ヘニング・マンケル
「イタリア製の靴」
原題:Italienska skor
ドイツ語題:Die italienischen Schuhe
2006年
<はじめに>
二〇〇四年発表の「海溝」(Dujp)に続いて、またまたスウェーデンの孤島に住む人間の話。今回は島には一応電気、電話が通じており、手紙も届き、通販で食料も届くが。孤独な男の隠遁生活に突然訪れた波乱万丈の一年の出来事が、淡々とした語り口で展開されていく。
<ストーリー>
物語の語り手、「私」、フレデリク・ヴェリンは、スウェーデンのある小さな島に住んでいる。祖父から相続したその島に住んでいるのは彼だけ、接触のある人間は郵便配達人のヤンソンだけという、世間から隔離された生活である。
冬の間島の周囲の海は氷に覆われ、ヤンソンは氷の上を雪上車でやって来る。フレデリクは冬の間、毎朝氷に穴を開け、海に身体を浸すのを日課としていた。その他の彼の活動は、毎日、気温、風向き、見えた鳥の種類などを記した日誌をつけることだけである。
フレデリクは十二年前からこの島で隠遁生活を送っていた。かつて外科医であった彼は、十二年前、大きな「スキャンダル」を起こし、世間から身を引かざるを得なくなった。彼は、自分の身なりや自分の家に対して、完全に無頓着になっていた。彼の家の居間にはアリが巣を作り、それが山のようになり、テーブルをほぼ覆い尽している。
彼は貧しい家に育った。彼の父はレストランのウェーターだった。彼の母はいつも貧乏に対して愚痴を言い、父親と言い争っては泣いていた。フレデリクは少年時代、その貧しさから抜け出そうと決心し、努力を重ね医者になったのであった。
折りしも冬。島は凍りついた海の中にある。一月のある朝、吹雪の去った後、フレデリクが窓から外を見ると、ひとりの人間がそこに立っている。それは彼のかつての恋人ハリエットであった。フレデリクは三十六年前、ハリエットを捨てた。彼は米国に留学することになった。その際、わざと誤った出発の日をハリエットに伝え、彼女に空港で待ちぼうけを食わしたまま米国に旅立ったのだ。その後三十六年間、フレデリクはハリエットに何も連絡をしていなかった。
ハリエットは、郵便配達人のヤンソンの雪上車に便乗して、島へやって来たのであった。彼女は老人のように手押し車に頼って歩いていた。雪の中で意識を失ったハリエットをフレデリクは家の中に運び入れる。
ハリエットはその日、フレデリクの家に泊まる。彼女は、突然の訪問の目的をフレデリクに明らかにしない。夜、ハリエットが眠っている隙に、フレデリクは彼女のハンドバックの中を調べる。そこに入っていた薬と処方箋から、ハリエットが末期癌であることを知る。
翌日、ハリエットは、
「私がここへ来たのは、あなたを責めるためではない、あなたに約束を守らせるためだ。」
とフレデリクに言う。ふたりがつきあっているとき、フレデリクがハリエットにした約束とは、彼女を「森の池」に連れて行くというものだった。
子供の頃、フレデリクは父親と一緒に旅行したことが一度だけある。そのとき、父親は森の中にある池へ彼を連れて行き、そこで泳いだ。その黒々とした水は、まるで池には底のないかのように感じさせた。
「その池を一度見せてあげる。」
とフレデリクはハリエットに約束をしていたのだ。「その約束が、私の生涯で、一番美しいものだったから」という理由で、ハリエットはフレデリクに約束の履行を迫る。フレデリクは、ハリエットの真意を疑いながらも了承し、翌日ふたりは島を離れ、車で「森の池」を探す旅に出る。
フレデリクは幼い頃の記憶を辿りながら、「森の池」を探す。彼も次第に自分でも「森の池」と再会したくなってくる。旅をしながら、ふたりは自分たちの過去について話をする。しかし、フレデリクは、何故三十六年前、ハリエットから去って行ったのかは明らかにしない。癌が進行し、死期の近いハリエットだが、何とか旅を続ける。
数日後、フレデリクはついに「森の池」を探し当てる。真冬、もちろん池は凍りついていた。しかし、その場所は確かに、幼いフレデリクが父親と来た場所であった。ふたりは池の真ん中に立つ。フレデリクは自分が約束を守ったことに満足を覚える。
岸へ戻る途中、フレデリクの足元の氷が割れ、彼は池に落ちる。ハリエットはフレデリクを助け上げ、寒さの為に意識不明になったフレデリクを裸になり暖める。
森の池を見た後、ハリエットは三十六年間の「利子」として、もう一箇所彼女に付き合ってくれとフレデリクに頼む。ハリエットは、森の奥に車を進めるように指示する。深い森の奥の廃屋の傍に、一台のキャンピングカーが停まっていた。そこにひとりの若い女性が住んでいた。ハリエットはその女性、ルイーゼをフレデリクの娘であると紹介する。
フレデリク、ハリエット、ルイーゼ、両親と娘が三十六年ぶりに一同に会する。それは奇妙な風景であった。三人はその夜、狭いキャンピングカーの中で眠る。
翌日ルイーゼはフレデリクを、近くに住む、ジャコネリ・マテオッティというイタリア人の靴職人の家へ連れて行く。森の奥ではあるが、そこには都会から逃げてきた音楽家や、画家などが住んでいた。ジャコネリに「貸し」があるというルイーゼは、フレデリクの靴をジャコネリに注文する。ジャコネリはフレデリクの足を念入りに採寸する。完成は一年後になるという。
ふたりがキャンピングカーに戻ると、ハリエットが意識不明になっていた。救急車が呼ばれ、ハリエットは病院へ運ばれる。その夜、病院を出たフレデリクとルイーゼは、ファストフードの店で、朝まで話をする。フレデリクは十二年前、医者として「とんでもないスキャンダル」を起こしてしまったことを娘に語る。彼は、骨癌のため片手を切断しなくてはならない患者の健康な方の手を、誤って切断してしまっていたのである。
ふたりが病院に戻ると、ハリエットは意識を回復し、勝手にベッドを離れ、カフェテリアにいた。三人はキャンピングカーに戻る。キャンピングカーで、ハリエットはフレデリクの過去の無責任な行いを責め、ルイーゼは娘との再会に喜びを示さない父親を責める。フレデリクはキャンピングカーを飛び出し、車で自分の住んでいた島に戻る。
島に戻ったフレデリクに、ひとつの変化が生まれていた。彼は、自分が誤って健康な手を切断した若い女性に会い、謝罪しなければならいと思うようになったことである。彼はその事件の後、その女性に一度も会っていなかった。彼は過去の資料、電話案内から、片手を切断された女性、アグネス・クラーストレームを探し出し、彼女に手紙を書く。数日後、その女性から電話があるが、フレデリクは何も話さないで電話を切る。
数日後、彼はアグネスの住む街を訪れる。アグネスの住んでいるであろう家を双眼鏡で見ていると、サムライの持つような刀を持った少女が家から飛び出してきて、フレデリクに向かって走って来る。彼は慌てて逃げようとする。刀を持った少女は、家から出てきた女性に制される。その女性がアグネス・クラーストレームであった。
アグネス・クラーストレームは、身寄りの無い移民の少女達の面倒を見ていた。当時、三人の少女が、アグネスの家に寝起きをしていた。フレデリクは過去の過ちを侘びる。アグネスのもう片方の手は幸い切断を免れ、彼女は片手を使うことはできた。アグネスは、最初の頃は自分の腕を切断した医者を憎んだが、「憎悪」は一定の期間しか持続しないと述べ、フレデリクを許す。
アグネスの預かっている少女の一人、「刀を持った」シーマがフレデリクの車を無断で乗って行ってしまう。そのためフレデリクはアグネスの家に泊まることになる。翌朝、シーマも車も戻り、フレデリクは島へ戻る。
フレデリクは島で独りの生活に戻るが、ハリエット、ルイーゼ、アグネスとは手紙のやり取りを続ける。冬が終り、海の氷が融け始めた頃、島にひとりの訪問者があった。アグネスの家に寄宿する少女のひとり「刀を持った」シーマであった。モーターボートを盗んでやって来た彼女は、
「ロシアに行くつもりだが、途中に立ち寄った。」
と言う。その夜、フレデリクはシーマが泣いているのを耳にする。翌朝、フレデリクが居間に下りてみると、シーマはナイフで自らを傷つけ、血まみれになって倒れていた。フレデリクは直ぐに沿岸警備隊の出動を要請し、シーマを本土の病院に運ぶ。アグネスも駆けつける。ふたりの願いも虚しく、シーマは病院で死亡する。
シーマの葬儀を終えたアグネスは、一度島へ立ち寄り、シーマの荷物を受け取りたいとフレデリクに告げる。しかし、彼女が実際に来る様子はない。ハリエットはいよいよ死期が近付いてきたのか、手紙の字が乱れるようになる。ルイーゼからも、古代人の描いた絵のあるフランスの洞窟を守る運動に参加したとの手紙を受け取ったあと、連絡が耐える。
フレデリクは、祖父の残したボートを修理したりして、心を紛らわせる。ある初夏の朝、彼は船が近付いてくる音を聞き、外に出る。郵便配達夫のヤンソンのボートが、家畜の運搬用の大きな平船を牽引してこちらにやってくる。その平船の上に乗っているのは、ルイーゼのキャンピングカーで、その上からハリエットとルイーゼが手を振っていた・・・
<感想など>
なかなか感想を書くのが難しい本である。好きだという人と嫌いだという人、両極端に別れそうな物語。主人公のフレデリクの取った行動を、醜いと感じるか、必然だと感じるかで、物語から受ける印象がガラリと変わる。私の個人的な評価は、ストーリーとしては面白いが、主人公に感情移入ができないため、どこか心から感動できないものがあった、そんなところであろうか。
基本的に、「私」が語り手になっている小説というのは読んでいて、少しフラストレーションが溜まる場合がある。特に語り手の「私」に秘密がある場合。語り手はその秘密をもちろん知っているのだが、それを敢えて書かない、書けないというのは、読んでいて釈然としないものが残るものである。
物語の中で、ハリエットは、フレデリクが過去に取った不可解な行動に対しての説明を迫る。しかし、それに対して、フレデリクは「覚えていない、忘れた」と答える。しかしそれが嘘であることは、読者も知っている。しかし、物語の中では、フレデリク自身が語り手なのだ。当然、そこには歯切れの悪さが残ってしまう。
「イタリア製の靴」、寒いスウェーデンと一見関係を見つけにくいタイトルである。この物語、ちょっと取って付けたような感じがしないでもないが、「靴」の話題がよく登場する。
まず、フレデリクの父のエピソードである。父親は貧しいながらも、ウェーターという職業に誇りを持っていた。そして、父親は、
「ウェーターはきちんとした靴を履かなければいけない。」
ということをモットーとしていた。その意味では、ウェーターはオペラ歌手にも似ている、というのが彼の持論であった。オペラ歌手も、足元がしっかりしていないと、良い声がでないらしい。
次にハリエットは靴の店員であったこと。彼女は靴の買い付けにローマへ言ったことがある。
そしてイタリア人の老靴職人ジャコネリ・マテオッティ。彼は九十歳である。何も暖かいイタリアからクソ寒いスウェーデンに移り住まなくても良いと思うのだが、彼は都会の喧騒を避けて、ルイーゼたちと一緒に、スウェーデンの森の奥に住んでいる。
これだけのエピソードで「靴」をタイトルにしてしまうのなら、少し無理があるが、この物語の締めくくりに「イタリア製の靴」が登場。読者が「なるほどね」と思うようになっている。
物語を読んでいて、読者が最初に突き当たる謎、読者が最初に知りたいと思うことは、おそらく、
@ 何故フレデリクは三十六年前にハリエットを捨てたか。
A フレデリクが十二年前に起こした「とんでもないスキャンダル」というのは何か。
という二点であろう。二番目の謎に対する答えは比較的早い時点で明らかになる。フレデリクは、若い女性の片腕を間違って切断してしまったのである。一番目の謎についての答えは、これがなかなか分からない。正直言って、私は最後までも読んでもまだ分からなかった。
心に残るシーン、死期の近いハリエットと、母親を世話するルイーゼが島を訪れる。ハリエットの希望で、夏至を祝うパーティーが開かれる。沿岸警備隊のルドマン夫妻、郵便配達夫のヤンソンなどが招かれ、その日はハリエットも見違えるように元気に振舞う。深夜、まだ明るさの残る夏至の空と海をバックに、ヤンソンが歌を唄いはじめる。それまで、誰もが彼を陰気で吝嗇な性格だと思い、彼が歌を唄うことができるなど考えてもいなかった。彼の声が朗々と夏の夜空に響き、皆がそれに聞き惚れるシーン。私は電車の中で読んでいたのだが、涙を堪えることができなかった。
これだけではなく、フレデリックとハリエットが「森の池」の畔に立つシーンなど、美しいシーンは随所にある。映画化されれば、かなりのヒットになると思う。
(2011年5月)