思い出の場所
東京から戻った日の夜、京都で父母と一緒にレストランで食事をした。父は数年前にした大病の後遺症に悩まされていて、最近は長時間外へ出ることがない。最初はタクシーで行こうかと言っていたが、結局バスに乗ってでかけた。最近オープンした、掘り炬燵ある店で、モダンな会席料理は、量も質も値段もなかなか満足のいくものだった。父もビールを飲み、美味しそうに食べていたので安心。最近、母が俳句で賞をとったので、「受賞おめでとう」と乾杯のときに言った。母はさかんに照れていた。
翌朝、九時半の特急雷鳥で、妻の実家のある金沢に向かう。途中の福井県はずっと雪が積もっていて心配したが、幸い、石川県に入ると地上の雪は消えていた。金沢駅には義父が迎えに来てくれていた。曇り空、何時雪が降ってもおかしくないような気温だった。
妻の実家へ着く。義母と九十歳になる祖母に半年振りに会う。祖母も何とか僕の名前と顔は覚えてくれていたようだ。正直言って、金沢の実家では、テレビを見て、風呂に入って、飯を食って、酒を飲んで眠るくらいしかやることがない。しかし、昼から酒を飲むわけにもいかないので、僕は、温水プールへ行くことにした。妻の実家から歩いて十五分くらいのところに、金沢市営の陸上競技場とプールがある。僕は三時前に家を出て、歩いてプールへ行った。土曜日の午後だが、室内プールで泳いでいる人は二、三人しかいない。一コースを独占した形で、僕はクロールで五十往復泳いだ。
一時間してプールから上がると、義父の車がプールの駐車場で待っていた。
「一時間ほどで上がるって聞いていたもんだから。今日は寒いし、風邪でも引いてもらったら困ると思って。」
父が車の窓を下げながらそう言った。家に帰ると風呂が沸いていた。風呂から上がると母がビールを出してくれた。ビールを飲んでいると、夕食。正に至れり尽くせり。
翌朝は、早春の北陸では珍しい晴天だった。気温も十五度近くまで上がると言う。朝食の後、僕は昨日と同じ道を通って、プールの向かいにある陸上競技場にでかけた。学生時代この陸上競技場で練習をした。妻と初めて会ったのもここだ。ある土曜日の午後、怪我をして皆と一緒に走れない僕は、軽いメニューで練習していた。主将のサカイダが、陸上をやりたいと言ってやってきた初心者の女の子を連れてきた。練習に付き合ってやってくれと言う。その初心者の女の子が今の妻だったのだ。
二百円を払って競技場に入る。トラックが最新式の全天候型になった他は、二十五年前と基本的に変っていなかった。妻と僕が最初に会った日に、ふたりで腹筋、背筋などの補強運動をしていた芝生の辺りを、僕は懐かしく眺めた。
日曜日の午前中とあって、何校かの高校生の陸上部が練習していた。背の低い、一見小学生にも見える女の子が競歩の練習をしていた。トラックの一番外のコースを、鼻の頭に汗の球を浮かべながら彼女は一生懸命に歩いていた。二十五年の時間が、全く存在しないかのような一瞬だった。それから僕もトラックを走り始めた。