「獣のような利益」

ドイツ語題:Tierische Profite

原題:Beasty Things 

2013

 

<はじめに>

 

社会悪と戦うベネチア警察の警視、グイド・ブルネッティのシリーズ第二十一作である。今回彼が戦うのは、消費者の健康など無視して利益を得ようとする、食品業界である。

 

<ストーリー>

 

 病院の検死台の上に横たわる男の死体は、首の回りが異常に太く、胸が飛び出し、特殊な体型をしていた。男は、刺殺された後、運河に投げ込まれたと思われた。検死医のリザルディを訪れたグイド・ブルネッティは、その男に見覚えがあった。しかし、ブルネッティは何時、何処でその男を見たのか思い出せない。その男の特殊な体型は「マーデルング変形」という病気によるものであった。該当するような人物が行方不明になったと報告されていないこと、また、被害者が患っていた特殊な病気にも関わらず、ヴェニスの病院にそんな患者のデータが残っていないことを、ブルネッティは不思議に思う。

 殺された男は、安い中国製の衣料を身に付けていたが、靴だけは高価なブランド品を履いていた。ブルネッティはその男を、牛乳の価格の低下に反対する農民が、ヴェニスに通じる道路をブロックした際に見たことを思い出す。彼は、テレビ局とカラビニエリに、その抗議行動の時に撮られたビデオの提出を要請する。ブルネッティは、テレビ局から届いたビデオの中にその男を発見する。彼は若い部下のプチェッティに、男の写っている場面を拡大し、それを新聞社やテレビ局に送るように指示する。しかし、おりしも、もっとセンセーショナルな殺人事件が他に起き、その写真が新聞やテレビで紹介されることはなかった。

 検死で、男が水の中に投げ込まれたとき、男がまだ生きていたことが分かる。その日の潮の流れを調べれば、男が投げ込まれた場所が特定できるのではないかとブルネッティは考える。

 ブルネッティは、ヴェニスにある、男がはいていた靴を扱う高級靴屋を訪れる。果たして、ひとりの女性店員が、その男のことを覚えていた。男はヴェニスの対岸のメストレから来たと言っており、自分の気に入った色の靴が見つからなかったので、結局見ただけで買わなかったという。そして、その男は何か大きな心配事を抱えているように見えたという。ブルネッティはメストレにある、同じチェーン店の靴屋を訪れる。そこでも、男を覚えている店員がいた。そこでも男は結局自分の目指す靴を見つけることができず、帰って行き、また、そこでも非常に寂しそうな表情をしていたという。

 ブルネッティとヴィアネロは、メストレの警察を訪れる。そこで警視のヴェツァーニと会い写真を見せる。警視はメストレ警察署の中で、その写真の男を知っている人間がいないかを尋ねて回る。果たして、その男を学校で見たという警官がいた。殺された男はアンドレア・ナヴァという名前の獣医であった。

 ブルネッティはその男の家に電話をする。妻という女性が電話に出て、夫はもうここには住んでいないという。ブルネッティとヴィアネロは彼女に家に向かう。妻は、夫の死を知って大きな衝撃を受ける。妻の話によると、夫は三ヶ月前に、ある女性との関係を妻に告白し、妻に許しを請うたと言う。しかし、妻は夫を追い出したとのことだった。「マーデルング変形」による身体の変化に気付いた夫は、自分が不治の病に冒されていることを知っていた。夫は結局、関係を持った相手の女性が誰であるかを妻には明かさなかった。妻の話によると、獣医を開業していた夫だが、診療所の経営が思わしくないため、数ヶ月前から屠殺場でも働くようになったという。その頃から夫に変化が見られたと彼女は述べる。

 ブルネッティは、ナヴァと関係を持ったという女性が、事件解決の鍵になると考える。ブルネッティとヴィアネロは、ナヴァの診療所を訪れる。彼が行方不明になった後も、アシスタントの女性、クララ・バローニによって、診療所は運営されていた。妻に家を追い出されたナヴァは診療所の二階に住んでいた。ブルネッティとヴィアネロがその部屋を訪れるが、恐ろしく片付いているその部屋には、事件解決の糸口になるようなものは何もなかった。

 翌日、ブルネッティとヴィアネロは、本土にあるナヴァの働いていた屠殺場を訪れる。断末魔の恐ろしい動物の叫び声と、悪臭に満ちたその屠殺場には、全く場違いな感じの若い美しい女性が働いていた。所長のパペッティは不在で、彼女はアシスタントであるという。ジュリア・ボレリというその女性は、ナヴァが六ヶ月前から週二回屠殺場で働いていたという。ナヴァの死を知って、ボレリは取り乱す。ブルネッティは本能的に、ナヴァが関係を持ったのは彼女ではないかと思う。

 屠殺場の中の光景は余りにもショッキングで、ブルネッティもヴィアネロも気分が悪くなる。しかし、そのような職場に、何故ボレリのような美貌の若い女性が働く気になったのか、ブルネッティは不思議に思う。彼はエレットラの協力を得て、ボレリの過去を洗ってみることにする。また、同時に、ナヴァの前任者であったメウチと、屠殺場の所長パペッティにも会って、話を聞くことにする。

エレットラの調べで、屠殺場に勤める前、ボレリがパペッティの義父の父親の会社に勤め、経理課で働いていたことが分かる。パペッティの義父、デ・リベラは著名な実業家で、数多くの会社を所有、政治家にも大きな影響力を持っていた。ボレリは、その会社で問題を起こしてクビになっていた。しかし、その直後にパペッティの経営する屠殺場に就職していた。

ブルネッティとヴィアネロは、翌朝、ナヴァの前任者であるメウチが開業する動物診療所を訪れる。医師がなかなか現れないのにしびれを切らせたふたりが診察室に入ると、太った男が、椅子に座ったまま眠っていた。それがメウチであった。メウチは前任のナヴァには会ったことがないと主張する。しかし、ブルネッティは本能的に、メウチが嘘を言っていることに気付く。

警察署のボート運転手、フォアの調査により、ナヴァが殺され、運河に投げ込まれた夜は、運河の流れがほぼ止まってしまう時期であったことが分かる。つまり、ナヴァが殺された場所は、彼が死体で発見された場所の極めて近くであるという可能性が高い。ブルネッティはフォアに、死体が発見された場所の近くにある、運河に面した扉のある家をリストアップするように命じる。

ブルネッティは、再びナヴァの未亡人を訪れる。彼女は、夫が、新しい職場(屠殺場)が自分を破滅させると言っていたと述べる。息子に対して、ナヴァは「勇敢な犬」の話をしていたことも。ブルネッティはその話が単純な作り話ではなく、ナヴァの状況や心理を、何らかの形で反映しているのではないかと推理する。

パペッティの妻、つまり裕福な実業家デ・リベラの娘が、過去に多くの問題を起こしていることを、ブルネッティは知る。特に、彼女は自らの引き起こした火事で、三人の消防士を殉職させていた。また、ボレリがデ・リベラの会社を辞めた直後に、彼女がマンションを二件購入していることが分かる。

ブルネッティは再び屠殺場に向かい、所長のパペッティと面会する。ブルネッティが、ボレリとナヴァが肉体関係を持っていたことを知っているかとパペッティに問い質す。パペッティは、取り乱し、ブルネッティに立ち去るように言う。

署に戻ったブルネッティに、エレットラは屠殺場に関する統計を見せる。通常、病気の家畜が農民より連れて来られた場合、屠殺場はその受け取りを拒否し、農民に返却することになっている。そのパーセンテージが、ナヴァが担当医になった時点から、急激に増えているのだ。また、ナヴァの前任のメウチが正式な獣医師免許を持っていないことも分かる。彼は、メウチを警察に呼び、屠殺場で何が行われていたのか問い質す。メウチは、屠殺場で行われていた、不正について自白を始める・・・

 

<感想など>

 

 一九九二年に初めて発刊され、毎年一冊のペースで刊行されるこのシリーズも、二十一作目を迎えることになった。昨年最終回を迎えた長寿番組「笑っていいとも」にも匹敵するような、長寿シリーズである。

 ヨー・ネスベーの「ハリー・ホーレ」シリーズでは、毎回、登場人物に大きな転機が訪れ、大きな変化が生じる。ヘニング・マンケルの「クルト・ヴァランダー」シリーズでも、年月を経るごとに、主人公や登場人物に大きな変化が生じる。しかし、この「コミッサリオ・ブルネッティ」シリーズでは、基本的に登場人物とその生活ぶり、役割が変化しない。平たく言えば、毎回同じ人間が、同じようなことをやっているのである。それが、だんだんと不自然になってきている。

そもそも、警察署長のパッタが、二十一年間転勤しないのが不自然と言えば不自然である。それを、作者のレオンも気にしているらしく、それなりの説明がつけられている。ブルネッティとパッタの関係は相変わらずギクシャクでで、ブルネッティはパッタと話していると、「水泳の選手がやっとゴールにたどり着いたと思ったら、もう一週あると言われた気分」と評している。

確かに、登場人物に、歳を取った分だけ少しは変化をつけてはいる。ブルネッティの息子のラフィは大学に進み、歴史(近代史)を勉強している。一方、パッタの息子は税理士の国家試験に毎年落ち続けており、それが原因で、パッタの機嫌は悪い。しかし、同僚のヴィアネロ、妻のパオラ、パッタの秘書のエレットラ等は、同じ仕事を続け、同じような状況で、同じような役割を演じている。

前作で私は、このシリーズを「寅さん」の映画に例えたが、もうそれを通り越して、吉本新喜劇の世界であろう。人々は、小説や演劇で、予想を裏切られるような展開を面白いと感じるだけではない。予想していたことが、予想通りに行われることをも、面白いと感じるのだ。吉本新喜劇では、各俳優が繰り出すギャグはほぼ固定されている。その俳優が出て来ただけで、観客は次に何が起こるか知っている。そして、その期待と同じことが演じられたとき、観客は笑う。作家も俳優も心得たもので、同じパターンを何度も、これでもかこれでもかと繰り返す。「コミッサリオ・ブルネッティ」シリーズも、そんな展開になってきている。それでも、毎年、新しい本が出るたびに買って読む、私のようなファンがいるのだから、一概に不成功であるとは言えないのだが。

ブルネッティは常に社会悪と戦う。今回は、消費者の健康など無視して、利益を得ようとする食品業界である。しかし、盛り上がりに欠ける展開であることは否定できない。今回は、かなりの凡作であると言わざるを得ない。しかし、また新しい本が出たら私は読むであろう。

 

20153月)

 

<戻る>