チェンナイの夜
十時頃に私は式場にいる人たちに別れを告げた。その時間には、友人関係はもう帰ってしまい、残っている人たちはほぼ全員が家族と親戚だった。みな、椅子を玄関のテラスに持ち出してだべっていた。
花嫁のお母さんもおられた。嫁ぐ娘がすぐに英国に行くことに心配そうだった。
「英語が話せるんだったら、全然心配ありませんよ。」
と慰めたが、
「娘の英語は、大学で勉強した技術英語だから、実際の社会で役に立つかしら。」
と、それでも心配そうだった。
Mさんの車が私を乗せて式場を離れるとき、皆が外まで送りに着てくれた。Kのお母さんが、「今度は、奥さんも連れてきてくださいね。」と言った。車が走り出したときは、皆が手を振ってくれた。友達になった四人の少年少女が、特に激しく手を動かしていた。
スリランガムの駅に着いた。Mさんとふたりで待っていると、ベルが鳴る。列車が始発駅のツリチーを定刻通り出発した合図だという。空気はまだ昼間の暑さをたっぷりと残したままである。列車の明かりが向うに見えるがなかなか近づいて来ない。ゆっくりゆっくりと列車が到着。私はMさんにこの二日間、朝から晩まで付き合ってくれたことにお礼を述べ列車に乗り込んだ。
列車の中で、寝台に横になりながら私は考えた。ヨーロッパからも、日本からも、何千キロも離れたインドの田舎に来て、何故か昔いた場所に戻ってきたような、懐かしい印象を受けたことを。四十年前、私が小さな子供だったときの日本は、このスリランガムに似ていたような気がする。人間の顔も違うし、住む家も違うし、着ているものも違う。しかし、生活のテンポ、人々の興味の対象、人と人との結びつき、そのようなものが似ている、そっくりだと思った。四十年前の日本が、はるか彼方の南インドに保存されていたなんて、不思議な気がした。
翌日の朝、私はチェンナイの町に戻った。現在チェンナイ支店の支店長をしている昔の会社の同僚H氏と一緒に夕食をとる約束になっていた。
その夜、お抱え運転手つきの車でホテルまで迎えに来てくれたH氏と、チェンナイに二件あるという日本料理店の一軒、彼の行きつけの店へ言った。刺身をつまみながらビールを飲んだ。その後カラオケに行った。カラオケで、シーバースの水割りを飲みながら、前日と全く違う環境にいる自分に正直驚き、昨日か今日のどちらかが夢の中の出来事のような気がした。
H氏も、レストランの女将も、カラオケ店のご亭主も、私の話を聞いて、ここに住んでいる人でも滅多にできないいい経験ができたねと言ってくれた。自分も、確かに、人生でそう何度もないような、忘れ得ない経験ができたと思った。
指を顔に近づけると、まだスパイスとココナッツの香りがした。