特認校
受験生の母親という役目は大変らしい。金沢の義理の妹は今年上の息子が高校受験。甥は無事志望校に合格したが、合格発表の直後から、妹はインフルエンザで寝込んでしまった。高校と大学の同級生、和泉と恵美と電話で話したが、ふたりとも息子さんが大学受験。やはり、終わった後、寝込んだと言っていた。受験生を持つ母親の心労はいかばかり。受験が終わると同時にガクッときてしまったのだろう。
金沢駅でピックアップしてくれた義父の話では、金沢から山をひとつ越えた部落に嫁いでいる義理の妹、チコちゃんはまだ熱が高くて寝ており、今回は会えないかも知れないとのことだった。一週間前に上の息子、カッチの高校入試の発表があり、義父も見に行ったとのこと。あんな緊張したことは最近ないと、義父は運転しながら嬉しそうに語った。
金沢に着いた翌日の昼、二十五年ぶりの市営陸上競技場での練習を終えて妻の実家に戻ると、ちょうど、妹の旦那、つまり義弟とその下の息子、ヒロが来たところだった。その日は午前中ヒロの今年最後のスキー大会があり、その帰り道だと言う。ヒロはアルペンスキーの選手だ。彼の一セット十万円以上するという、競技用のスキーを見せてもらう。スキー部の打ち上げがあるということで、二人は間もなく山ひとつ向こうへ帰って行った。妹は熱が下がり、夕方に食事に来ると、義母が言った。
夕方に妹と上の息子カッチがやってきた。僕は、カッチに合格おめでとうと言った。義父母に祖母、妹と甥と僕で寿司をつまみ、六人で賑やかな夕食になった。もっぱらの話題は、カッチの高校のことだった。彼は高校まで自転車で通うと言うが、彼の住む部落から、金沢市内までは先程から何回も書くように、山が存在する。夏は良いが、秋は熊もでるし、冬になって雪が降ったらどうするのだろう。「そのときはお里に下宿する」とカッチは言った。「お里」ねえ、最近は、余り聞かなくなった言葉だ。
彼が中学の卒業アルバムを見せてくれた。山の学校で、今年の卒業生は十三人だけだった。しかし、卒業生十三人と言うのは、異例に多いと言う。最近はどの学年も一桁の人数しかいないらしい。十三人が皆、小学校のときから一緒かと甥に聞く。
「このうちふたりは、何年か前にうちの学校に来て、金沢市内からバスで通ってる。うちの学校、特認校やし。」
彼は答えた。「特認校」、それ何、と僕が聞く。妹と甥の説明によると、いじめやその他の理由で、ほかの小中学校に行けなくなった子供たちを受け入れるのが「特別認定校」略して「特認校」だと言う。子供たちにとっても、別の学校に通えるチャンスがあるのは良いことだし、若い世代と共に子供が減って、廃校の危機に迫られている山の学校も生徒の数を確保できる。なるほど、なかなか合理的なシステムだと思った。
翌日、金沢から京都に帰る間際に、この「特認校」という言葉を失念してしまった。「お母さん、あれ、何やったかな、あの、他の学校から子供を受け入れる学校のこと。」母も思い出せず、わざわざ妹に電話で尋ねてくれた。「『特認校』、そうやった!」