ドナ・レオン
コミッサリオ・ブルネッティ・シリーズ
第十一話。
原題:Wilful Behaviour 「故意による行動」
ドイツ語題:Die dunkle Stunde
der Serenissima 「セレニシマの暗い時間」
講義を終えて教室を立ち去ろうとするパオラ・ブルネッティを、ひとりの女子学生が呼び止める。クラウディア・レオナルドと名乗るそのシャイな女子学生は、パオラの夫が警察官であることを先ず確かめ、その上で、「ご主人に聞いて欲しいことがある」とパオラに頼む。それは奇妙な依頼で、「有罪判決を受け、既に獄死した人間の冤罪を晴らし、名誉を回復することができるか」という質問であった。彼女は血の繋がりはないが、祖母のような関係の女性のために、その可能性を探っていると言う。
家に帰ったパオラは、夫のグイド・ブルネッティ警視にその可能性について尋ねる。ブルネッティは、「まさに『ケース・バイ・ケース』であるので、誰についての話であるのか具体的に分からない限りは返事ができない」と答える。パオラは夫の返事をそのままクラウディアに伝える。それに対して、クラウディアは一度直接ブルネッティに会いたい旨をパオラに伝え、ブルネッティもそれを承諾する。
その言葉通り、数日後、ブルネッティは警察署にクラウディアの訪問を受ける。彼女が冤罪を晴らし、名誉を回復したいと願う人物は「グザルディ・ルカ」。歴史好きの彼女との話は弾み、ブルネッティは彼女の聡明さに好感を持つとともに、彼女の生い立ち、彼女の依頼の背景に興味を持つ。
ブルネッティはグザルディ・ルカという男についての情報を探る。例によって、ヴェニスの過去についての情報源は、友人の画家レレ、そして義理の父であるオラツィオ・ファリエル伯爵である。ふたりの話によると、グザルディという男は、第二次世界大戦中、ファシスト党の情報統制の中心人物であったばかりでなく、亡命を余儀なくされたユダヤ人の金持ちから高価な美術品を只同然で買い受け、自分のものとしてしまった、とんでもない男であるらしい。グザルディは戦後、戦時中の行いに対して裁判を受け、精神異常ということで刑務所行きは免れたが、その代わりに精神病院に送られ、そこで死亡していた。何故、クラウディアはそのような男の復権を願うのであろうか。
数日後、クラウディアが彼女のアパートで同居人により死体で発見される。何者かに刺殺されたものである。同居人の女子学生の話から、クラウディアは頻繁に、彼女が「祖母」と呼ぶ女性に電話を掛け、会いに出かけていたことを知る。ブルネッティはその「祖母」、オーストリア人のヘドヴィヒ・ヤコブスを探し出し、彼女の住まいを訪ねる。年老いて心臓を患っているくせに、ヘビースモーカーであるヤコブス老女は、高価な美術品に囲まれながら、極めて質素に暮らしていた。老女は、クラウディアの死の知らせに対して大きな衝撃を受ける。そして、彼女は、自分が、グザルディの晩年の愛人であったことを認めるが、その他の彼女自身や、クラウディアの過去については、自分の病気を理由に口をつぐんでしまう。
クラウディアは、何らかの過去の秘密を握っており、彼女の警察を訪れたことを知った何者が口封じのために殺害したのではないかとブルネッティは疑い、自責の念にかられる。
クラウディアがボランティアとして働いていた、第二次世界大戦中の資料を扱った図書館、彼女が数回電話を掛けていた弁護士等をブルネッティは訪れるが、さしたる成果はない。
数日後、今度はヘドヴィヒ・ヤコブス老女が死体で発見される。心臓を患った彼女の死は、他殺であるか自然死であるか、にわかには判断がつかない。
事件の突破口が開けるのは、それはヤコブス老女の住いの掃除婦であった黒人女性を探し出した時であろうか。彼女は高価な素描を一枚と、戦時中、金に困ったユダヤ人たちがグザルディに美術品を売り渡した際の書類を、黒人の掃除婦に託していた。そして、その書類を作成している弁理士の名前は、ブルネッティに確かに聞き覚えのあるものであった。
物語は、例によって、パオラが激怒しているところから始まる。彼女の怒りの対象は、ときとして、売春ツアーを企画する旅行会社であったり、やる気のない学生たちであったりするのであるが、今回は、同僚の大学教授連中である。講義もせずに禄を食んでいる定年間際の教授がいるが誰もそれを問題にしようとはしない。
「だれもがそんな馬鹿なことが行われていることは知っているんだけど、だれもその結果を恐れて、正式に問題にしようとはしないの。そのことを公にする最初の人間は、職業的に自殺を図るようなものから。」長い間に権益を蓄え、組織を私物化してしまうのは、教育界でも行われていることらしい。
ブルネッティは暇があれば、ローマの古典歴史書を読み耽る歴史好きである。彼を訪問したクラウディア・レオナルドも歴史が大好きで、彼らの間には歴史談義に花が咲き、連帯感が培われる。その連帯感が今回、ブルネッティを捜査に駆り立てる原動力になったような気がする。ただ、クラウディアは、パオラの学生であり、ということは英文学を専攻している。どうして、好きな歴史ではなく英文学を勉強するようになったかについて、彼女の言い分が面白い。
「私は英文学に自分の専攻を変えました。『文学』の意味について、『テキスト』が存在するのしないのと、馬鹿げた理論を聞かされるのは最悪ですけれど。・・・しかし、文学者はテキストを自分では変えません。権力を握った人間が、自分の都合の悪い書類を、国会資料館より密かに処分してしまうことはあります。でも、彼らはダンテやマンゾーニの作品の内容までは変更できませんよね。」
「歴史は書き換えられる。しかし文学は書き換えられない。」
これはもちろん、文学者を誉めているのではなく、為政者の都合の良いように歴史を書き換えてきた歴史学者を貶しているのである。
さて、今回、グザルディの過去について調査するために、ブルネッティは第二次世界大戦中のヴェニスに関与していくわけであるが、その中で、自分の義理の父、オラツィオの意外な過去を知る。彼は、戦争末期である少年期、ヴェニスを離れていたが、その間、パルチザンとして活動していたとのことである。これは、ブルネッティ自身にとっても、実の娘のパオラにとっても、従って、読者にとっても新しい事実である。また、ボケてしまって施設に入っている彼の実の母親は時々登場するが、彼の父について書かれたことはない。彼の父は戦争中の異常な体験によりすっかり生きた屍のような状態で帰還し、間もなく亡くなったのであった。泣かせる話は、ブルネッティがリセオ・クラシコ(選抜制の高校か)に合格が決まったとき、普段は全く感情を表さない父親が手をブルネッティの頬に当て、「お前は俺をまた男にしてくれた、有難う」と言う回想シーンであろうか。ドイツと同じように、いや、イタリアではそれ以上に、ファシズムの時代に自分が何をしたかを語るのは、タブーであるらしい。(何故か、同じ敗戦国であるのに、日本ではこれがタブーではないのである。)
物語の中に紹介される、イタリア式商取引が面白い。大事な契約には、公証人が立ち会うわけである。ブルネッティがある公証人を訪れたとき、ちょうど、家の売買契約の最中だった。彼は、公証人が部屋から出るのに出会う。
「ブルネッティは、その中座が売り手と買い手が家の代金を受け渡した直後であることを知っていた。公証人はいくつかの技術的な問題のチェックがあるなどと言う理由をつけて中座し、その間に書いては売り手に、家に対する本当の金額を手渡すのである。大抵は、契約書上、つまり課税対象の金額の倍近くを。支払いは現金で。大抵数億リラの現金が勘定される。正式の契約は、公証人が取引の証人として書類にサインするために戻ってきてから行われる。大切な点は、公証人はこの取引に法的な証人として関与する公的な執行人であるがゆえに、現金を数えている間彼がそこにいなかったことは『現金の取引など見たことがない』と『正直に』証言できるためのものなのである。」
アガサ・クリスティーの小説では、ポアロが何十年も前に起こった事件に、生存者の証言だけから新たな光を当て、その事件を数十年後に解決してしまうというというパターンがある。このドナ・レオンの小説の始まり方も何となくそのようなパターンの気配を感じさせたが、実は違っていた。が、これまでの十一作の中で、私の気に入った作品である。署長のパッタが余り出てこないのも読んでいて精神衛生上よい。