「誤りの捜査方針」
ドイツ語題 Die falsche Fährte
原題Villospår
1995年
はじめに
久しぶりに面白い本、読んでいて緊張感が持続する本に出会った気がする。連続殺人事件。犯人は最初から明かにされている。その犯人の特異な行動、警察の捜査、少女の焼身自殺が、最初別々のストーリーとして出発し、それらが次第に接点を持ち始め、最後に収束する、と言う筋書きである。最初から犯人が分かっている状態で、なおかつ、読者を最後まで緊張させ、五百ページの長編を飽きることなく読ませる。なかなかの小説であると思った。
ストーリー
プロローグ:ドミニカ共和国。ペドロス・サンタナは産まれてきた娘をサンティアゴの町に連れて行く。そこで出会った司祭に頼み洗礼を受けさせ、彼女をドロレス・マリア・サンタナと名付ける。一九七八年のことであった。
顔にインディアン風の化粧をし、ヘルメットをかぶり、よく研いだ斧を携え、小型バイクで出かける少年がいる。一九九四年の六月の深夜、イスタドの海岸。元法務大臣のグスタフ・ヴェターシュテットが、海辺にある自宅のすぐ側の砂浜で殺害される。犯人は斧でヴェターシュテットを殺し、その頭の皮を剥ぎ、持ち去る。
イスタド警察署。警視、クルト・ヴァランダーは署に自分の父親の訪問を受ける。父親は自分が不治の病に犯されていることを告げる。死ぬ前に一度イタリアへ旅行したいという父親は、息子に一緒にイタリアに来てくれるように頼む。
ヴァランダーは年老いた農夫から、自分の農園に誰かが無断で侵入していると通報を受ける。ヴァランダーがその農園に出向くと、菜の花畑の中に少女が立っていた。ヴァランダーが近寄ると、少女は自らにガソリンをかけ火をつけて焼死する。少女の身元は分からない。そばには「D、M、S」と刻印された十字架が残されていただけであった。ヴァランダーは自分の目の前で起こった悲惨な光景に大きな衝撃を受ける。(彼には自殺した少女とほぼ同じ年頃の娘がいる。)
追い討ちをかけるように、元法務大臣の死体が、砂浜のボートの下から発見されたという知らせが入る。被害者の家の掃除婦の証言で、元法務大臣の家に定期的に窓を外から見えないようにした黒塗りのベンツが出入りしていたことが分かる。それ以外、犯人の目途はまったく立たない。
折しも、サッカーのワールドカップの真最中。スウェーデンは順調に勝ち進んでいる。国中が、ワールドカップに沸き立っている時であった。
少年は自らをFBIの初代長官フーバーとインディアンの酋長ジェロニモの生まれ変わりであると信じている。六月二五日の夜、イスタド郊外に別荘を持つ画商のアルネ・カールマンは、大勢の人間を招待してパーティーを開く。深夜、独りで庭にいたカールマンを、少年は襲う。彼は、カールマンの頭を斧で叩き割り、頭の皮を剥ぎ、持ち去る。彼は、獲物の頭の皮を、姉の入院する病院の、窓の下に埋める。
捜査は進展を見せず、ヴァランダーを始め、イスタドの警察署は閉塞感に包まれる。ストックホルムから、犯罪心理学の専門家が呼ばれる。ヴァランダーはその残虐さから、この殺人が「復讐」であると考え、殺されたヴェターシュテットとカールマンの接点を見つけようと努力する。彼は、友人の元ジャーナリストから、ヴェターシュテットが政治家である時代、美術品の不正な売買で私財を肥やしていたという噂があったこと、カールマンが刑務所に服役時代、ちょうどヴェターシュテットが法務大臣であったことを知る。
菜の花畑で焼死して少女の身元が分かる。ドミニカ共和国で行方不明になった、ドロレス・マリア・サンタナであった。ヴァランダーは、何故、ドミニカ共和国で失踪した少女が、スウェーデンの片田舎に現れたのか不審に思うが、それを説明する材料はまだ何もない。
ヴァランダーはヴェターシュテットのガレージの屋根に「スーパーマン」の漫画を見つける。屋根からは家の中が見渡せた。犯人はそこからら、家の中のヴェターシュタットの行動を窺っていたに違いない。しかし子供の読む漫画と、残虐な犯人、そのギャップにヴァランダーは悩む。
政治家としてのヴェターシュテットを知る、かつての同僚をヴァランダーは訪ねる。そして、ヴェターシュタットが、政治家としての顔のほかに、少女と性的関係を持つことを趣味としており、常に売春行為をしていたと告げる。そして、それが明るみに出そうになると、法務大臣と言う地位を利用して揉み消してきたのだという。
少年の次のターゲットは父親であった。彼は、別居中の自分の父親を深夜呼び出す。ワールドカップで、その夜スウェーデンの試合があり、街の人通りが少ない時間を狙ってのことだ。彼は父親を殴り意識不明にさせ、目に硫酸を注ぎ、頭を斧で割り、さらに頭の皮を剥ぐという残忍な方法で殺す。そして、その死体を工事現場に捨てる。死体は、翌日発見される。
ヴァランダーと同僚のアン・ブリット・ヘグルンドは、家族に、父の死を告げに行ったとき、この少年に出会った。ヴァランダーはその少年の早熟さ、聡明さに関心をして、むしろ好感を持つ。しかし、彼の早すぎる、正しすぎる回答にひっかかりを感じる。彼の頭の中では、まだ、この少年と、連続殺人事件の犯人をつなげるものはなにもない。
少年自信は、ヴァランダーをも、殺人のリストに加え、彼の近辺に現れ、反対に彼を監視しはじめる。
そして、第四の殺人。イスタドから少し離れた、ヘルシングボリの街で、大きな屋敷に独りで住む実業家のリーグレンが殺される。彼は、殺された後、顔を火のついたオーブンに突っ込まれていた。そして、今回も頭の皮が剥がれていた。
現場検証をするヴァランダーは、ガレージに置かれている、窓にスモークのかかった黒塗りの車を発見する。そして、その車が、ヴェターシュテットの家に出入りしていた車ではないかと疑う。また、リーグレンの邸に出入りの会った、高級売春婦のエリザベート・カーレンから、リーグレンが、自分の家に金持ちの男たちを集め、若い娘を提供して、乱交パーティーを催していたことを知る。
一方、少年は、自分に付きまとうヴァランダーを疎ましく思う。少年は、自分の家を訪れたヴァランダーから鍵を盗み、その鍵を使い、ヴァランダーの自宅に侵入し、警視と娘のリンダを殺す機会を窺う。
ヴァランダー推理が少年に辿り着くのが早いか、少年がヴァランダーを襲うのが早いか、予断を許さない状況となる。
感想など
物語のクライマックスは何と言っても、ヴァランダーが、父親ビョルン・フレードマンが殺された後(息子のシュテファン・フレドマンが殺したのであるが)、少年の家を訪ねるシーンであろう。読者はその十四歳の少年が、連続殺人の犯人であることを知っている。ヴァランダーはそれをもちろん知らない。利口で狡猾な少年は、ヴァランダーの質問に対して、実にソツのない受け答えをする。しかし、正しすぎる、早すぎる受け答えは、ヴァランダーに、微かな不審を抱かせる。
一緒に少年の家を訪れた、同僚のアン・ブリット・ヘグルンドに対して、ヴァランダーは次のように問う。(273ページ)
「フレドマンの家族のところへ行ったとき、何か普通でないことに気が付かなかったか。」
「『普通でないこと』って。」
「冷たい風が、突然部屋の中を吹き抜けたような。」
彼はそんな表現を使ってしまったことを、即座に後悔した。アン・ブリット・ヘグルンドは彼が何か不適切なことを言ったように顔をしかめた。
「娘のルイザについて質問したときに、彼らは答えをはぐらかそうとしたんじゃないかと。」
彼は言い直した。
「いいえ、でも、あなたの態度がそこで変わったってことには気づいた。」
彼女は答えた。
この「冷たい風が、突然部屋の中を吹き抜けたような。」感覚を持ち得るのがヴァランダー所以である。そして、その直感を、ねばりによって、真相へと導いていく。
しかし、残虐な殺人の犯人が十四歳であることは、ヴァランダーの推理を、常に誤った方向へと導いていく。事件解決の後に、ヴァランダーは次のように供述する。(498ページ)
彼はしばしばシュテファン・フレドマンのことを考えた。どうして、今回、自分が頑固に誤った捜査方針に走ったのか、よくよく考えた。十四歳の少年が殺人犯であると考えるとは、彼には到底不可能なことに思えたので、それを信じることを自分で拒否していたのだ。しかし、心の奥底では、多分シュテンファン・フレドマンを自宅の居間で会ったときすでに、彼こそが、自分が追っている事件の真相に近いところにいるという予感を持っていたのでないだろうか。それを予感しながら、事実を認めたくないがゆえに、自分を誤った捜査方針に駆り立てていたのではないかと。
Die falsche Fährteという言葉を、ヴァランダーは頻繁に使う。「見当違い」という意味であるが、今回は「誤った捜査方針」と訳した。
連続殺人事件と同時進行的に描かれている事柄がいくつかある。ひとつは、スェーデンにとって何十年ぶりの暑くて乾燥して夏、次に、サッカーのワールドカップにおけるスウェーデンの躍進に対する国民の熱狂、ヴァランダーの父親の病気(アルツハイマー)、そして、数日後に迫ってきたバイバとの休暇である。
一九九四年は米国でワールドカップが開催されており、スェーデンは準決勝で敗れはしたものの、三位になっている。イスタドの警察署の中でも、警察官が(!?)トトカルチョをしている。そして、犯人もその熱狂を殺人に利用している。
ヴァランダーの父は一度錯乱状態になって、自分の描いた絵を突然燃やしだす。それを見るに付け、ヴァランダーは父親に残された時間が長くないことを感じ、その前に念願のイタリア旅行をかなえさせてやりたいと強く思う。そして、それも出来るだけ早く実現しなければならないのだ。
バイバとの休暇が数日後に迫るが、捜査は一向に進展を見せない。しかし、ヴァランダーは何故か、リトアニアのバイバに電話をして、休暇の延期を告げることを躊躇する。それは、その日までに事件を解決できる自信があるからではない。単に、休暇を楽しみにしている彼女に、言い出せないだけなのだ。彼が休暇に間に合ったかどうかは、ここには書かないでおく。
事件の他に、そうした悩みを癒してくれたのが、娘のリンダである。俳優を目指すことに方向転換したリンダは、数日間、ヴァランダーの元に泊まっていく。大人になったリンダとの会話が、今回のヴァランダーの活力源であった。
犯人の少年が、何故、殺人を犯すときに、顔に化粧を施し、裸足になり、斧を持ち、インディアンに変身するのか、興味がある。その答えを、ストックホルムから招かれた心理学者エクホルムが暗示している。
「変装は彼らを罪の意識から解放する。」(366ページ)
つまり、殺人を犯したのは、「別の人格」であると考えることにより、本人はそれで罪の意識から解放されるのである。エクホルムは、今回の犯人が、見かけ上は「普通の人間」であると、何度もヴァランダーに警告する。そして、それが的を得ていて、もっとも犯人らしくない人間が犯人であることを、ヴァランダー最後に知るのである。
アン・ブリット・ヘグルンドという女性の同僚が活躍する。彼女は、女性であるということで、警察の捜査課という男社会に慣れた、周りの男性の同僚から、最初、能力を疑問視される。しかし、そのてきぱきとした仕事振りで、次第に同等、いやそれ以上の評価を受けるようになる。ヴァランダーも、休日に彼女の自宅を訪れ、捜査上や、個人的な悩みを相談する。彼女の旦那は海外長期出張とか言うことで、いうも家にいない。小さな子供がふたりいるのに、徹夜の捜査も引き受け、休日にも出てくると言う、少し謎めいた女性である。ヴァランダーが余りにも彼女を信頼しているので、その感情が次作で恋愛感情に発展しないかと、興味がある。
(了)