「飛越」
原題:Flying Finish
ドイツ語題:Blindflug「盲目飛行」
1966年
<はじめに>
ディック・フランシスの本もこれで五冊目。ここで、一旦休憩をしようと思う。作品がつまらないと言うのではない。どの作品もそれなりによく出来ている。しかし、全ての作品の題材が「馬」に関係があり、全ての作品の主人公が「馬」と係わり合いのある職業という「パターン」に少し飽きが来てしまった。美味しくても、同じ味の食べ物を毎日食べさせられた、そんな感じが今はする。
<ストーリー>
ヘンリー・グレーはロンドンのある馬専門の運送業者で働いている。彼はまた、アマチュアのジョッキーでもあり、週末はプロに混じって、障害のレースに参加していた。そして、彼は貴族の出身であった。
ある朝、彼は姉と言い争いをして家を出る。職場に着いてからも「甘やかされた、気分屋の生まれそこない」と姉に言われた言葉を気にしている。彼は、事務所勤めがちょうど嫌になってきたころでもあり、気分一新のために、転職を思いつく。そして、これまで仕事の上でのパートナーであった、ヤードマン社に飛行機で馬を運送する際の世話係として就職する。同社は、ちょうど前任の男が行方不明なり、後釜を探していたところであった。彼は、馬と共にアメリカやヨーロッパを旅する生活を始める。
ヘンリーには、家族や同僚にも知られていない趣味があった。それは、飛行機の操縦であった。給料や競馬の賞金が入ると、週末に彼は飛行場に向かい、そこで借りた小型機を乗りまわしていた。それが禁欲的で寡黙な彼の最大の娯楽であった。
仕事でフランスへ向かう朝、いつものメンバーが休暇のため、ビリーという若者がヘンリーと一緒に乗り込むことになる。ビリーはあからさまに、貴族の称号を持つヘンリーに敵意を表す。帰りの飛行機の中で、ビリーの挑発でふたりは殴り合いになる。ヘンリーはビリーを静める。しかし、その他の機会でも、ビリーはヘンリーの足の上に物を落としたり、ヘンリーの服にコーヒーをこぼしたり、嫌がらせを続ける。ヘンリーはビリーの嫌がらせに、ある「目的」があるのではないかと疑い始める。
ヘンリーはある日、パトリックのいう男の操縦する飛行機でミラノへ飛ぶ。悪天候のため英国に戻れなくなり、ミラノに泊まることになる。パトリックはミラノの空港で働くガブリエラという女性をヘンリーに紹介する。ヘンリーとガブリエラはふたりとも一目ぼれする。その夜、ヘンリーとパトリックはガブリエラの姉のアパートに泊まる。翌日も悪天候で飛行機は飛び立てなかった。ヘンリーとガブリエラは飛行機の荷物室で一夜を過ごす。
ヘンリーは、フランスへ運んだのと同じ馬が、その帰りの便でまた英国に運ばれていることを発見する。彼は、それが同僚で飛行機の手配担当のサイモンのトリックであることを見破る。当時、英国からの輸出には、政府から何パーセントかの輸出報奨金が出ていた。同じ馬を何回も出入りさせることにより、サイモンは報奨金を不正に得て、着服していたのである。ヘンリーは自分の発見をサイモンに告げ、サイモンもそれを認める。しかし、ヘンリーはサイモンを警察に告発はしなかった。
ある朝、ビリーとともにミラノへ飛ぶことになっていたヘンリーに、緊急の電話が入る。父親の死であった。かれはフランス行きをサイモンに代わってもらう。ヘンリーはガブリエラに渡す薬のビンをサイモンに預ける。ところが、サイモンはミラノで行方不明になり、英国へは帰ってこなかった。
ヘンリーは突然消えたサイモンのアパートや親戚を訪れ、消息を探る。しかし、誰もサイモンに出会っていない。サイモンは英国へは戻っていなのである。ミラノへ飛んだヘンリーはガブリエラの協力を得て、サイモンの足跡を追おうとする。しかし、イタリアでも、サイモンを見た人間はいなかった。
ヘンリーは、仕事でビリーとミラノへ飛ぶ。その日は社長のヤードマンも一緒であった。ミラノに着き、ヘンリーはガブリエラと束の間の逢瀬を楽しむ。ヘンリーは、ふと、サイモンにガブリエラに渡すよう託した薬のビンのことを思い出す。サイモンは、そのビンの中に紙切れを詰め込んでいた。その紙切れに、針で穴を開けて書かれたサイモンからのメッセージ。それは、サイモンが死に際して誰かに托したメッセージであった。ヘンリーはそれを読んで事件の真相を知る。
急いで空港に戻ろうとするふたりを、何者かが襲う。ガブリエラは胸に銃弾を受けて倒れる。真相を知ったヘンリーとガブリエラを、早くも何者かが葬り去ろうとしたのである。
<感想など>
ヘンリーの憂鬱。それは自分が貴族の出身であること。貴族と言っても、金持ちではない。崩れかけただだっ広い屋敷があるだけ。ヘンリーの母親は、ヘンリーが金持ちの娘と結婚し、古いだけで文字通り崩れかけた家を建て直してくれることを望んでいる。その、親の期待が、ヘンリーは嫌でならない。
ヘンリーは寡黙な男である。親の愛情を余り受けないで育ったこともあるであろうが、自分が貴族の一員であるという屈託が、彼を無口にさせているようである。彼の趣味は競馬のジョッキーであることと(これは実益も兼ねて)いるが、小型機の操縦。この趣味が、
物語の最終段階で、思わぬ展開を呼ぶことになる。
ヘンリーは自分が貴族の出身であることを、出来る限り隠そうとしている。その理由は、彼が貴族であることが他人に分かると、相手は彼のことを先入観で見るであろうと。そして、その結果自分が正当に評価されないことを恐れているのである。しかし、パトリックはそれがヘンリーの自分に対する自信のなさから来るものであることを見抜く。
「ヘンリー、きみに必要なことは、もう少し自分に自信をもつことだ。どうして、周りの人間が、きみの性格ゆえにきみのことが好きなんだと思わないんだ。ガブリエラの場合はまさにそうだ。おれの場合も。」
「でも、たいていの人間はそうじゃない。」
私は、靴下を履いた。
「多分、それはきみがそのチャンスを与えなかったからじゃないのかい。」
ディック・フランシスの小説を、主人公が人間的に成長していく小説と呼ぶことができるのなら、まさに、ヘンリーも成長を遂げていく。
主人公が死んでしまうと話が続かない。それゆえに、主人公は、何度も危機一髪の場面を乗り越え、最後まで生き残る。それが定石であるとは知りつつ敢えて苦言を呈してしまうことにする。周りの人間はごくあっさり殺されてしまうのに、主人公を殺そうとする段になると、犯人と主人公が長々と話をし始め、何らかの理由で、犯人が主人公を殺すことをためらってしまう。それが、一度二度ならず何回も続くと、かなり物語の展開に無理がきてしまう。この小説、前半は楽しめたが、後半いまひとつ楽しめなかったのは、まさにその理由である。
「Flying Finish」という英語の題名は、本来「飛ぶようにゴールをする」という意味だと思うが、この小説の結末を暗示していて面白い。
(2006年3月)