ドイツへの思い入れ
ボン中央駅で列車を待つ。
僕と妻はボンを離れ、午後四時ごろにケルンに戻った。飛行機の出発は六時半、まだまだ時間がある。僕たちは、ライン河畔の芝生に降りた。
芝生の上に寝転がる。頭の上には大聖堂が聳え、足の先にはライン河が流れている。左側に鉄橋が見え、その上を、色とりどりの列車がガタンゴトンと音を立てて通り過ぎていく。(この鉄橋は第二次世界大戦中、英国の爆撃によって一度落とされた。)右側は、「ケルン・デュッセルドルフ汽船会社」の船着場。ここからライン河観光の船が出ている。
妻は、ちょっと散歩してくると、河に沿って歩いていった。芝生の上は満員。天気の良い、久しぶりに暖かい日曜日の午後、家族連れ、若い人たちのグループが寝転がったり、座り込んだりして時を過ごしている。辺りに満ちるドイツ語の会話は、僕の心に懐かしさを掻き立てた。死ぬまでもう一度、この国で住むことがあるかなと考えているうちに、僕は眠ってしまった。
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この文章は、ドイツへ出かけてから二ヶ月近く経った二〇〇八年の六月中旬に書かれた。一週間に満たない短い滞在で、しかも私的な出来事ばかりなので、僕は最初、旅行記を書くつもりはなかった。たまたま、六月に入り小さな手術を受け、一週間の自宅療養を余儀なくなれた。そのとき、せっかく暇ができたのであるから、何かを書いてみようと思い立ち、書き始めたわけである。
書いていて、自分のドイツに対する思い入れの強さに驚いた。僕は一九八四年から一九九一年までの七年間と、二〇〇〇年から二〇〇一年までの一年間の計八年間、ドイツに住んでいた。しかし、今では、英国に住んでいる期間の方が倍近い長さとなっている。英国にも慣れた。英国にも良い所はあると思う。なのに、今でも、ドイツに対しは、何となく心の故郷のような気がして、郷愁を覚える。
例えば、昨日サッカーのヨーロッパ選手権のドイツの試合を見た。サッカー好きの息子は、九十分の試合をテレビの中継で最初から最後まで飽きずに見ているが、普段の僕にはそんな根気がない。しかし、昨夜の試合だけは、最初から最後まで見てしまった。しかも、BBCで中継があったのに、わざわざ衛星放送に切り替えて、ドイツのZDFで。つまりドイツ語の実況で。この選手権、残念ながら英国勢は全て予選落ちをし、出場していない。しかし、仮にイングランドが出場していて、そして、ドイツとイングランドが対戦していたらどうであろう。僕はやっぱりドイツを応援していると思う。
「最初に住んだ外国の印象はとても強いから」と言う人もいる。「言葉が話せるから」と言うのも確かであろう。しかし、自分ではそれだけではない「運命的な縁」を、ドイツとドイツ人に感じてしまうのである。
<了>