男の下宿を訪ね、同居人を尋問する場面。
「あなたもアラブ人ですか。」
「いいや、トルコだ。あんたも外国人だろう。」
「いいえ、私はスウェーデン人です。」
「えっ、でも、あんたは正しいスウェーデン語を喋ってないように思えるんだが。」(121ページ)
マルメーは南部のスコーネ地方。スコーネ方言は発音が違うらしい。この前、スウェーデンのテレビの中で、俳優がスコーネ方言を話すと、字幕スーパーが出ていた。トルコ人にスウェーデン人扱いされなかったモンソンの顔を想像すると、笑える。
このモンソン、煙草を止めて口が寂しいからという理由で、いつも口に爪楊枝をくわえている。(昔の日本の時代劇の主人公に同じようなことをしている男がいたっけ。彼は、爪楊枝を吹き矢にしていたが。モンソンはくわえるだけで武器にはしない。)モンソンは長年、味の付いた爪楊枝を探していた。そして、今回、デモ隊を避けるために飛び込んだ喫茶店で、ついに、「はっか」の味のする爪楊枝に出会う。彼が店の人間から仕入先を聞きだし、自分でも大量に発注したことは言うまでもない。
「笑う警官」と言うのは、ベックがクリスマスに娘のイングリットからプレゼントされたレコードの名前である。
「もしもきみが道で次回
笑う警官に会ったなら
そいつにチップをはずもう
きみに会った記念に」
その合間に笑い声が入るという。一九四〇年代の曲らしいが、一度聴いてみたいものである。
この物語では「笑い」がいくつかの場面で鍵になっている。ひとつはノルディンが、身元不明の犠牲者が誰であるか見つける場面。通報者がなかなか正確な描写をできない。「そいつは大声で笑う」と言うのが、通報者の話題に上る。その「大声で笑う」と言うキーワードで、最終的に犠牲者が特定できるのである。「笑い方」と言うのも、人間を特定する上で、重要な要素らしい。
また、コルベリが、殺されたステンストレームの婚約者に会う場面。婚約者は普段は大人しいステンストレームが大声で笑うことにより、彼の精神的な変化を知る。
常に冷静で、普段は大声で笑わない男、マルティン・ベックが笑う場面があるかどうか、このあたりが、物語をこれから読む人の興味になることは間違いない。
周到に考えられた筋であると最初に述べたが、芸が細かいのは、ベックの同僚全員に活躍の場が与えられていることであろう。作者が刑事全員に花を持たせている。レンも、メランダーも、ラルソンも、助っ人のモンソンとノルディンも、最低ひとつは「グッド・ジョブ」と呼びたい働きをする。
コルベリがステンストレームの婚約者を二回目に訪れるシーンは素晴らしい。単に彼女を尋問するだけではなく、彼女の深層心理から事実を引き出し、しかも、自暴自棄になっている彼女を救うのである。なかなか感動的な場面であった。
ベックは、だんだんと自分では動かず、チームをまとめていく役割が多くなっていく。これまでの、「マルティン・ベック」シリーズとは言いながら、ベックが主人公として活躍する展開から、彼のチーム全体が主人公となる展開に変る、転機になる作品であろう。
登場人物の言葉により、作者の意図が読み取れる場面がくつかある。そのひとつ、コルベリの言葉である。(268ページ)
これまで誰にも言ったことのないことを、初めて君(レン)に言う。毎日仕事で出会う殆ど全ての人間が哀れに感じてならないんだ。彼らはつまらない原因で道を踏み外した可哀想なやつなんだ。何も分からないまま落ちてきてしまったことが、全然彼らの責任でないことも多い。この野郎のように、他人の命を食い物にしている、もはや人間とは言えない輩の責任であることが多い。そいつ等は、自分の金、自分の家、自分の家族、いわゆる地位というものを守ることしか考えていない堕落した豚野郎だ。たまたまちょっと自分の方が金を持っていると言うだけで、他人に命令できると思っているやつ等。そんなやつ等が五万といる・・・
金を持っている人間が金を、「地位」のある人間が「地位」を守ろうとするときの、あくどさ、汚さが、社会の腐敗の原因であると、私もそう思う。
(2005年7月)