ドナウ河の大ナマズ

 

 Oさんの車はブダ側に入り、丘に沿って石畳の道を登る。私たちはインターコンチネンタルホテルの前で車を降りた。(でも泊まったのはもちろん別のホテル。)

地元民Oさんの先導で一件のレストランに入る。レストランの前にもテーブルが出ているが、十度以下の気温の中、誰も座っている人はいない。時間が早いせいか、店の中もガラガラであった。ひょっとして最初、客は私たちだけだったかも知れない。

窓際の席に座る。窓枠の上に、大きな魚の剥製が、吊ってあるでもなく、ゴロンと転がっている。体長一メートル半はある。ロンドンの自然科学博物館にいるシーラカンスと同じくくらいの大きさである。丸みを帯びた頭部を良く見ると、広がった口とヒゲ。それはナマズの剥製であった。

昔、椎名誠の「イスタンブールでナマズ釣り」という話を読んだことがある。中部ヨーロッパに生息すると言われる、二メートルの大ナマズを求めて歩き回るという話であった。そのとき、ドナウ河にも大きなナマズがいると、ナマズ博士の松永氏が言っていたような記憶がある。もちろん、私の横に横たわっているナマズが、ドナウ河で獲れたものかどうかは分からないが。

ナマズの横で、私たち三人は、メニュー選びを始めた。先ず前菜から。ハンガリーといえば「グラシュ」トマト味の煮込みである。Mさんは即決で「グラシュ・スープ」に決めた。私は心のどこかにナマズが引っかかっていたので、「魚のスープ」を注文した。Oさんによると、ハンガリーは海からとてつもなく遠いので、新鮮な海の魚は手に入らないとのこと。その魚のスープも、コイかナマズであるらしい。

結果的に、魚のスープは結構いけた。中の魚はよく煮てあったが、ちょっとプリプリした感じだったので、コイではないと思う。ナマズなのかも。確かに川魚独特の匂いはあるが、私には気にならない。スープの底には、骨やヒレがよく煮えて柔らかくなったのであろう。ちょっとザラザラした砂のようなものが残った。

グラシュに次いで、ハンガリー料理の王道を行くMさんは、メインにキノコのソースのかかった肉を食べていた。私は鶏の胸肉を食べた。ハンガリー料理はパプリカ(ピーマン)を多用するらしく、サラダ、付け合せにクリーム色のピリ辛パプリカがついて来る。その上、テーブルに赤パプリカのソースも置かれている。鶏肉につけて食べてみると、中華料理の「トウバンジャン」そっくりの味。どっちも赤唐辛子のソースなので当たり前であるが。辛いものに目が無い私には好ましい。

赤ワインもいける。全体的に渋みのあるフランス風の味。「ボルドー」だと言われて出されても、素人の私には分からないくらい。ただ、ワインが若いのか、パプリカソースのせいなのか、口に含むとすこしピリッとした。注文したフォアグラがワインに合う。

そのうちにバイオリン二つにベースの楽師たちがやって来て、横で地元の音楽を奏で始めた。見回すと、レストランの席はいつの間にか、半分以上埋まっていた。