「ゴルフ場殺人事件」

原題:The Murder on the Links

1923

 

 

<はじめに>

 

 アガサ・クリスティーは、私にとって英語の師である。

十数年前、ドイツから英国に移って来たとき、英語を読むことに慣れなくてはいけないと思った。しかし、そのために何を読んだら良いのかを迷った。読書と言うものは、ある程度のスピードが保てないと、嫌になってしまう。初心者が、慣れない英語で、なおかつある程度の読書スピードを維持するために、クリスティーの小説は最適であることを発見した。

クリスティーのシリーズの中でも「ミス・マープル物」はどうも、偶然の連続で事件が片付くような気がして、いまいち、好きになれなかった。しかし、エルキュール・ポアロの「灰色の脳細胞」には完全に「はまって」しまった。その結果、ポアロのシリーズは殆ど全部読んでしまった。一九二〇年代、三十年代の、いささか古風な英語ながら、私は多くの単語と言い回しを(多少フランス語訛りではあるが)ポアロの口を通じて、クリスティーの作品から学んだ。そして、現在の私のミズテリー好きは、クリスティー、ポアロ体験から始まったと言ってよい。 

 私事であるが、二〇〇六年の二月、私は体調を崩し、入院を余儀なくされた。安静を言い渡された病院ベッド中、本を読むにも集中力がさっぱり続かない。そんな中で、気軽に読める本はないものだろうかと私は考えた。そして、十年以上前に読んだクリスティーを思い出した。見舞いに来た妻に、

「何でも良いから、クリスティーの『ポアロ・シリーズ』を何冊か持ってきてくれない?」

と頼む。翌日、妻は、私の本棚から三冊のクリスティーのペーパーバックスを抜いてきてくれた。その中の「The Murder on the Links」を、私は十数年ぶりに病院のベッドの中で読み始めた。

 

 

<ストーリー>

 

 アーサー・ヘイスティングス大尉は、フランスからの帰りの列車の中で、言葉遣いはぞんざいだが、不思議な魅力を持った少女に出会う。カレーの連絡船乗り場で彼女と別れる際、ヘイスティングスは彼女の名前を尋ねる。「シンデレラ」と彼女は答える。

 ヘイスティングスはロンドンで、ベルギー人の探偵、エルキュール・ポアロと同居していた。ヘイスティングがフランスから戻った翌日、ポアロのもとに一通の手紙が届く。ルノーという差出人は、自分に身の危険が迫っていることを告げ、ポアロに至急フランスに来ることを依頼していた。ポアロとヘイスティングスは、その日のうちにフランスへ向かう。

 海を渡ったふたりは、夕方、依頼者ルノーの住むメルリンヴィユの街に着く。屋敷に到着したふたりを待っていた知らせ、それは依頼者のルノーが、その朝何者かに殺されたというものであった。ヘイスティングスは町に着いたとき、屋敷の近くで出逢った、神秘的な美しさを持った若い女性に心を魅かれる。

 屋敷では、既に現地の警察により捜査が始まっていた。殺されたルノーの死体は、その日の朝、屋敷に隣接するまだ造成中のゴルフ場で発見された。彼は下着の上に、オーバーを着て倒れていた。そして、コートのポケットの中から、ベラという女性からの、英語で書かれた恋文が発見された。

 召使の話によると、死体が発見される前夜、女性が屋敷の主人であるルノーを訪れていたということであった。ひとりの召使はその女性が、隣の屋敷に住む未亡人ドーブリュー夫人であると証言した。ドーブリュー夫人はこれまでも深夜に度々ルノーを訪問していたと言う。もうひとりの召使は女性の訪問客があったが、それは見知らぬ人物であったと証言していた。

 殺されたルノーの妻が証言を行なう。殺されたルノーは、カナダ生まれ、南米での事業で財を成したということである。しかし、彼の過去は謎に包まれていた。事件の当日、夫婦が夜寝ていると、ふたりの男が押し入り、夫人を縛りあげ、夫を脅して外へ出て行ったと、婦人は述べる。ポワロは軋む階段を三人の男が下りて行ったのに、家の者が誰も気がつかなかったことを不審に思う。

 隣人のドーブリュー夫人は、事件との関与を否定する。しかし、その娘のマルテは(ヘイスティングスが魅かれた女性は彼女だったのであるが)、殺人事件の捜査の行方に大きな関心と心配を示す。

ポアロには、今回とよく似た事件が、過去にも起きたような気がしてならない。

「一度あるやり方で成功した人間は、それに味を占めまたそれと同じ方法を試みる。」

というのがポアロの考えである。しかし、ポアロにも、それがどの事件であったのか、確信が持てないようである。それを調査するために、ポアロは単身パリに向かう。

 パリ警察から派遣されたジロー警部が到着。独自の捜査を開始する。遺留品を徹底的に調べる猟犬のような捜査方法は、犯人の心理、行動パターンから真理に迫ろうとするポアロのそれとことごとく対立する。

 ヘイスティングスは町で「シンデレラ」と再会する。彼女はヘイスティングスに奇妙な「お願い」をする。それは「殺人現場が見たい」と言うものだった。ヘイスティングスは断りきれず、ポアロや警察には内緒で、彼女を連れて殺人現場を案内する。死体を見た彼女が卒倒、水を取りに行っている間に、彼女も、ルノー氏を殺した凶器のペーパーナイフも消え去っていた。

ポアロの留守中、ふたり目の被害者の死体が屋敷の納屋で発見される。身なりの良い、見知らぬ人物が。その死体には、ルノー氏を殺したのと同じ、ペーパーナイフが突き刺さっていた。検視をした医者は、その人物が殺されてから四十八時間近く経っていることを指摘する。ルノーとほぼ同じ頃に殺されたことになる。ヘイスティングスはパリから戻ったポアロに、第二の被害者について報告する。ポアロはそれを予期していたようであった。 

 息子のジャック・ルノーが帰還する。彼はアルゼンチンへ向かうための船に乗るために、シェルブールにいたが、船の出港が送れたため、事件を知ることになり、慌てて帰って来られたという。そのジャックが、父親のルノー氏が殺された夜、密かにメルリンヴィユに戻っていたことが明らかになる。そして、出発前に、父親と口論になり、「殺してやる」と口走っていたことも。ジローをはじめ、フランスの警察は、ジャックを殺人の容疑で逮捕する。

 ポアロとヘイスティングスは密かにジャックの部屋を探す。衣類の下から一枚の写真が発見される。そこに写っているのは「シンデレラ」であった。ポアロとヘイスティングスは、「シンデレラ」を追って、英国に向かう・・・

  

 

<感想など>

 

 エルキュール・ポアロ・シリーズの初期の作品であるが、それだけに、ポアロ・シリーズの「パターン」の原型が見えて面白い。

動き回ることなしに、ひたすら犯人の心理を分析し、表に現われた事象の矛盾を徹底的に解析する。「灰色の脳細胞(grey cells)を使って」というポアロ自身の言葉は、余りにも有名である。彼が推理をしているとき、彼の脳細胞が稼動中のとき、彼の緑色の目が輝く。今時のコンピューターの「稼動中ランプ」を思い出してしまう。

ポアロと好対照に描かれるのが、パリ警視庁のジロー警部である。彼は事件の現場を、時には地面に這いつくばり、猟犬のように嗅ぎまわる。

ヘイスティングスはポアロに対して、もっと「科学的」な捜査方法を取り入れたらどうかと提案する。それに対して、ポアロは、捜査をキツネ狩りに例えて自分の立場を説明している。真の探偵は、狐を追い回す犬ではなく、それを指図する猟師であるという。つまり、科学的な捜査も大切だが、それを後ろから大局的に判断する優秀な頭脳を持った人間がいることが、捜査にとって最も大切なことだと。

ジロー警部が地面に四つん這いになって証拠を探している姿から、ポアロの説明に出てくる「犬」を思い出して、思わず笑ってしまう。

 

ヘイスティングスは単なる語り手ではなく、恋をし、時には捜査の邪魔をする、極めて能動的に、かつ人間的な人物として描かれている。後年の小説では、ヘイスティングスは読者の持つ「素朴な疑問の代弁者」として登場することが多くなる。読者に代わって、「素朴な質問」をポアロに投げかける人物として。つまり漫才で言うと「つっこみ」の役割。しかし、この物語では、恋をし、嫉妬もする。単に聞き役以上の役割を与えられている。とは言うものの、毎回毎回、恋をしていたのでは、ヘイスティングスは何人妻を娶っても足らなくなる。そのためか、後年の作品では、彼は聞き役専門となり、恋をする余地がなくなってしまう。

ヘイスティングスは常に、一歩も二歩も先を行くポアロの思考に付いていけず、ポアロにはぐらかされているような、もう少し強く言うと馬鹿にされているような感じを受けている。それを打破するために、何度か単独行動に走るのだが、いつも裏目に出てしまうところが面白い。しかし、何故、ポアロはヘイスティングスをいつも連れ歩くのかと思ってしまう。彼がいなくて、事件の解決には何も困らないだろうに。

 

 後年、ポアロは常に冷静な人物として描かれているが、この作品では、ジロー警部に怒りを表し、結構強い言葉を吐く。「若気の至り」なのであろうか。いや、この時点で既に、ポアロは若くないはずである。シリーズも回を重ねる上で、ポアロの人物像もだんだんと落ち着いてくるのだが、初期の作品だけに、まだ登場人物の設定が、固定していない。それがこの本の面白さでもあると思う。

 

 解決したように見えて、それから二転三転あるのは、いかにもクリスティーらしい。

 クリスティーの作品は、時代を超越して面白いと感じる。ストーリーに現実性を持たすために、時事問題を取り入れる作家が多い中で、世相には見向きもせず、ひたすら謎解きに集中する姿勢が、かえって新鮮である。

 

20062月)