「子供たちの受難」

原題:Suffer the Little Children

ドイツ語題:Lasset die Kinder zu mir kommen

2007

 

 

<はじめに>

 

なかなか出だしは良かったのだが。小さくまとめてしまったというのが正直な感想。思い悩むブルネッティにもイマイチ感情移入ができないところがあった。挿入されている、直接ストーリーに直結しない色々なエピソードは、例によって面白い。

 

 

<ストーリー>

 

 ひとりの老女が、警察のブルネッティのもとを訪れる。彼女は向かいのアパートに住んでいた妊娠中の若い外国人の女性が、出産と同時に姿を消したと伝える。その女性と、時々訪れる男性には、不自然なところがあったという。

 その数ヵ月後。小児科医のペドロリは帰宅後、息子を寝かしつけていた。その夜遅く、彼の家に何者かが侵入する。目を覚ました彼は、妻と子供を守るために侵入者に抵抗し、頭に重傷を負う。その夜彼の家に押し入ったのは、カラビニエリ(警察軍)の特殊部隊であった。彼らはペドロリの息子を連れ去る。

 ヴェニス警察の警視、ブルネッティは、深夜同僚のヴィアネリよりの電話で起こされる。ブルネッティは病院に向かう。そこには負傷した小児科医のペドロリが収容されていた。ブルネッティはその日の強制捜査を指揮したカラビニエリのマルヴィリ大尉に、その目的を尋ねる。最初、機密を盾に警察への証言を拒否していた大尉だが、最後にはその背景をブルネッティに話す。小児科医のペドロリは、赤ん坊を非合法に養子縁組していたというのだ。彼だけではなく、赤ん坊の売買は至るところで行われ、その組織を撲滅するために、その夜イタリア国内で一斉に強制捜査が行われたという。医師のペドロリが捜査線上に上がったのは、彼が非合法に赤ん坊を取得したという、匿名の電話がカラビニエリにあったからだと言う。

 ブルネッティとヴィアネロは、どのような理由があるにせよ、寝ている市民の家に侵入し、重傷を負わせたカラビニエリのやり方に憤りを感じる。そして、警察として、ペドロリをできるだけ保護しようと決心する。また、ブルネッティは数ヶ月前に、老女が警察に来て証言した、出産と同時に姿を消した、若い外国人女性のことを思い出す。子供の売買とその証言が、関係しているのではないかと疑いを抱く。

 ブルネッティは、病院に付き添うペドロリの妻と話す。彼は、妻にカラビニエリによる嫌疑は真実かどうかを尋ねる彼ら夫婦は子供ができないと病院で診断されたこと、合法的に赤ん坊を養子に取ることを役所に拒否されたことは事実であることを認める。その後、夫のペドロリが「私的なコネクション」を使って、男の赤ん坊を養子として連れてきて、十八ヶ月の間育てたと述べる。ペドロリがどのようにコネクションを使って赤ん坊を連れてきたかについて、彼女は詳しく知らないという。ブルネッティは、ペドロリの妻が、連れて行かれた子供の行方に関心を示さないことに不審を覚える。病院の廊下で、ブルネッティは署長のパッタと、もう一人の身なりの良い紳士を見かける。

 ブルネッティの同僚も、妻のパオラも、いかに非合法に養子にした子供であっても、何年もその家族で育てられていれば、そのままその家族に残るべきだと考え、子供を連れ去ったカラビニエリのやりかたに憤りを覚えていた。ブルネッティは「法」と「子供の幸せ」の間で思い悩む。事件に対して不自然さを拭えきれないブルネッティは、エレットラ、ジャーナリスト、パオラ等、あらゆる「コネ、人脈」を使って、情報を集めようとする。彼はペドロリの妻が、ある政党の党首であるマルコリーニの娘であることを知る。

 その時、部下のヴィアネロは、薬局と病院の医師が結託した汚職について、独自の捜査を進めていた。最近、薬局から、コンピューターを通じて、病院の専門医の予約を取るシステムが開発された。そのシステムを悪用して、架空の予約を取り、薬局は紹介料を、医師は診察料を不正に得ているのではないかという疑惑である。ヴィアネロは、薬局と病院の記録には残っているが、実際は診察を受けていない患者の洗い出しに力を注いでいた。

 ブルネッティは、ペドロリ夫妻が、不妊治療の為、ヴェロナにある私立の病院を訪れていたことを知る。その病院が、赤ん坊の斡旋に関与しているのではないかと疑惑を持ったブルネッティは、エレットラを「内縁の妻」として同行させて、その病院を訪れる。医者の診断書は、鑑識医たちによる偽造である。しかし、ブルネッティとエレットラの懸命の演技にも関わらず、病院の医者たちは、子供を斡旋するような話は持ちださなかった。

 ブルネッティの捜査は進展せず、騒いでいたマスコミも何故か突然沈黙し、日が経つにつれ事件は世間から忘れ去られる。数週間後、一軒の薬局に何者かが侵入するという事件が起こる。フランキという薬剤師が経営する薬局で、ヴィアネロが架空予約による不正手数料取得の疑いで、目をつけていた薬局でもあった。薬局に駆けつけたブルネッティとヴィアネロは、中が滅茶苦茶に荒らされているのを見て、物盗りではなく、フランキに恨みを抱くものの犯行であることを直感する。ブルネッティは、現場から、犯人のものと思しき血痕を採取し、壊されたフランキのコンピューターを警察署に持ち帰る。

 コンピューターは壊れていたが、ディスクの中身はエレットラの友人の協力で再生することができた。フランキは健康保険組合のコンピューターに不正に侵入し、本来は医師と患者以外に知ることのできない患者の病気に関する情報を取得していた。その中に、病院の小児科医ペドロリのものもあった。彼は子供を作ることかできないと、そこには書かれていた。

 ペドロリは同僚や友人に対して、自分が学会で訪れた街で、ひとりのアルバニア人の女性と懇意になり、彼女と関係を持ち妊娠させた。また、彼女の出産後、その赤ん坊を女性から引き取り育てていると語っていた。しかし、彼自身、女性を妊娠させる能力がないわけであるから、彼は嘘をついていたことになる。

 ブルネッティは改めて、ペドロリ、彼の妻、そして妻の父を訪れ、真相を確かめようとする。そのとき、意外なところから、ペドロリ逮捕のきっかけになったカラビニエリへの匿名電話の主が発覚する・・・

 

<感想など>

 

 カラビニエリの大尉の話により、最初、全イタリア的な、組織的な小児売買の話かと思わせるが、最後には、ヴェニスの、しかも近場だけで小さく話がまとまってしまう。これは、いささか拍子抜け。そこには、組織的なものはなく、個人的な信条、怨恨があるだけだった。序幕が面白く、期待が高かっただけに、「尻切れトンボ」の感が否めない。

 考えさせられる問題がある。もし、非合法に子供を養子縁組し、それが後で発覚した場合、国家権力がその子供を育ての親から取り上げることが、果たして子供の為になるのかという点だ。引き取ってから一年半後の子供が、ペドロリ夫婦から連れ去られたことを聞いて、妻のパオラ、同僚のヴィアネロやプチェッティは、それは子供の為にならないと断言する。しかし、ブルネッティは、人情と社会正義の狭間に立って悩む。

 物語の最初に、ものすごく引っかかった一言があった。医師ペドロリは、寝る前に子供をあやす。子供は初めて「パパ」という言葉を発し、ペドロリはそれに感激する。彼は居間に戻り、妻に対して、

「息子が始めて俺のことを『パパ』と呼んだ。お祝いだ。」

と述べ、シャンパンを抜く。そのときの妻の言葉。

「私にもグラスをちょうだい。あなたの息子に乾杯をしましょう。」

ここで何故「私たちの息子」ではなく「あなたの息子」なのか。このひっかかりが最後まで私の心に留まった。果たしてこれが何かの伏線なのか、それは読んでのお楽しみとしておこう。

 例によって、薬味の効いたエピソードが添えられている。

ひとつは「慈善は最大の投資である」というパオラによる「ルカの福音書」の解釈。福音書を読み耽っているパオラに、ブルネッティがその理由を尋ねる。パオラは自分の知人の話をする。彼女は小さいときに両親を亡くして叔母に育てられた。叔母は吝嗇な人間で、彼女に辛く当たった。彼女は叔母から独立し、叔母は歳を取った。高齢でいよいよ独りで暮らしていくことが困難となった叔母は、姪に対して同居の提案を持ちかけるが、彼女は拒絶する。つまり、叔母は若いときに「慈善」という「投資」を十分にしなかったため、その見返りを得ることができなかったのだ。キリストの説く隣人愛とは、実は「投資」であるという解釈。なかなか面白い。

ブルネッティとエレットラは夫婦を装って私立病院を訪れる。「子供を作ることは無理だ」と医者に宣言され、エレットラが泣き出す場面がある。もちろん彼女の「迫真の演技」なのであるが。ブルネッティが、どうしたら、そんなに上手に泣けるのかと、帰りの列車の中でエレットラに尋ねる。エレットラは「何か哀れを催すもの」を思い浮かべればよいと答える。ブルネッティが更に具体的に何を思い浮かべたのかを彼女に尋ねると、エレットラは「道路の敷石」だと答える。「何百年間も街を支えながら、工事の際に引き剥がされ、変わりにセメントでできたブロックに取って代わられ捨てられる。」そんな「敷石」を思い出して彼女は泣いたという。人それぞれと言いながらも、面白い。

 

20086月)

 

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