Doctored Evidence
「学位の証明」
ドイツ語題:Beweise, daß es böse ist(悪いという証拠)
2004年
<はじめに>
今回は、近所迷惑な老婆の話である。昼も夜も、最大ボリュームでテレビをつけっぱなしにする。近所の店で買い物をしても何かといちゃもんをつけて金を払わない。隣人たちや、郵便配達人、往診をする医者にまで、町の皆から嫌われているこの婆さん。どこの町にも一人はいるような、近所迷惑な隣人の話である。
しかし、「そのような話に『学位の証明』とは変な題である」と思われるかも知れない。何故このようなタイトルがつけられているかを説明すると、結末を明かしてしまうことになるので、あえて書かない。タイトルが、犯人、動機を暗示していることだけを、ここでは述べておく。
(そう言えば、昨年、これがバレて、辞任に追い込まれた国会議員が日本にもいた。)
<ストーリー>
八月のヴェニス。八十三歳の老女、マリア・グラツィア・バテスティーニが、彼女のアパートで、頭を鈍器で殴られ殺されているのを、往診に来た医者が見つける。医者の通報で現場に駆けつけたスカルパ刑事は、老女のアパートに身の回りの世話をするために住み込んでいたルーマニア人の女性がいないことに気づく。そのルーマニア人の中年女性が犯人ではないかと疑ったスカルパは、彼女を緊急指名手配する。
その日の午後、国境の駅で、警察はヴェニスからザグレブに向かう列車に乗っているルーマニア人の女性を発見する。警察官が彼女を尋問しようとするが、彼女は列車から飛び降り逃亡を図る。線路上を逃げる彼女は、接近してくる列車をよけきれず、列車に轢かれて死亡する。彼女は、偽造旅券と、かなりの金額の現金を所持していた。警察は、そのルーマニア人の女性を老女殺害の犯人として断定し、捜査は打ち切られる。
それから三週間後、三週間のロンドンでの語学研修を終えて、アスンタ・ギスモンディがヴェニスに戻ってくる。彼女は、殺された老女のアパートから、狭い通りを隔てた向かい側に住んでおり、これまで、老女のテレビ騒音の最大の被害者であった。彼女は、新聞を買う際、キオスクの店主から、老女が殺されたこと、ルーマニア人の女中が犯人として取り扱われていることを知る。
ギスモンディは警察に赴き、応対に出たスカルパに、ルーマニア人の女性は、犯人でないと主張する。
事件のあった日の朝、ギスモンディはルーマニア人の女性(フロリと呼ばれている)が、老女から締め出しをくっているのを見つけた。女中のことを気に入らない老女が、買い物から帰ったフロリを家に入れようとしなかったのだ。フロリのことを哀れに思ったギスモンディは、彼女をカフェに連れて行き、身の上話を聞きいてやり、家に帰りたいという彼女に金を与え、駅まで送り、ルーマニア行きの切符を買ってやった。
以上がギスモンディの証言である。スカルパは彼女の証言を無視しようとするが、ブルネッティは彼女の証言に興味を持つ。そして、捜査が打ち切られているので、エレットラとヴィアネロだけの協力を得て、独自に、非公式に捜査を再開する。
ヴィアネロの聞き込みによると、老女は、五年前に息子を亡くしており、それ以来、テレビを最大ボリュームでつけっぱなしにするようになったと言うことである。しかし、隣人たちは、その息子のことに関しては、誰も話したがらない。その点をヴィアネロは不審に感じる。
ブルネッティは殺された老女のアパートに侵入し、その物置に放置された老女の残した手紙類の中から、奇妙なアルファベットと数字を書いた紙を発見する。ヴィアネロはそれが銀行名と口座番号であることを見抜き、エレットラがその口座について調べる。そして、ここ数年間に渡り、毎月、一定の金額が彼女の口座に入金されていることを知る。郵便配達人の証言によると、その金は毎月郵便で送られてきていた。
殺された老女の、妹、女性弁護士、医師などに聞き込みをするうちに、老女はその金を「息子からの贈り物」と言っていたことが分かる。死んだ彼女の息子は、誰かを脅迫して、口止め料を取っていたのではないか。今回の殺人は、その脅迫を受けていた人物によるものではないかと、ブルネッティは推理する。
<感想など>
欲につかれた人間が次々と登場する。殺された老女も吝嗇な人間だが、引き継いだアパートで一儲けしようとする妹、また、老女の残した金を横領しようとする女性弁護士など。そんな中で、アスンタ・ギスモンディの存在が清々しい。彼女は、路頭に迷ったルーマニア人のフロリを助ける。話を聞き、金を渡して、駅まで送ってやる。そして、フロリが殺人犯にされていることを知り、警察に出頭し証言する。つまり、市民としての義務を果たそうとする。ブルネッティがギスモンディに、どうしてルーマニア人を助けたのかと聞く場面がある。
「ヴェニスの人間は悪い人間ばかりだと思われたくないから。」
彼女はそう答える。私はこの言葉が気に入った。
ある日、ブルネッティが家に戻ると、パオラが本に没頭している。(これはいつものことなのであるが)何を読んでいるのかとブルネッティが尋ねると、娘チアラが学校で学ぶ「宗教」の時間の教科書で「死に値する七つの罪」についてのものだった。
カトリックには「重大な罪」が七つあるらしい。何故「七つ」なのかと、ブルネッティも私も思った。毎日ひとつで一週間ということだろうか。
「快楽について考える」「必要以上にものを欲しがる」などの他に、もちろん「人を殺す」などというものもある。パオラはその本を読みながら、宗教的な「罪」が、果たして現代社会でも「罪」に当たるのかと考える。「快楽について考える」ことが罪ならば、現在の雑誌、映画、ヴィデオなんかは存在しえない。そもそも消費経済自体が、消費者が「必要以上にものを欲しがる」ことを前提に存在している。
そして、「人を殺す」ことまでも、「重大な罪」に当てはまらなくなっているのではないかとブルネッティは思う。ブルネッティはこれまで、そして今回も、殺人犯人を逮捕するが、これまで「未成年」、「精神薄弱」等、弁護士の主張する色々な理由で、告訴さえできないか、裁判で有罪が確定しても、わずかな懲役期間で釈放されている。
私はブルネッティのシリーズを読んでいて、犯人が判明しても逮捕され、告訴されないので欲求不満に陥ることがよくあった。本当に、イタリアの司法制度ってこんなに甘いものなのだろうか。もしそうだとしたら、ブルネッティと同じように、大きな危惧を感じる。
ブルネッティとパオラはもう四十代の後半にさしかかっているはずだが、相変わらず仲が良い。夕方、パオラと一緒にいるブルネッティはこう言う。
「テラスに座って、西に沈んでゆく夕日を見ながら、世界で一番賞賛する人の横に座って、その人の横にいること以上の幸せはこの世にないと感じながら、一杯やるって、何ていい気分なんだ。」(196ページ)
自分の奥さんを横にして、なかなかこれだけのことは言えない。脱帽。
変わらないようで変わりゆくヴェニスの姿も描かれている。ある朝、ブルネッティがカフェに入ると、経営者が変わっていた。新しい経営者は中国人の夫婦である。いつものようにブルネッティはバーに積んであるブリオシを食べる。しかし、そのブリオシはそれまでの焼きたてのものではなく、ミラノかどこかで作られ、冷凍したものを解凍したものだった。
しかし、そんな変化に対するヴェニスの人々の反応も面白い。ギスモンディとブルネッティが出会った際、(ふたりとも生粋のヴェニス人である)代替わりした店の、昔の経営者を懐かしがる場面がある。(36ページ)
「この街で儲かっている店を引き継ぐことは狂人沙汰であるに違いないと彼女は思った。引き継いだ店を、どれだけ良くしても、どれだけ改良しても、十年たっても、二十年たっても、人々はフランコなり、ロベルトなり、ピンコ・パリノなり、前の経営者のときはもっと良かったのにと噂しあう。」
そして、その昔の店を知っている世代が、完全に死に絶えるまで、その店は「昔はもっと良かった」と言われ続けるのである。
このエピソードも、いかにもヴェニスらしくて、印象に残った。
エレットラのコンピュターを駆使した情報収集のノウハウが、ヴィアネロに伝授されているには驚いた。嫌味なおっさん、上司のパッタがあまりしゃしゃり出て来ないのはいいが、その分、スカルパがしっかりと代役を果たしていた。
レオンのブルネッティ・シリーズの中では珍しく、すっきりとして展開で、変化球でなく、直球という印象がした。
(2004年4月)