「夜の蝶」
ドイツ語題:Nachtfalter 「夜の蝶」
原題:Amyna Zonis 「縄張り」
1998年
<はじめに>
アテネ警察、コスタス・カリトス警視シリーズの二作目。五百五十ページの大作である。光、つまり金に群がり闇のビジネスに舞う、蛾のような人間たちの物語。ドイツ語でのタイトル、「夜の蝶」というのは、殺された男、コンスタンティノス・コウスタスが経営するナイトクラブの名前でもある。
<ストーリー>
カリトスは妻のアドリアニと共に、義理の姉の住む島で休暇を過ごしていた。ある夕方、島は激しい地震に襲われる。村の人々は家を飛び出し、余震の続く中、野外で不安な一夜を過ごす。
翌朝、地元の警察官が、カリトスを訪れ、同行を依頼する。地震による崖崩れで露出した土の中から、男の死体が発見されたというのである。死体の指は、指紋を分からないようにするために焼かれていた。島に滞在する外国人のひとりが、殺された男が近くの島サントリーニで若い金髪の女性と一緒にいるところを目撃していた。カリトスは、その事件を担当することになり、休暇を切り上げ、死体と一緒にアテネに戻る。
アテネに戻ったカリトスを、もうひとつの殺人事件が待っていた。殺されたのは、ナイトクラブの経営者コンスタンティノス・コウスタス。彼は深夜、自分の経営するナイトクラブの前で、何者かに撃たれた。事件は最初テロ捜査課の担当であったが、殺人課が引き継ぐことになったのである。カリトスは四発もの弾丸が発射されていることを知り、その殺人が「プロ」のものでないことを直感する。「プロ」ならば一発で仕留めているはずであると。
カリトスは殺されたナイトクラブの経営者、コウスタスの屋敷を訪れる。そこは高い塀と、厳重な防犯装置に囲まれた、まるで要塞のような建物であった。彼はコウスタスのふたりの家族と会う。ひとりはコウスタスの妻である。カリトスは彼女を見て驚く。彼女は、かつての売れっ子ダンサー、エレナ・フラガキであった。カリトスは若い頃、要人の警護でナイトクラブを訪れ、エレナの舞台を見ていた。カリトスはエレナから、好印象を受ける。もうひとりは息子のマキスである。彼は、コウスタスの先妻の子供であった。麻薬中毒からのリハビリ中であるという彼は、後妻のエレナを憎んでいるようであった。彼は、父親を殺したのはエレナであると、カリトスに言う。
カリトスはコウスタスの経営するナイトクラブを訪れる。事件を目撃したドアマンの話によると、コウスタスは独りでナイトクラブのドアを出て、自分の車の所へ行った。そして、車の中から何かを取り出そうとしているとき、誰に後ろから話しかけられ、振り向いたところを撃たれたという。犯人は、傍に停まっていたオートバイに乗って逃走した。用心深いコウスタスは常にボディーガードを連れて行動していた。しかし、そのときに限り独りで、ナイトクラブから外に出ていた。カリトスは、コウスタスを呼び出し、射殺した人物は、コウスタスに警戒心をおこさせない人物、つまり顔見知りであると推理をする。
コウスタスは、ナイトクラブを二軒、高級フランス料理店を一軒所有し、経営をしていた。捜査のため、妻のアドリアニを連れてそのフランス料理店を訪れたカリトスは、コウスタスの妻エレナから、思わぬ厚遇を受ける。店長に質問するが、コウスタスは自分の経営する店の帳簿を独りで管理し、家族も、従業員も、経営状態について多くを知らせていなかった。
カリトスは、コウスタスの娘、ニキを職場に訪れる。ニキは世論調査会社に勤めていた。英国の大学を卒業した彼女からは、聡明な女性であるという印象を受ける。彼女は、父親の殺された夜、自分と弟のマキスは一緒に自分のアパートにいたと証言する。
またコウスタスの車の中から大金が見つかる。コウスタスは、誰かに脅迫されており、その人物に金を渡そうとして、車へ向かい、金を渡す前に殺されたのではないかと、カリトスは推論する。しかし、コウスタスについての捜査が、上司のギカスにより、突然打ち切りを命じられる。もっと高い所から政治的な圧力がかかったらしい。カリトスはしぶしぶそれに従う。
数ヶ月前から、カリトスは背中の痛みに悩んでいた。アドリアニは夫に医者にかかるように勧めるが、医者嫌いのカリトスは理由をつけては一日延ばしにしている。ある日の夕方、雨に濡れて帰宅したカリトスは、肩から腕に痺れを感じる。アドリアニは救急車を呼び、カリトスは救急病院に運ばれる。彼は心臓の異常と診断され、入院することになる。
父の入院を聞きつけて、娘のカタリーナがテサロニキから戻る。毎日父親を見舞っている間に、カタリーナは担当医のファニス・オウソウニディスと懇意になる。カタリーナは、これまでテサロニキで一緒に住んでいた男性パトスと分かれて、医師パニスと付き合っていきたいと父親に語る。
カリトスの入院は約一週間に及んだ。その間に、島で見つかった死体の身元が分かる。ペトロウリアスというサッカー三部リーグの審判であった。カリトスは無理矢理退院の許可を得て、仕事に復帰する。娘のカタリーナが運転手兼監視役を買ってでる。カリトスは、殺されたペトロウリアスの住まいを訪れる。そこは豪華なアパートのペントハウス。車はドイツ製の高級車。審判の他に職のないペトロウリアスが、何故か贅沢な暮らしをしていた。アパートの中は何者かにより荒らされていた。
コウスタスの資産を調べていくうちに、彼がサッカーの三部リーグに、チームを所有していたことが分かる。そして、ペトロウリアスが殺される直前に審判をしたゲームの一方は、コウスタスの所有するチームであった。また、ひとりの選手により、コウスタスとペトロウリアスが、試合の後、口論しているのが目撃されていた。こうして、全く関わりの無いと思われていた二つの殺人事件の接点が現れるのである。カリトスは、上司ギカスの命令を気にしつつも、またコウスタスの身辺調査を再開せざるを得なくなる。
カリトスは、親戚の税務署員の協力を得て、コウスタスの経営する店の財務状態を徹底的に調べる。その結果、店に突然普段の何倍もの売り上げが立つ日があることを発見する。おそらく、コウスタスは「闇の金」を引き受け、それをレストランの売り上げとして計上することにより、合法的な金に「洗浄」することで巨利をえていたことが推理された。
また、コウスタスが表向きは直接関与しない形で、複雑な利害関係が張り巡らされていることも分かる。殺された審判のペトロウリアスが娘ニキの勤める世論調査会社の所有者になっていること。その会社がコウスタスの経営するサッカーチームのスポンサーになっていること。コウスタスの先妻が名目上の社主を勤める会社が世論調査会社の親会社となっていること等。コウスタスは、それらの企業の間で金を行き来させることにより、「金の洗浄」をより効率的にしていたのである。
カリトスは、コウスタスの経理担当を尋問し、二重帳簿の存在を知る。二重帳簿の入った隠し金庫を開けたカリトスは、中から数枚の写真を発見する。それは、ペトロウリアスが殺された現場の写真、それと、コウスタスの経営する店の踊り子と元大臣で野党党首とのセックスシーンを撮影したものであった。
カリトスは単身、その政治家を訪れ、事件への関与を追及する。しかし、政治家は捜査にとってのタブーであった。翌日カリトスは警視総監と、署長のギカスに呼ばれ、謹慎処分を命じられる。
<感想など>
今回も長い話である。昨年の暮れにソロモン諸島へ行く飛行機の中で読み始め、読み終わったら春になっていた。
実に丁寧に描きこんである。それは伏線などというものではない。結果的、最終的に事件と関係はなかったという事項までが詳しく描き込んである。これでは長くならざるを得ない。
読んでいて面白いのは、最近のギリシアの国と、そこに住む庶民の生活が、余すところなく描かれていることであろう。その意味では、現在のギリシアの生活を知る上で、貴重な本である。数々の風刺を効かせたシーンが、それらを楽しく紹介している。
例えば、地震の被災現場を訪れる女性ジャーナリスト。ヘリコプターで島に現れ、野外で夜を過ごす人たちの前で、
「ここの被害は大したことないわ。もっと、ニュース受けのする場所を探しましょう。」
と言って、さっさと行ってしまう。本質を見逃し、センセーショナルなものだけを追う、マスコミがそこに描かれている。
カリトスがアテネに戻ると、ゴミ集めのストにより、ゴミの山があちこちにでき、悪臭が漲っている。心臓発作を起こしたカリトスを、アドリアニは救急病院へ連れていくが、その「救急」病院で何時間も待たされる現状。これらは、ギリシアのみならず、「福祉国家」の看板を掲げる他のヨーロッパ諸国の現状でもある。
殺されたコウスタスの張り巡らしていた、数々の利害関係には感服させられる。複雑であり、かつ合理的なのである。「見つからずに悪いことをし、そこから金を儲ける」には、周到な準備が必要であることを思い知らされる。もちろん、その計画と遂行には、頭脳が必要になってくる。
ショッキングな結末である。このシリーズまだ一冊あるであるが、結末を知ってしまうと、次の巻を読まざるを得なくなる。この作者も、登場人物に劣らず、かなり「商売上手」である。
(2008年5月)