ピラミッド

 

ピラミッドの内部。特に何もない。

 

 タクシーは十分ほど走って、ギザ・ピラミッド群の入り口についた。入場料はひとり六十ポンド、日本円にして千円強だ。しかし、カイロの地下鉄の初乗りが一ポンド。それが日本では百七十円くらいあることを考えると、エジプト庶民の感覚で、六十ポンドはその六十倍、一万円に匹敵するのではないかと想像できる。ただ、物の値段の高い安いは、他との比較で論じられる要素が大きい。そして、ピラミッドは世界でここにしかない。つまり、比較の対象がない。しかも、エジプトを観光に訪れた人が、高いからと言ってここを見ないでおくことは不可能。つまり、値段はつけた者勝ち、ピラミッドは独占企業なのだ。しかし、例え一万円払っても、僕はピラミッドを見る値段として高過ぎるとは思わない。

 中に入る。いよいよ「死ぬまでに一度でいいから見たい」と思っていた、ピラミッドとの対面だ。まずスフィンクスと顔を会わせる。ピラミッドと比べるとそれほど大きくない。ちなみに鼻はトルコ人に破壊され、ヒゲは英国人に盗まれたという。ピラミッドを前にしたときの気持ちを言葉で表すのは難しい。ただただ圧倒されて言葉が出ない。それはピラミッドが唯一無二のものであるからだと思う。

 ギザのピラミッドの主なものはが三つ。向かって右からカフラー王のピラミッド、クフ王のピラミッド、メンカウラー王のピラミッドだ。高さ二メートル、奥行き二メートル、幅三メートルくらいの石が、天に向かって積み重なっている。一番高いクフ王のピラミッドは高さが百三十メートル以上あるという。

これらが作られたのは今から四千五百年前。キリストが生まれてから現代までの気の遠くなるような年月よりも更に長い時間を、紀元前に遡った頃なのだ。ピラミッドは砂漠の中にあり、近くに材料になる石材はない。ナイル河のはるか上流から石を切り出し、おそらく筏で運び、ナイル河畔から更に何キロもの道のりを、よいしょよいしょと、この丘の上まで引っ張りあげたのだろう。おそらく上部などは、とんでもない長いスロープを作って石を引っ張り上げたのだと思われる。

今日はいい天気。太陽を浴びたピラミッドが、濃厚な青空に映えている。僕たちは最初カフラー王のピラミッドの周りを歩き、そこからラクダに乗った。ユキとマユミが交渉、ひとり十ポンドということで、ラクダに乗り込みクフ王のピラミッドの周りを歩き出す。ラクダに乗るのはもっと楽だと思っていたが、ラクダが歩を進めるごとに、ガックンガックンと揺れ、乗り心地は良いとは言えない。追加料金を払うのを拒否したら、そこで降ろされてしまい、そこからメンカウラー王のピラミッドに向かって砂漠の中を歩く。

「エジプトの国の面積のうち、どれくらいが砂漠か知ってる。」

マユミが聞いてきた。

「さあ、六十五パーセントくらいかな。」

実は、国土の九十五パーセントが砂漠なのだという。そんな場所に文明が生まれたのは、一にも二にもナイル河の恩恵によるものなのだろう。

ラクダに乗るのは思ったより楽じゃなかった。

 

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