富士山
品川駅近くの居酒屋で、生蛸の刺身とか、鯛の兜煮とか、鮟鱇の唐揚げとかをつまみながら、ミツルとトメちゃんとフィアンセのノリコさんと過ごした。大学の時ミツルは歴史を専攻していたのだが、ノリコさんも歴史が好きらしくて、僕とトメちゃんの知らない話題で話に花が咲いている。歴史に疎い僕とトメちゃんのふたりは、「まあ、何はともあれ、よかったな」などと言い交わしながら、焼酎の湯割をあおっていた。
大学の時から教授にたてついていたミツルは今も上司にたてついて干されているみたいだし、トメちゃんはお世辞にも世渡りが上手いと言えないし、僕には全く出世欲と言うものが全然ないし。数年後にこのメンバーで再会したら、ノリコさんが一番偉くなっているのではないかと思えてきた。
十時に店を出た。埼玉の田舎まで帰らなくてはならないミツルは去って行った。トメちゃんとフィアンセと僕はそれからまた沖縄の泡盛を飲ませる店に行き、真夜中近くまで飲み続けた。泡盛は芳醇で美味かった。僕はホテルのすぐ横で飲んでいるので、こんなに気楽なことはない。その夜、僕はかなり酔ってホテルに戻った。
目を覚ますと、窓の外には青空を背景に、高層ビルが眩しい光を反射していた。良い天気とは裏腹に、二日酔いで頭が思い。午前九時ごろ、通勤する人たちが少し途絶えた頃を見計らって、ホテルから外に出る。風強く寒かった。京急の乗り場の横にある食堂で、僕は納豆付「朝定食」を食べ、帰りの新幹線に乗るために東京駅に向かった。
新幹線はその日も混んでいた。僕は向かい合って座っている三人連れに、ひとりだけお邪魔しますという様な形で席についた。三人連れは日本人の夫婦に外国人の中年女性。その女性に「どこから来たの」と聞くと「フロリダ」だと言う。パティという名前だった。ホストファミリーと一緒に旅行中だとのこと。日本人の奥さんが、折り紙の「椿」を教えているが、複雑で、横で見ている僕にもよく分からない。パティもほぼ降参ムードだ。
新幹線は静岡県に差し掛かり、丹那トンネルを抜けた。右側に富士山がくっきりと見える。まだまだ雪で真っ白だ。これまで何度も新幹線でこの辺りを通ってはいるが、これほどくっきりと富士山が見えたのは初めて。僕は感動してしまった。このところ、地震にショックを受けたり、相撲を見に出かけたり、そして富士山に感激したり、行動パターンが、完全に「日本を訪れた外国人」のものになっているなと自分でも思う。
「ほら、フジヤマ、見て見て、ビューティフルやん。」
と隣のアメリカ人に英語で言うと、彼女は、
「ああ、富士山ね。去年頂上まで登ったわ。」
とあっさりと言った。最近の外国人観光客はなかなか手強いのだ。
三人組は浜松で降り、その後、赤ちゃんを連れた二十代のお母さんが座ってきた。「今日は雪になる」と彼女は言った。こんな良い天気なのにまさかと思ったが、果たして関が原付近は本当に吹雪だった。雪のため新幹線は少し遅れて京都に着いた。