「天使と悪魔」
Angels and
Demons
2000年
<はじめに>
二〇〇五年の四月、先代のローマ法王ヨハネ・パウロ二世の死去に伴い、新しい法王選出するための枢機卿会議(コンクラーベ)が二十数年ぶりであった。私はちょうどその時期に、この「天使と悪魔」を英語で読んでいた。システィーナ礼拝堂の煙突から白い煙が上がることにより、新法王の誕生が知らされることなど、私はヴァティカンを舞台にしたこの本から学んだ事が、テレビで実際に繰り返されることは面白かった。
<ストーリー>
ハーヴァード大学象徴学教授、ロバート・ラングドンは早朝、マキシミリアン・コーラーと名乗る男から電話を受ける。コーラーは、自分がジュネーブにあるCERN (Conseil Européen pour la Recherche Nucléaire、ヨーロッパ核研究所)の所長であると告げる。コーラーはラングドンに、研究所内で殺された同僚の捜査に協力するために、今すぐジュネーブに来て欲しいと告げる。訝しがるラングドンに、コーラーは殺された男の写真をファックスする。男の胸には「Illuminati(イルミナーティ)」と焼印が押されていた。写真を見たラングドンは、ジュネーブに行くことを承諾する。ラングドンは最近、イルミナーティに関する本を出版したところであった。
コーラーの派遣した超音速ジェット機で、ラングドンは一時間余でジュネーブに到着する。ラングドンは郊外のCERNに到着し、そこでコーラーと会う。CERNは世界中の優秀な物理学者を集めた、大規模な研究施設である。その所長、コーラーは、足が不自由で車椅子で活動する人物であった。
コーラーはラングドンにイルミナーティについて質問をする。ラングドンは説明する。イルミナーティとは「光を当てられた者達」と言う意味で、一五〇〇年代、カトリック教会からの弾圧に対抗するために、当時の自然科学者が作ったグループである。当時は、ガリレオ・ガリレイがその指導的役割にあった。科学の発達により、教義の根底が崩されることを恐れたカトリック教会は、イルミナーティの摘発と粛清に乗り出す。多くのメンバーが捕らえられ、殺され、その結果、グループは地下に潜行する。地下に潜ったイルミナーティは、次第に反カトリックグループを結集し、一時は強力な反キリスト教会の結社となった。しかし、十数年前にその組織は途絶えていると、ラングドンは判断していた。
殺された物理学者、レオナルド・ヴェトラは、娘のヴィットリアと共に、ある研究をしていた。父が死亡した知らせを受けて、ヴィットリアはCERNに戻って来る。彼女の説明により、ヴェトラ父娘の研究の内容が明らかになる。それは、無から有の創造、ビッグバンの再現と言ったものだった。
レオナルドとヴィットリアは、その反応の基になる「反物質」を特別な容器に入れて保管していた。コーラー、ラングドン、ヴィットリアが研究室に入ると、「反物質」を格納した容器のひとつが消えていた。その反物質は莫大なエネルギーを秘めており、容器は電源から切り離されてから二十四時間後に、大爆発を起こすことになっていた。そして、昨夜午前零時に電源から切り離された反物質が爆発する午前零時まで、あと十数時間が残されているだけだった。
カトリックの総本山であるヴァティカンより、緊急電話がコーラーに入る。盗まれた反物質が、ローマで発見されたという情報である。ラングドンとヴィットリアは、コーラーの命を受けて、ローマへと向かう。
ローマ。折りしも、ローマ法王の死去に伴い、後任の法王を選出する枢機卿会議、コンクラーベがシスティーナ礼拝堂で行われようとしていた。
ヴァティカンに着いたふたりは、そこを警備するスイスガードの隊長オリヴェッティと会見する。ヴァティカンの中に設置された無線監視カメラが、反物質の容器を映し出していた。しかし、それがどこに置かれているのかを、スイスガードは断定できないでいた。ラングドンとヴィットリアは、先代の法王の侍従長(カルメレンゴ)に反物質の危険性を説明する。教皇不在期間の執行官でもあるカルメレンゴは、ヴァティカン全体に対する捜索を命じる。
コンクラーベの議長を務めるモルターティ枢機卿は、次の法王の有力候補者と目される四人の枢機卿が会議の開始時間になっても現れないことを訝しく思う。そのとき、イルミナーティと名乗る男からの電話が入る。男は、四人の枢機卿を誘拐したこと、そして、その四人をイルミナーティ縁りの場所で、午後八時から一時間おきにひとりずつ殺すことを予告する。
イルミナーティ縁の場所とは何処か、ラングドンとヴィットリアはヴァティカンの資料室にあるガリレオ・ガリレイの著書の中からその秘密を見つけようとする。「ディアグラーマ」と言う小冊子の中に、ふたりは欄外に手書きされた次のような、ミルトンによる英語の書き込みを発見する。
From Santi’s earthly tomb with demon’s hole,
‘Cross
The path of
light is laid, the sacred test,
Let angels
guide you on your lofty quest.
「悪魔の穴のあるサンティの地上の墓標より
ローマを横切り、神秘の要素は開かれる。
光への道は横たわる、それは聖なる試み、
天使達に聳え立つ探求への道案内をさせろ」
ラングドンは「神秘の要素」が「地」、「空気」、「火」、「水」であることから、その四つの要素を意味する場所を順番に辿っていけば、最終的にイルミナーティの秘密の隠れ家に達すると推理をする。そして、その四つの場所で、犯行が行われることを予測する。ラングドンとヴィットリアはそれらの場所がどこであるかを推理し、スイスガードと共にその場所に急行するが、今一本のところで遅れを取ってしまう。
「地」を表す最初の場所、サンタ・ポロ・マリア教会のラファエルの設計した墓所。そこでは、誘拐された枢機卿のひとりが殺され、地面に埋められていた。死者の胸には「Earth」という焼印が押されていた。ラングドンはその場所で、殺人者により、危うく生き埋めにされそうになる。
二番目は大胆にも、ヴァティカンの目と鼻の先のサン・ピエトロ広場のオベリスクの下。午後九時。浮浪者の格好をさせられた瀕死の枢機卿が発見され、その旨には「Air」という焼印が。
更に、午後十時には、サンタ・マリア・デラ・ヴィットリア教会で、枢機卿が「Fire」という焼印を押されて、生きながら火あぶりになっているのが発見される。そして、現場に駆けつけたスイスガード隊長、オリヴェッティは殺され、ヴィットリアは殺人者により連れ去られる。
午後十一時、ラングドンはピアッツァ・ノヴォナの「四つの川の噴水」に先回りをするが、「Water」の焼印を圧された四人目の枢機卿は、鎖をつけて水の中に投げ込まれ死亡、ラングドン自身も、殺人者により、水中に没し、ホースからの空気により九死に一生を得る。
殺人者は、テレビ局の記者に、先日死亡したローマ法王も、イルミナーティの手で暗殺されたと告げる。法王は死後、遺体を解剖しないことが、伝統になっていた。カルメレンゴが、先代の法王の棺を開け、中を確かめる。果たして、法王の舌は真っ黒に変色し、明らかに毒殺の事実を示していた。
四人の枢機卿のみならず、法王まで暗殺した、イルミナーティの正体は何か。未だに発見されない「反物質」がヴァティカンの中で爆発するまで、残された時間は一時間のみ。カトリック教会は、最大の危機を迎えた。そして、ラングドンは、殺人者の手の内にあるヴィットリアを救出することが出来るのか。
<感想など>
科学と宗教の関係について考えさせられる物語であった。
ガリレイが、カトリック教会の圧力により自説を曲げた後、「それでも地球は回っている」と呟いたエピソードは余りにも有名である。チャールズ・ダーウィンの進化論も然り。カトリック教会は、聖書の教えを覆すような自然科学の発見がある度に、自らの権威を守る為、それを弾圧しようとしてきた。近代史は、宗教と科学の闘いであると言って過言ではない。そして、現在の情勢から判断するに、科学は宗教に勝利したように見える。果たしてそうなのだろうか。
そんな中で、物語の冒頭で殺される、レオナルド・ヴェトラは特殊な存在である。彼は物理学者であり、同時にカトリックの司祭でもあった。彼は、「反物質」により、無より有の創造、ビッグバンが再現できることを発見し、それによって神の天地創造が科学的に証明できると考える。つまり、科学と宗教が融合できると考えている数少ない人物である。果たして、彼の発見は様々な反応が呼び起こす。そして、核融合が起こるように、この物語の色々なエピソードが次々と展開していく。
この物語は、宗教の功罪について、かなり率直な意見を述べている。先ずは、宗教こそが、地上の争いの元凶であるという点。ラングドンは、コーラーにイルミナーティの立場について説明している。(57ページ)
「カトリック主義の抹殺がイルミナーティの最大の盟約だった。イルミナーティは教会によって吐き出される迷信的な教義が人類の最も大きな敵であると考えていた。彼らは、宗教が信心深い神話を事実として促進させるならば、科学の進歩が止まり、人類が意味のい聖戦の無知の未来へと破滅することを恐れていた。・・・『俺の神はお前の神より優れている』真の信者と高い肉体の計算の間には常に近い相互関係があるように思われた。」
つまり、宗教こそが、地上に争いを導く元凶と言うのである。これは、現在まで起こった数々の戦争の原因を考えると、それは事実であろう。
この小説は、一見宗教を否定しているようだが、宗教の意義についても、数多くの登場人物が述べている。
侍従長が、全世界に向けて、アピールを行う場面。(422ページ)
「科学の教科書は、どのようにして核反応を起こすかを説明している。しかし、教科書は、それが良いことであるか悪いことであるかを我々に問いかけることに対し、章を割いていない。」
また侍従長はヴィットリアにこのように語る。(370ページ)
「正直に言うと、科学は的外れな面がある。・・・科学は人間の病を治すこともできるし、人間を殺すこともできる。どちらになるかは科学を使う人間の魂次第なのだ。その魂に私は興味がある。」
つまり、科学技術を使うのは人間であり、それをどのように使うかは、あくまで人間の倫理観に任されている。その意味ではその倫理観を司る宗教は、科学に超越していると言えないこともない。
二〇〇五年、ローマ法王、ヨハネ・パウロ二世が死去したが、彼は次のような言葉を残していた。
「科学は誤謬と迷信から宗教を浄化することができる。宗教は科学を偶像崇拝と誤った絶対者から浄化することができる。」(The Timesの法王死去特集記事より)
先代の法王、最後はよぼよぼのお爺さんだったが、なかなか良い事を言い残したものである。
「宗教と科学」という話題はさておく。この小説は、主人公にとって都合の良い偶然の連続、ご都合主義に貫かれているという印象を拭えない。
ラングドンとヴィットリアは何度も窮地に陥るのであるが、いよいよもうダメと言うところで、グッドタイミングに謎を解く鍵が見つかり、話が進展する。その偶然の連続が、非現実的な印象をこの小説に与えている。最近は、アクション映画でも、もう少し現実感を持たすようにと工夫してあると思うのだが。
ここまでご都合主義であると、もう喜劇の世界になってしまう。数千メートルの上空のヘリコプターからラングドンがバナーを両手に持って飛び降り、怪我ひとつしないのは、もうジャッキー・チェンの活劇の世界である。
また、ラングドンが殺人者と対峙しているとき、ふたりがベラベラと長口上を述べる。死ぬか生きるかのときに、そんな長くて複雑な会話ができるものだ。水戸黄門で、追い詰められた悪党が「いかにもその通りよ・・・」とそれまでの悪事を長々と白状する、それと似ていると感じた。
よく解釈すれば、現実から離れ、完全に虚構の世界に遊ばせてくれる小説と言う事だろう。そして、そのような小説を、非現実的だと批判すること自体が、見当外れと言うことなのかもしれない。
カトリック教会に対する「雑学の泉」という本であり、コンクラーベの構成や手順、カルメレンゴの役割など勉強できたのは良かったと思う。例えば、システィーナ礼拝堂の煙突から上がる煙の色で、次期法王の投票結果が分かるなどと言うこと。新法王選出のテレビニュースを見ていても、予備知識があって分かりやすかった。そういう意味では、私は実にタイムリーにこの本を読んだことになる。