温泉のある駅
なかなか良い雰囲気の木津温泉駅。
宿に戻ったときに、浴衣に着替えていたのだが、料理に箸を伸ばすときに、袂でビールのコップをひっくり返す。カサネに
「もう、おじちゃん酔っとると。」
と言われる。どうも、袂のある着物には身体が慣れていない。
九時頃にもう一度、風呂に入る。ひとりで風呂に入るのは何となく寂しい。しかし仮に家族風呂があったとしても、母はひょっとするが、二十ン歳のカサネと一緒では無理と言うもの。
翌朝、まだ眠っている母とカサネを部屋に残し、ひとりで海岸沿いを散歩する。波はとても海とは思えないほど静かだ。宿に戻り、朝食前にまた風呂に入る。温泉に泊まったときの醍醐味は何と言ってもこの「朝湯」。大阪から来たという男性と一緒だった。この旅館の印象を尋ねると、
「ゆうべ食事中、女中さんが、『夕日が見える』と言うて、すっ飛んできて、障子を開けまんねん。何や変やと思いませんか。」
と彼は言った。その前の事情を知っていた僕は、思わずフフッ笑ってしまった。
部屋に帰ると、カサネだけがいた。窓から波打ち際でラジオ体操をしている母が見えた。母は体操をしているだけではなく、打ち寄せ返す波を見ながら、歌まで作っていた。
「夕日が浦 波打ち際に 佇みて 神の恵みの 絶えぬを思う」
僕は波を見るたびに、雄大な宇宙、悠久の時間を考えれば、自分の存在など、波打ち際で現れ、次の瞬間消える泡のようなものだと思う。同じ波を見ても、それぞれ、感じ方が違うものなのだ。
朝食の後、マイクロバスでまた木津温泉駅まで送ってもらう。駅の近くの土産物屋で少し土産を買う。土産物の大部分はやはり海産物。カサネはイチゴ大福が美味いと言って、試食を繰り返している。でも結局は買わなかった。
木津温泉駅には、ホームに温泉が引いてあり、「足湯」ができる。小さな浅い浴槽を囲むようにベンチが置いてあり、そこに座って足を湯に浸すのだ。靴と靴下を脱いで生ぬるい湯に足を浸してみる。期待したほど気持ちの良いものではなかった。
単線の線路を、一両だけの青いジーゼルカーがコトコトと近づいて来る。何とも言えない情緒がある。鉄道オタクでなくても、そう感じると思うのだが。ジーゼルカーは新緑のトンネルと本当のトンネルを交互に通り、四十五分で天橋立に着いた。
指定券を買っていた京都行きの列車は、十三時五十三分天橋立駅発。それまで、日本三景のひとつ天橋立を観光する時間がある。
天橋立駅の玄関横に銭湯があった。その前に無料の足湯がある。この辺りはどこでも温泉が湧いているようだ。駅を出て、天橋立に向かう。日本の「観光地」の独特の匂い、「イカ焼き」の匂いが辺りに漂っていた。
木津温泉駅ホームにあった足湯。