ミツバチの能力
小さな湾に佇むワタル。ポチャンと飛び込めばどこでも泳げる。
二時半にまた貸しボート屋へ行くが、団体客が入り、従業員がそちらに行くので、カヌーは貸せないという。そのまま砂浜で引き続き過ごすことになった。サンベッドで寝転んで本を読み、暑くなると海に入るということを繰り返す。人間の干物ができそうだ。
いい加減海岸にいるのも疲れてきた夕方五時、その村を出発し右手に見える岬に向かって車で走ってみる。岬の近くに、岩場に囲まれた、昨日行った場所と似た感じの、幅十メートルほどのプライベートビーチ的な場所があった。一組の家族だけがそのビーチで遊んでいる。例によって、海の底が克明に見えるほど、水は澄んでいる。
「ヌーディスト禁止」
の立て札。ということは、こんな場所にはヌーディストが多いということだ。
岩場を歩いていたマユミがヤギの死体を見つけた。これだけいるのだから、病気や事故で死ぬヤギもいるだろう。しかし、このヤギたち、誰が何のために飼って、どのように管理しているのだろうかと思う。
海岸からの坂を上がると、ミツバチの巣箱が並べられていた。蜂蜜がオリーブと並び、クレタ島の特産品だったことを思い出す。一辺七十センチくらいの巣箱は、各々違う色に塗られている。競馬のジョッキーの服のように、遠くから見ても見分けがつく。おそらくミツバチが自分の「家」を見つけ易いようにだと思う。
「おいらの家はピンクと水色だもんね。」
と覚えておけば、ミツバチも間違って隣の家に入らなくてすむ。
「と言うことは、ミツバチは色が認識できるのだ。」
僕はひとりで感心する。考えてみれば、きれいな色の花に集まるミツバチが、色を認識できるのは当たり前のことかも知れない。団地で同じ形の家がズラリと並んでいる中、人々が皆間違えずに自分の家に帰るのが不思議に思ったことがある。あれは、何で認識しているのだろか。
太陽の下にい過ぎたせいか、寝不足のせいか、夕方になり頭が痛くなってきた。僕だけ先にアパートへ戻り休む。すっかり車に慣れたマユミの運転で、子供たちはそれから一時間余り、近郷の村を廻っていた模様。
「田舎の村で、タヴェルナの表でラキを飲みながら座っているお爺さんたちが、手を振ってくれたよ。」
とスミレが言う。一度、観光客の誰も行かない、「ド田舎」の食堂で飯を食ってみたい気がする。もちろんそんな食堂にはギリシア語のメニューしかないだろうが、「開けてびっくり玉手箱」的な注文もなかなか面白いのではないかと思う。
その夜は他の三人の食卓での会話を聞きながら、九時ごろには眠ってしまう。明日は、いよいよ「サマリア・ゴージ」に行く日だ。皆早起きしなくてはいけないから、早く寝たほうがいいよ。
夕方のカフェでビールを飲む村人たち。どこでもメタボは問題なようで。