何しに来たの?

 

 姉とふたりで、余震に揺さぶられながら夕食を取っていると、九時前に義兄が戻って来た。義兄とは言っても僕より年下。「お兄さん」と呼ばれるのを本人が嫌がるので、名前で呼んでいる。知人に不幸があって、お通夜に行ったものの、高速道路が地震で閉鎖になっているので、道路が混雑し、帰りが遅くなったのだと言う。地震の後、職場へ行ってみたら、棚からファイルが落ち、壁にはひびが入っていたそうだ。義兄は僕に、

「今日は絶対にきみが福岡まで来られないと思ってた。」

と言った。

 義兄とあれこれ話しをしながら酒を飲み、十一時半頃、姉の敷いてくれた布団に入った。明け方、また強い余震で眼が覚めた。寝ていると地震の振動を全身で感じることになるので、気持ちの良いものではない。箪笥の横で寝ていたが、倒れてこないことを祈った。

 月曜日は祝日だったが、義兄は朝早く事務所へ地震の後片付けに出かけ、八時頃に起きた僕は姉と一緒に朝食を取った。風邪気味なのと、地震で熟睡できなかったことで、また眠くなり、朝食後、「また寝る」と言って、布団に潜り込み、また眠ってしまった。気が付くと昼前。鼻水が出るし、頭も痛い。「ぼちぼち帰る」と姉に言うと、姉は

「あんた、福岡へ何しに来たん。」

と言った。福岡滞在は二十時間。その半分以上の時間、眠っていたことになる。

「ホントに何しに来たんやろね。」

と僕も言った。まあ、地震に遭えたことは、日本へ来て、得難い体験だったかなと思った。

姉にもらった風邪薬を飲んで、博多駅に向かう。新幹線は通常ダイヤに戻っていたが、連休の最終日、また、前日に多くの列車が運休になったせいか、博多駅のホームには列車を待つ人たちの長い列ができていた。座れるかなと心配しながら、自由席の列に付く。列車の扉が開き乗車が始まる。幸い、立っている人も沢山いる中で、僕は座ることができた。少しほっとして、席で読みかけのドイツ語の推理小説を開く。

ところが、最初の停車駅の小倉で、赤ちゃんを抱いた若いお母さんが僕の車両に乗り込んで来た。通路側に座っていた僕はその女性に席を譲った。こんな場合、まず一番に行動してしまうのが、僕の良い所でも悪い所でもあるのだ。その女性は丁寧に礼を述べてから、その席に座った。それからしばらく、僕は通路で立ったまま、本を読んでいた。列車は満員状態。「間もなく広島に停まります」というアナウンスが入った。広島で降りるために立ち上がった、三席くらい前のおばちゃんが、こちらに向かって言った。

「お兄ちゃん。この席空くから、座ってや。」

「『お兄ちゃん』ってオレ?」おばちゃんは先程小倉で僕が席を譲ったのを見ていたらしい。僕はその席に座らせてもらった。結局立っていたのは一駅、四十五分間くらいだと思う。

終点の新大阪で降りるとき、席を譲った女性からもう一度丁寧にお礼を言われた。四十五分間立っていただけなのに。あまり丁寧なお礼なので、こっちが恐縮してしまった。

 

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