仕事は熱意
時代祭り、出発前の風景。
父がデイサービスから戻った夜、三人で外食をすることにした。鴨川の畔にある、中華料理店なのだが、店も日本風にアレンジしてあり、味もあっさりとして上手い店だ。僕が京都に帰った時には、父母は必ず連れて行ってくれる。近いと言っても、父の足で歩くことは全く不可能なので、タクシーを呼んで、五時過ぎにその店へ行く。早い時間なので、店はまだ空いていた。
三人で席に就く。メニューも来る前に、
「ビールとピータン!」
と父が店員に叫んだ。母と顔を合わせて思わず苦笑をする。そういえば、ここへ来るたびに、僕は必ず、「とりあえずビール」とツマミにピータンを頼んでいた。せっかちと言えばせっかちだが、ここは父の記憶力と先制攻撃に敬意を表することにする。レストランでも、父は歯がない割には、僕と同じくらいの量を、僕と同じくらいのスピードで食べていた。
またタクシーで家に戻る。タクシーに乗る前後、父は杖をつきながら歩くのだが、そのスピードも結構速い。まだ八時前だが、父に付き合って寝てしまう。
十月二十三日の明け方、誰かが僕の名前を読んでいるので目が覚めた。父だ。慌てて隣の父の寝ている部屋へ向かう。父はベッドの下、ポータブルトイレの下に倒れていた。両脇を抱えて起こして、またベッドに戻そうとするのだが、父は身体の自由が利かないので、これが重いのだ。母も物音を聞きつけて起きてきて、ふたり掛かりで父をベッドに戻した。
夜が明けても、父の状態は良くない。ふらついて立てないし、独りで服も着られない。どうも、睡眠剤の分量を間違えて、二回飲んでしまったのが原因らしい。父は、痛みのため、結構強い薬を常用しているのだ。
かなり心配だったが、その日は僕も病院の予約があるので朝食後家を出る。病院での診察を済ませてまた正午前に家に戻ると、父はかなり元気になっていた。母によると、午前中、父は食堂のテレビの前のソファでずっと眠っていたそうである。
病院で、半年振りで循環器科担当のツノダ先生にお会いした。結果は良好。もう、ぼちぼちジョギングくらいなら始めて良いのでは、と言われ時には嬉しかった。
父はまず安心。自分も。そして、その日はかなり予定が立て込んでいた。午前中は病院での検査。昼の二時から近所のYさんの家にお邪魔をして僕の本業の(誰も余り知らないだろうけど)コンピューターの話をすることになっていた。その後、六時半からは、サクラとイズミと食事の約束。その前に時間があれば、サクラの家でピアノの練習をさせてもらうことになっていた。これとて、サクラはわざわざ僕が弾くようにピアノの調律までしてくれているので、ピアノを全然弾かなかったら同義的にどうもね、という感じ。スケジュールが詰まっている上に、朝の一件で三時半ごろから全然寝ていない。
とにかく午後二時に近くのYさんのお宅へ行く。Yさんは、手で書いた織物の下絵をスキャナーで読み取り画像データに変え、それを織物データに変換し、直接ジャガード織機で織物にするという研究をやっておられる。
僕らの子供の頃、西陣織の自動織機は、デザインを一度紋紙というパンチカードの特大版に置き換え、そのパンチカードを織機が読み取り、縦糸や横糸を制御し、ガッチャガッチャと織物を作っていた。
紋紙等を一切使わないで、画像データを織物データに自動変換して、それで織機を動かそうというのがYさんの試みだ。もちろん、織物には組織というか、糸の構成のパターンがあるので、どの組織で織るのかのいう判断も必要だ。説明に使われた現在テスト中の小型織機は、翌週、京都工芸繊維大学の学園祭で実演されるそうだ。
Yさんのやっておられる領域と、僕のやっている領域は違う。しかし、僕が強い印象を受けたのは、Yさんの「技術」よりも「熱意」だった。アイデアの卵を孵し、親鳥に育てていく、それにはもう熱意しかおまへん。いくら技術者のはしくれとはいえ織物の素人の僕に、Yさんは手を抜くところなく、二時間に渡り詳細な説明をしてくださった。そのぐらいの気持ちがないと、人の心は動かせないのかも知れない。
お礼を言って、Yさんのお宅を辞したのはもう四時十五分だった。サクラの家には四時半頃に行くと言ってあった。「健康のために京都市内はどこでも自転車か歩き」という鉄則を破り、タクシーに乗る。尋ねもしないのにタクシーの運転手は自分が八十三歳で、京都で二番目に高齢の運転手だと言った。「一番」は何と八十五歳でなお現役だという。
「うちの義父も、昔個人タクシーの運転手やったんですよ。でももう廃業して、権利を売ってしまいましたけど。」
そう言うと、
「ええときにお売りやした。もう儲からへんし、趣味でしかやれまへんは。」
と老運転手。
「まだお元気で仕事が続けられるのは、健康な証拠。いいことですよね。」
と彼に花を持たすと、
「最近、夜になると目が見えにくくなりまして、昼間しか仕事にでてまへんねん。」
外に目をやると、雨の日ということもあり、辺りは暗くなり始めていた。
西院のサクラの家に到着。彼女はいつもハグで迎えてくれる。(これ大好き!)三十分ほど話をした後、
「ピアノ一応調律したで。弾いてみて。」
と水を向けてくれた。
「ヌカミソの樽の蓋、ちゃんと閉まってまっか?」
と一応サクラに確信して、僕は練習を始める。サクラがバイオリンを弾き始めたら、狼のような遠吠えを始めたという犬のルナだが、横でおとなしく隣で僕のピアノを聞いている。愛い奴。
ピアノを弾いているうちに、娘さんのマヤ、イズミの娘で予備校へ通うために下宿中のユメ、そして仕事を終えたイズミが相次いで帰宅。
七時前に子供たちを残し、サクラとイズミで、歩いて一分の串カツの店「さいもん」へと向かう。
手前が父のオーダーによるピータン。