ミイラの値段
考古学博物館前庭、スフィンクスの前で。
カイロ考古学博物館の建物に入る前、ユキが言った。
「あらゆる物が、ボンボンと、ただ置いてあるだけですから。」
中に入ってみると、確かにその通り。多くのものが、それほど「ディスプレイ」も考えずに並べて置いてあるだけ。展示品に関する説明も皆無に等しい。凝ったディスプレイの大英博物館とはえらい違いだ。そこで、先ほどの、パレスチナ人の男性との会話を思い出す。英国人やフランス人は沢山の歴史的遺物を「盗んで」持ち帰ったが、それを博物館に分かり易く展示することで、少なくとも、歴史を一般庶民に親しみ易いものにしている。つまり、「盗人」にも一分の理があるような気がする。
ミイラを見る。ミイラだけは別の展示場になっていて、そこでまた別に金を払わねばならない。ひとり百ポンド。日本円に直すと、千七百円で、まあそれほどでもないが、エジプトの感覚では一万円以上に相当する金額だ。しかも、博物館の入り口で既に六十ポンド払ってきているのだ。
「世の中にひとつだけしかない物に、値段はつけられないんですよね。」
とユキが言った。ピラミッドと同じ。世の中にひとつしかない物に対しては、値段は「つけたもの勝ち」なのだ。
と言っても、ここへ来て、ミイラを見ないで帰るわけにもいくまい。ユキとスミレは学生で半額、大枚三百ポンドを払って展示場に入る。十数体のミイラが、ガラスケースの中に展示してある。大英博物館でもエジプトのミイラは見られるが、これほど、大量のミイラを一度に見たことがない。これらのミイラは、あちこち別の場所から発見されたものかと思っていたが、殆どは、岩の割れ目に落ちた羊を助けようとした羊飼いによって発見された洞穴の中にあったものだという。おそらく、誰かが後世、元々の墓からミイラだけをその洞穴の中に移していたらしい。三千年以上前のミイラの保存状態の良さに驚かされる。白い歯が見え、髪の毛や爪も残っている。生前の表情を感じることができるものさえあった。
ミイラの部屋を出て、博物館のもうひとつのハイライト、ツタンカーメンの黄金のマスクならびに棺の部屋に入る。人気のあるこの部屋は常に満員だ。実を言うと、ツタンカーメンの黄金のマスクとの対面は、今回二度目だ。僕がまだ小学生の時、このマスクが京都市立博物館に来たことがあるのだ。母親と一緒に見に行ったことを覚えている。歴史的な価値と、呪いのエピソードはともかく、憂いを含んだ少年王がなかなかハンサムなので人気があるのではないかと思う。四十数年ぶりの再会、なかなか感慨深いものがある。
展示品の殆どは、王の墓から見つかった副葬品だ。中でも面白いのが、船、台所、工場、農場、兵隊などのミニチュア。生き生きと作られていて、当時の暮らしぶりを身近に知ることができる。スミレが小さい頃、戸棚の中に作っていた、「お人形の家」を思い出す。二階の一室にある戸棚の一段一段に、小さな家具や食器を並べて、ウサギさん一家が生活する家をスミレは作っていた。数週間前、ワタルのガールフレンドが遊びに来たとき、スミレの「お人形の家」が話題になった。それで、皆でその戸棚を開けに行った。中には十年前にスミレが作ったものがそのまま残っていた。
これがカイロの「平均的な」タクシー。よくぞ走っている。ナンバープレートもアラビア語。