「ついに私のもの」

ドイツ語題:Endlich mein

原題:Falling in Love

2015

 

 

<はじめに>

 

「コミッサリオ・ブルネッティ」シリーズの二十四作目である。レオンは、一九九二年に、第一作を発表してから、毎年一作のペースでシリーズを書き続けている。この作品は二〇一五年の出版。第一作から二十三年経っている。登場人物が、二十三年分歳を取ったのか、興味のあるところだ。

 

 

<ストーリー>

 

フアヴィア・ペトレーリはベニスのラ・フィニーチェ劇場で、プッチーニのオペラ「トスカ」の主役を演じていた。主人公のトスカがバルコニーから身を投げ、最終幕が閉じる。カーテンコール、舞台に次々に黄色いバラの花が投げ込まれる。フラヴィアはバラの絨毯の中、他の出演者や指揮者と一緒に観客の喝采に応じる。

カーテンコールを終えて、楽屋に戻る途中、衣装の裾を踏んで、転びそうになる。若い衣装係の女性、マリーナが彼女を助ける。楽屋に入ったフラヴィアは驚く。楽屋が黄色いバラで埋まっていたからだ。これまで花束が届けられたことはあっても、これほどの量の花が届いたことはない。おまけにその花は高価な花瓶に生けられていた。フラヴィアは、付き人に、誰が持ってきたのかと尋ねる。

「誰かが、ボートで持ってきた。」

としか、付き人にも分からなかった。ベニスである限り、「ボートで届けられた」というのは当然。気味悪く思ったフラヴィアは、バラを全て、自分を助けてくれたマリーナに進呈することにする。

私服に着替えたフラヴィアは、楽屋口から外に出る、大勢の人々が彼女の出てくるのを辛抱強く待っていた。フラヴィアはひとりひとりと握手を交わす。その中にひとりの若い女性がいた。賛辞を述べるその女性の声を聞き、フラヴィアは驚く。プロの歌手から見ても、素晴らしい美声だったからだ。その若い女性は、今、パリの音楽学校に通っていると言った。最後に握手をしたのが、中年の夫婦だった。フラヴィアは彼らに数年間会っていなかったが、二人が誰であるか直ぐに分かった。数年前の事件で、彼女と、その友人の命を救ってくれた警察官、グイド・ブルネッティとその妻のパオラだった。

「まだ一週間ベニスにいるんで、一度飲みませんか。」

とフラヴィアは夫妻を誘う。パオラはフラヴィアを、日曜日の夕食に誘う。彼らは、オペラのファンであり劇場のパトロンでもある、パオラの両親の家で夕食を取ることになる。

フラヴィアはアパートに戻る。玄関を入って、自分の部屋の前まで来ると、そこには、直径一メートルはあると思われる巨大な黄色いバラの花束が置かれていた。彼女は一階上に住む、友人で、アパートのオーナーでもあるフレディを呼ぶ。

「どうして私の住所が知れたのか、どうして、玄関から中に入って来られたのか。」

そう思うとフラヴィアの不安は募るばかりである。彼女は、バラの花に、自分への賞賛ではなく、脅迫を感じていた。フレディがドアを開け、部屋の中をチェックするが、誰かが侵入した跡はなかった。

翌朝フラヴィアは目を覚ます。昼頃に彼女は劇場に向かう。彼女は守衛に、バラの花を持ってきたのは誰か、どの業者かと尋ねるが、守衛はよく覚えていなかった。フラヴィアは、次のバルセロナ公演に向けての練習を予定していた。彼女が幾つかあるリハーサルルームの中のひとつの前を通ると、中から女性の歌声が聞こえてくる。その声にフラヴィアは聞き惚れる。現れたトレーナーのリッカルドが、その声の聞こえて来た部屋をノックする。中で歌っていたのは、昨日楽屋口の前で待っていた若い女性であった。女性は、フランチェスカ・サンテーロと名乗る。フィラヴィアはフランチェスカに賛辞を述べる。フラヴィアが自分のリハーサルルームに入ると、ピアノの上に封筒が乗っていた。彼女はそれを開け中の手紙を読む。

「あなたがバラを他人にあげたのが気に入らない。今後はそのようなことがないように。」

と書かれていた。

 ブルネッティとパオラは、日曜日の夜、パオラの父母の「パラッツォ」を訪れる。フラヴィアも交えて夕食を取るためである。フラヴィアが現れる。ブルネッティは、彼女の食が進まず、言葉も混乱していることに気付く。ブルネッティの、

「何か心配事があるの。」

という問いかけに、フラヴィアは一瞬躊躇するが、届けられた黄色いバラの花について語り始める。今回だけではなく、ロンドンや、サンクトペテルブルクの公演の時から、舞台に黄色いバラの花が投げ込まれるようになったという。フラヴィアは、一連の出来事に、大きな不安を感じていた。ブルネッティが、

「警察として捜査をしようか。」

と持ち掛けるが、フラヴィアは不要だという。事実、これまでの出来事は、今のところ、犯罪であるとは言えなかった。フラヴィアがアパートを借りているフレディレはブルネッティの大学の同級生であった。ブルネッティは、フレディと話してみることをフラヴィアに約束する。食事の後、ブルネッティとパオラは、フラヴィアをアパートの前まで送って別れる。

 翌日の早朝、ブルネッティは、検屍医のリツァルディから電話を受ける。真夜中に、若い女性が怪我をして、救急病棟に運び込まれたという。そして、その女性は、看護師のひとりに、

「橋の上から誰かに突き落とされた。」

と証言しているということであった。ブルネッティは、出勤途上、病院に寄る。怪我をした女性は、フランチェスカ・サンテーロという声楽の学生であった。眠っていた女性は目を覚まし、ブルネッティに、友人との食事を終えて家に帰る途中、橋の真上に差し掛かったとき、何者かに突き落とされたと言う。そのとき、その人物が、押しつぶしたような声で、

「あなたは私のもの。」

と言うのを聞いたという。フランチェスカは、その人物を見ていなかったが、ずっと誰かに後を付けられているという気配を感じていた。彼女は自分のことを、パリの大学に通う声楽の学生で、休暇でベニスに戻っていること。数日前、劇場で父親との練習中に、フラヴィアが自分を訪れたことを話す。

 署に入ったブルネッティは、同僚のヴィアネロに事件について話す。ふたりは署長パッタの秘書、エレットラを訪れ。エレットラは仕事をせずに、雑誌を読んでいた。同僚のアルヴィーゼに対する不当な処分に反対するために、ストライキに入ったと言う。アルヴィーゼは、デモ隊に対して暴力を振るったという疑いで、上司のスカルパから停職、給料の差し止め処分を受けていた。ブルネッティはエレットラに、事件のあった橋の袂に、監視カメラが存在しないかどうかの調査を依頼する。

ブルネッティがエレットラと話していると、署長のパッタが現れる。パッタはブルネッティと話をしたいという。今、どのような事件を扱っているかというパッタの質問に対して、ブルネッティは若い女性が橋で突き落とされた事件に言及する。「フラヴィアが目をかけている女性」という説明で、有名人好きのパッタは捜査の継続を認める。カラビニエリが橋の袂に設置した監視カメラの映像が届く。そこには事件当時の様子が映っていた。フランチェスカが橋を転げ落ちた際、橋の真ん中に黒いコートを着て、マフラーをしたひとりの人物が写っていた。その人物は、フランチェスカを橋の上で待ち受けていたか、彼女を追ってきたようであった。そして、フランチェスカを突き落とした後、その人物はしばらく橋の上に佇んでいた。

ブルネッティは昼から、病院のフランチェスカを訪れることにし、女性刑事のクラウディア・グリフォーニに同席を依頼する。病院の前でクラウディアと待ち合わせたブルネッティは、彼女に事件の経緯について説明する。フランチェスカはふたりの警官に、昨夜の記憶を話す。彼女は尾行されている気配に気づいていた。そして、

「あなたは私のもの。」

という声を聞いたことを繰り返す。ブルネッティは、若い少女のようなフランチェスカに、「あなた」という言葉が使われたことに不自然さを感じる。犯人は「あなた」ではなく「彼女」という意味で使ったのではないかと(イタリア語ではどちらも同じ)ブルネッティは考え始める。ブルネッティは、フランチェスカに監視を付ける必要を感じる。クラウディアは、

「停職中のアルヴィーゼに頼んだら?」

と提案する。エレットラに頼めば、きっと抜け道を見つけてくれると彼女は言う。署に帰ったブルネッティは、エレットラにアルヴィーゼに対する残業手当を払うようにコンピュータを操作することを、クラウディアに劇場の関係者に会って話をすることを依頼する。

ブルネッティは、フラヴィアに対する「バラの花」攻撃と、フランチェスカに対する物理的な攻撃が、同一の人物によるものと確信する。そして、その人物は、ヨーロッパ各国のフルヴィアの公演を訪れ、高価なバラの花や花瓶を手に入れることができるような、裕福な人物であると推理する。

 ブルネッティは、フラヴィアとフランチェスカと関係をよく知るために、フラヴィアに直接会って話を聞くことにする。フラヴィアは、今晩の出演の準備に忙しく、舞台が跳ねてから楽屋を訪れてくれるようブルネッティに依頼する。終幕の直前に劇場に着いたブルネッティは舞台の袖でカーテンコールを眺めた後、楽屋にフラヴィアを訪ねる。フラヴィアはこの前以上に動揺していた。

「やつがまた来たの。」

そう言って、彼女は包装紙に包まれた箱をブルネッティに見せる。ブルネッティが、大きなエメラルドが金の鎖でつながれたネックレスが入っていた。誰かが、楽屋に置いていったという。その価値について、ブルネッティは見当もつかなかった。ブルネッティは、そのネックレスと包装紙を持ち帰り、鑑識に回ることにする。

 ブルネッティは、フランチェスカが襲われたことを話す。そして、その原因がフラヴィアである可能性が高いという。犯人は、

「あなたは私のもの。」

と言った。しかし、若いフランチェスカに対して年上の人物が「あなた」と呼びかけることは考えられない。「彼女は私のもの」という理解が正しく、その「彼女」とはフラヴィアのことであると、ブルネッティは自分の考えを述べる。ブルネッティは、誰かの嫉妬による行動という可能性が高いと考え、フラヴィアにここ数年間の交際相手について尋ねる。フラヴィアは躊躇しながらも、三人の男性の名前を挙げる。ブルネッティは更にフラヴィアに単刀直入に言う。

「あなたは数年前、レスビアンの女性と付き合っていた。嫉妬にかられた女性による犯行と考えられないか。」

フルヴィアは「女性」ということで、記憶を手繰る。そして、二年ほど前、ロンドン公演の際、ある女性に呼び止められ、食事を一緒にしたことを思い出す。自分のファンだとその女性は言ったが、フラヴィアはその女性に狂気の片鱗を見たという。

 今回のフランチェスカの事件は、フラヴィアが発した短い誉め言葉が、犯人の怒りに触れ、殺人未遂まで発展した。ブルネッティは、犯人は、おそらく常識では考えられない、全く別の世界に住み、全く別の価値基準を持った人間だと考える。

 ふたりが話をしている間に真夜中を過ぎた。ブルネッティはフラヴィアを橋の上まで送っていく。そこからはフレディが、アパートまで送る手はずになっていた。橋の上でフラヴィアをフレディに託した後、ブルネッティは二人を見送る。そのとき、何者かが彼等を尾行していることに気付く。ブルネッティがそちらへ向かうと、尾行者は、路地の奥へと姿を消した。

 翌朝、ブルネッティはエメラルドのネックレスを鑑識に持ち込み、ボッチェーゼに調査を依頼する。彼は次にエレットラのところへ行き、黄色いバラの花を大量に売った花屋の調査、フラヴィアの元夫と恋人の身元調査、そして、ネックレスを扱った店の調査を依頼する。エレットラもネックレスの写真を見て、一目でその価値を見抜く。

 ブルネッティは昼食に家に戻る。彼の携帯が鳴る。ヴィアネロからであった。

「フレディがピアッツァ・デ・ローマの駐車場で刺され、メストレの病院に運ばれた。」

ヴィアネロが言う。フラヴィアと関わった人間がまたしても命を狙われたのである。ヴィアネロとブルネッティは急いで現場に向かう・・・

 

<感想など>

 

正直言って、今回は楽しめた。世界的なソプラノ歌手、フラヴィア・ペトレーリがストーキングの被害を受ける。フラヴィアは、ベニスのラ・フィニーチェ劇場で、プッチーニのオペラ「トスカ」に主演している。彼女は、「謎のファン」から、大量の黄色いバラの攻撃を受ける。オペラのストーリーと、フラヴィアを巡るストーリーが交錯し、なかなか良い構成になっている。このシリーズ、傑作もあり、駄作もあったが、この物語は、シリーズの中でも、一、二を争う出来だと思う。

数年前、このシリーズを読んだとき、「全然歳を取らない登場人物たち」に非現実さを感じて、なかなか感情移入ができず、物語のなかに入り込めなかった。一九九二年に始まり、ほぼ毎年一作ずつ書かれ、この本で二十四冊目である。つまり、本当なら、登場人物も二十四年の齢を重ねているはず。第一作で、ブルネッティは三十五歳くらいの設定だったと思う。二〇一五年の出版時には既に六十歳前後なのだ。しかし、彼はみじんも加齢を感じさせず、今も同じように精力的に働いている。息子のラフィと娘のキアラは、最初はティーンエージャーだった。それから、二十四年。今では四十歳近い年齢に達しているはず。しかし、いまだに、両親と同居している。

私は、このシリーズは「サザエさん」なのだと、遅まきながら気づいた。

「カツオくんやワカメちゃんは何時までたっても中学校へいかないの。」

「タラちゃんは何時までたっても幼稚園に行かないの。」

毎朝新聞の四コマ漫画を読み、毎週日曜日テレビを見ているうちに、それを不自然に感じなくなっていた。私事になるが、私は海外に移住して最初の二十年くらいは、滅多に日本に帰らなかった。二年か三年に一度くらい。ある日、私は久しぶりに帰った京都で、銭湯のサウナにいた。日曜日の夕方だったらしく、サウナのテレビでは「サザエさん」の放送が始まった。

「お魚くわえたドラネコ追いかけて〜」

のテーマソング。その番組は、私にとって大きな衝撃だった。日本を発って二十年以上、その間、ずっと「サザエさん」をやっていたというのも予想外だったし、その番組の中で、カツオくんやワカメちゃんが、全然成長しないでいるというのも、それ以上のショックだった。周囲の人には、それが「当たり前」になっていたのだろうが、二十年ぶりに見た私には衝撃的だったのだ。

 話題が「サザエさん」になってしまった。戻そう。ブルネッティ・シリーズも「サザエさん」だと思えば、その部分の不自然さに目をつぶれば、まだまだ結構いけると思った。

 歌手、フラヴィア・ペトレーリは、第五作「Acqua Alta 水位上昇)」、一九九六年以来の登場である。彼女は当時、アメリカ人女性のブレットと同性愛の関係にあった。ブルネッティは事件に巻き込まれた二人の命を救う。発表された年代から言うと二十年前、しかし物語の中では「数年前」ということになっている。これを見ても、物語の中の時系列は、実際のものとは違うということになる。

プッチーニのオペラ「トスカ」が背景、伏線として使われている。「トスカ」はプッチーニのオペラの中でも、最も劇的で、おどろおどろしいストーリーではないだろうか。主人公のトスカは、最後塔から川に身を投げて自殺する。トスカを演じるフラヴィアと、それを見て感動する人々、そしてそのストーリーや舞台が、巧みに物語の中に織り込まれている。

二〇一九年の秋、この話を読んでいるときに、ベニスが、史上最悪の洪水に見舞われ、文化財にも大きな被害が出たことが伝えられた。ベニスを洪水から救うために、可動式の堤防が建設されているはずなのだが、汚職と、予算オーバーで、完成の見込みは立っていないとのことである。いかにもイタリアらしい。

ベニスの人々は「好意の貸し借り」で動いている。つまり、何かを他人にしてあげたという「貸し」が何年も残り、それを後で自分のために利用できるというシステムである。鑑識のボッチェーゼが 

「宝石商の男に『貸し』があるので、それを利用して宝石の出所と価値を特定できるかも知れない。」

とブルネッティに言う。その「貸し」とは、三十年前に宝石商の母親が店で万引きをし、捕まりそうになったこところ、ボッチェーゼが逃亡を助けた、ということ。何という、ライフスパンの長いベニスの人々である。

 観光客で溢れ、街が観光客と観光客用のビジネスに浸食されていくことに対する、ベニスの人々の嘆きがあちこちで聞こえる。京都出身であり、同じ立場にある私にはよく分かる。

 

201911月)