「ダ・ヴィンチ・コード」

The Da Vinci Code

2003

 

 

<はじめに>

 

 うちの三人のティーンエージャーの子供たちが読んで、「面白いからお父さんも読んでみなよ」と薦めてくれた本である。二〇〇五年二月、冬の北欧を旅行中、旅先で読む本がなくなり、禁断症状に陥りかけたとき、コペンハーゲン中央駅の本屋の、英語本コーナーでこの本を買った。そのコペンハーゲン駅の本屋には、日本の漫画本コーナーもあった。日本の漫画も国際的になったものだ。しかし、「ダ・ヴィンチ・コード」、これもまさに「読む劇画」ではないかと思う。

 

 

<ストーリー>

 

 講演のためパリのホテルに滞在していたハーヴァード大学象徴学教授、ロバート・ラングドンは、深夜フランス司法警察から、ルーブル美術館へ呼び出される。司法警察の警部ファッシェは、ロバートを美術館の中へ案内する。そこでは、館長のジャック・ソーニエールが殺され、横たわっていた。その夜、ロバートはソーニエールと会う約束をしていた。しかし、ソーニエールとの面会はできなかった。それも道理、ソーニエールは殺されていたのである。ファッシェはロバートに捜査への協力を依頼する。

 ソーニエールの死に様は誠に奇妙なものであった。彼は、何者かに射たれた後、息絶えるまでの間に、夜光ペンで床にメッセージを書き残していた。そして、自ら衣服を脱ぎ、美術館の床の上に、仰向けに大の字になって死んでいた。床に書かれたメッセージ、それは「13-3-2-21-1-1-8-5 」と言う数列と、「O, Draconian devil! Oh, Lame saint!」と言う意味不明の言葉。

 ロバートに続き、美術館にもうひとりの訪問者があった。それは司法警察の暗号解読班の職員であり、殺されたソーニエールの孫娘でもあるソフィー・ヌヴー。彼女は、ロバートを洗面所に呼び出し、ファッシェが隠している事実を告げる。実は、ソーニエールはもう一行のメッセージを書き残していたが、ファッシェはそれをロバートが到着する前に消していた。その一行とは「PS、ロバート・ラングドンを捜せ」と言うものであった。被害者の死を前にしたメッセージにより、ファッシェ警部は、ロバートを協力者として招いた訳ではなく、彼を事件の容疑者として捕らえようとしているということを、ソフィーはロバートに明かす。

 ソーニエールは孫のソフィーを幼い頃「プリンセス・ソフィー」と呼んでいた。(Princes Sophieつまり「PS」)ソーニエールの残したメッセージは自分に対するものだと考えた彼女は、祖父を殺した真犯人を見つけるため、ロバートに協力してくれるよう頼む。そして、ロバートをファッシェに気づかれずに、ルーブル美術館から脱出させようと試みる。

 

 ソフィーの考えたトリックにより、二人のルーブル美術館からの脱出は成功したように見えた。しかし、脱出の途中、ソフィーは祖父の残したメッセージがアナグラム(並べ替えにより意味の変る言葉)であることに気づく。メッセージは並び替えることにより「Leonardo Da Vinci, The Mona Lisa!」になった。また、裸で大の字になって横たわるのは、有名な素描「ウィトルウィウス的人体図」を表現しているのではないか。祖父のメッセージは全てがダ・ヴィンチを指していた。モナリザのある部屋に戻ったふたりは、「岩窟の聖母」の絵の裏に隠された「PS」と刻印のある金色の鍵を見つける。その鍵と共に、ロバートとソフィーは、かろうじてルーブル美術館から脱出する。

 ソフィーはロバートに自分の過去を語る。彼女の父母、祖母、弟はソフィーが幼い頃、自動車事故で亡くなり、祖父のソーニエールに育てられていた。しかし、その祖父との関係も、彼女が祖父の別荘で行われていた異教の儀式を偶然に垣間見て以来、絶たれていた。 ロバートは「PS」が、宗教的な秘密結社「Priory of Sion」(シオンの小修道院)を意味し、殺されたソーニエールがその秘密結社に関係していたと推理する。 

 

 金色の鍵には、またもや夜光ペンでメッセージが書かれていた。それは、パリ市内のある住所であった。ふたりはその住所を訪れる。そこはスイスの銀行であり、金色の鍵はその貸し金庫のものであった。貸し金庫を開けると、中にはバラの絵の入った寄木造の木箱があり、その中には奇妙な円筒形の物体が納められていた。

 ソフィーとロバートは殺されたソーニエールの真意を知る。死ぬ間際に彼は自分の守る秘密を、孫娘のソフィーに託そうとした。そして、ロバートに協力を求めた。しかし、他人にその鍵が渡ることを恐れて、全てのメッセージを暗号化していたのである。奇妙な円筒は、ソーニエールがダ・ヴィンチの図面を基に作った、「クリプテックス」と呼ばれる文字合わせでのみ開けることのできる、丸秘書類運搬用のケースであった。

 司法警察のファッシェ警部は、ルーブル美術館から警察を欺いて逃亡したソフィーとロバートの二人を、複数の殺人事件の容疑者として指名手配する。実はその夜、ソーニエールだけではなく、パリ市内で他に四人の人物が殺害されていたのであった。

 

 ニューヨークに本部を持つ宗教団体「オプス・デイ」の指導者アリンガローサ司教は、同じ夜、飛行機でニューヨークを発ち、ローマに向かっていた。彼は、弟子である白子(色素欠乏症)のシラスを「先生」(The Teacher)と言う謎の人物に託していた。

その夜、「先生」の指示により、「シオンの小修道院」の中心人物を次々に殺害したのはこのシラスという男であった。シラスは殺された被害者の証言を総合し、自分の探すべき物がパリのサン・スルピス教会にあることを知る。そして、深夜そこを訪れ、その物を探す。しかし、彼の探すものはそこにはなかった。騙されたことに気づいた彼は、自分の行動を見張っていた修道女を殺害して、逃亡する。

 

 ロバートとソフィーは、貸し金庫の中にある円筒形の物体の中に、「シオンの小修道院」が二千年に渡って守ってきた秘密の鍵が隠されていると推理する。

 ロバートとソフィーが訪れたスイスの銀行の支店長アンドレ・ヴェルネットは、ふたりの客が、警察から指名手配を受けていることを知る。銀行の信用の失墜を懸念したヴェルネットは、二人を現金輸送車で銀行から連れ出す。パリ郊外で、ヴェルネットはふたりにピストルを突きつけ、貸し金庫からふたりが取り出したものの返還を迫るが、ふたりはヴェルネットに逆襲を加え、トラックを奪い、逃亡に成功する。

 

一方、ローマに着いたアリンガローサ司教は、「先生」から連絡のないことに不安を覚える。ヴァチカンの最高執行官との会見を終えた後、彼はパリへ向かう。

 

行き場を失ったロバートとソフィーのふたりは、ロバートの古い友人で、英国人の富豪で歴史学者であるレイ・ティービングの屋敷に赴き、保護を求める。ティービングも長年「シオンの小修道院」にまつわる「秘密」を探っていたひとりであった。

ティービングは、ソフィーとロバートを迎え入れる。そして、ソフィーにシオンの小修道院の守る「秘密」について説明をする。

その「秘密」とは、イエス・キリストは結婚して、子孫を残していた、と言うものであった。聖書にマグダラのマリア(Mary Magdalene)という女性が登場するが、彼女とイエスは結婚し、子供を残し、その子孫が現在も生きているというのである。コンスタンティヌス帝の時代に、キリスト教がローマ帝国の国教として採用されたときに、現在の聖書が編まれたが、その際、キリストを「神の子」として位置づけるために、為政者にとって都合の悪い証言の載った書物は全て葬り去られたと言う。

しかし、「キリストが結婚して子供を残した」という記録の幾つかは、その子孫とともに何を逃れ、現在もどこかに隠されていると言われている。その「記録」と「子孫」を守っているのが、「シオンの小修道院」であると、ティービングは説明をする。ダ・ヴィンチ、ジャン・コクトー・ヴィクトル・ユーゴー・アイザック・ニュートンなどの有名人が、これまでその秘密結社の最高責任者(Grand Master)であったと言う。そして、ソフィーの祖父も。

「シオンの小修道院」の歴史は、取りも直さずカトリック教会による迫害の歴史でもあった。聖書の正当性を守りたいカトリック教会は、これまで、何度も「シオンの小修道院」とその秘密を守る「テンプル騎士団」に迫害を加えていた。今回の、ソーニエール他四名の殺害には、十分にカトリック教会の関与が予想された。

西洋には、聖杯伝説(Holly Grail)というものがある。これはイエスが最後の晩餐に用いた聖杯を巡る物語である。ティービングは、真の「聖杯」とは、イエスに妻と子供がいたという「記録」であると言う。スイスの銀行の中に保管されていた奇妙な円筒「クリプテックス」の中に、その「記録」の在り処が記されていると思われた。しかし、その円筒には文字合わせの仕掛けがついていて、パスワードを見つけない限り開けることができない。無理に開けようとすると、中に閉じ込められている「酸」が流れ出し、文字が書かれているパピルスを即座に溶かしてしまうという仕掛けであった。

 

ティーベットの屋敷の中で、このような説明が行われているとき、ファッシェはトラックの無線発信機からソフィーとロバートの居所をつきとめる。警察はティービングの屋敷を包囲する。また、誤った情報に踊らされたことを知ったシラスも、ロバートとソフィーの後を追って、ティーベットの邸内に侵入していた。

バラの寄木細工の箱に隠されていたメッセージから、「記録」の隠し場所がロンドンにあることを見抜いたティーベットは、ロンドンへ飛ぶことを企てる。しかし、外には警察の包囲が張り巡らされ、邸内には「秘密」の奪還を狙う僧服のシラスが拳銃と共に潜んでいる。 

 

 

<感想など>

 

謎解き、暗号解読の面白さは認める。数々の歴史的な事実をよく調べ上げ、巧みに筋に取り入れていることも認める。辻褄もよく合っている。有名な絵画から巧妙にメッセージを引き出すことに成功している。また、展開も速く、読んでいて読者を飽きさせない。

しかし、どこか非現実的なストーリーである。良くも悪くもご都合主義。主人公たちは、謎を前にして、いよいよという場面でタイミングよくその謎を解くきっかけを思いつく。小説の展開に都合の良い「偶然」を小説の中に配置するのは仕方がないことだ。そうしないと、ストーリーそのものが展開しない。しかし、その偶然の数が多すぎると、余りにも非現実的に感じて、読んでいてストーリーに共感できなくなる。

時間的にもちょっと無理があるという感じ。最初にロバート・ラングドンがパリのリッツホテルで司法警察に起こされてから結末まで、二十四時間経っていないのである。その間に六百ページ分の物語が展開する。舞台はルーブルから銀行、ティービングの屋敷、ル・ブルジェ空港から英国のケントにある空港、テンプル教会、ウェストミンスター寺院へとめまぐるしく移る。その間に交わされる、二千年間に起こった出来事や、ダ・ヴィンチの残したメッセージに関する膨大な会話、薀蓄の数々。その量が、二十四時間に収まるとは到底思えない。「どうして何時までたっても夜が明けないの」と私は読んでいて不思議で仕方がなかった。

 

この物語のメッセージのひとつ、「歴史は勝者によって作られた」という点には、大いに同意する。最終的に勝ち残った者が、自分に都合の良い事項を集めて歴史を編み、敗れ去った者は歴史から葬り去られる。世界最古で最大の歴史書である「聖書」もその運命を辿ってきたと言う点には、深い共感を覚える。おそらく、イエス・キリストに関する証言、記録は、聖書に記されているよりも、もっともっと沢山あったに違いない。しかし、カトリック教会が最初にローマ帝国に設立された際、教会に都合の悪い記録が消し去られ、為政者にとって都合の良い部分だけが残されたと言う点は、真実であろう。

イエスが人間であり、結婚をして、子供を設けていたというのも、真実である可能性が高いと思う。しかし、ダ・ヴィンチの「最後の晩餐」で、イエスの右側にいる人物がどうみても女性的であると言うのを根拠にそれを主張するのは、少し行き過ぎではないかと思う。いずれにせよ、歴史や美術の断片の、都合の良い部分だけを集めてきて辻褄を合わせているという感じが、私の頭からは拭い去れない。

 

私事であるが、この本の最後の五十ページを読んでいるとき、たまたま末娘のお供でロンドンの街中に出かけた。コヴェントガーデンの演劇学校に娘を送っていった後、ウェストミンスターまで歩き、そこから地下鉄に乗った。次の駅は「テンプル」。地下鉄を待っている間や、地下鉄に乗っている間に「ダ・ヴィンチ・コード」に読み耽っていたわけであるが、今時分が何となくいる場所が、実は歴史的に深い意味を持つ場所であることを改めて知り、感慨深かった。私はこの本によって、キリスト教の成立に関して、いろいろと勉強をさせてもらった。大衆を改めて、歴史とは何か、真実とは何かという問題に目を向けさせたという点では、この小説の価値は高いと思う。

 

聖書の正当性を覆すようなことが、かなりの証拠を添えて書かれているこの本がベストセラーになり、映画化さえ計画されていることについて、一体、カトリック教会がどのように考えているのか知りたいところである。

 

20053月)